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春。引越しシーズン。花未野不動産から、はなみの不動産に社名変更して1年。気持ちを新たに仕事している。
「澄令君、新規の方お願いしたい」
カウンターの向こうで待っているのは、まだ10代かと思われる、顔立ちの幼い男の子だった。40代の私が父親でも良いか、と考えながら菖蒲先輩に頷く。
「初めまして。私、はなみの不動産の澄令と申します。宜しくお願い致します」
あどけない顔の男の子は、三ツ蜂という珍しい名字。まぁ私も澄令という珍しい名字だ。
「外の張り紙を見て来ました。大学に近い場所がって思って探しています」
私の職場の、はなみの不動産は、他の不動産屋と違い特殊な不動産。訪ねて来られる方も承知している人ばかり。外にも書いてあるので理解してくれていると思うけれど、再度はなみの不動産の説明をする。
「はい、大丈夫です。他では色々言われて。ようやく見つけました」
子どものような笑顔で、こちらも心が和んでくる。良い物件を紹介してあげたい。
いろいろなタイプを見てもらう。予算も教えてもらっていて、大学に近い物件をいくつかおすすめしてみる。
「内見って、いつから出来ますか? 」
私は精一杯の笑顔で答える。
「お客様のご都合で大丈夫です。それと御引越しですが、はなみの不動産が御手伝いさせていただきますが、宜しいでしょうか」
「えっ本当ですか。他を頼もうとしていたので嬉しいです。宜しくお願い致します」
明日午前中に内見希望との事。さぁ忙しくなるぞ。はなみの不動産一丸となって、全力でサポートしなくては。
部屋の見取り図や資料を見ていたら、横に菖蒲先輩がいるのに全く気付かず。
「澄令よくやった。多分、決めてくれるさ」
目標にしてきた菖蒲先輩が、私を褒めてくれている。新規のお客様を担当し契約していただけそうで、今日は良いことが続いている。
翌日、10時に内見するアパートへ御案内した。
「予想以上のお部屋です。卒業まで2年ですけれど、もう他に引越ししなくても済みそうです」
好印象な彼が気に入ってくれた部屋。気が変わる人も多い。けれど感動している彼は、きっと契約してくれるだろうと思った。
三ツ蜂樹陽は、アパートの部屋で荷解きをしながら、時計ばかりを見ていた。良い不動産会社とアパートを見つけられたと感激しながら。
「そろそろかな」
全ての荷解きと整理を終えて、部屋を埋め尽くすほどの花々を眺めていた。すると、花が自分めがけて伸びてきた。茎が弓なりになって、身体に絡みつくように俺を包み始めてきた。
花びらが振動し始めてくると聴こえてくる。チューリップの花々が優しく語りかけるように。
「さぁ変身しましょ、変身は怖くないわ」
茎に身体を包まれ終わると、俺は名前の通りミツバチになっていた。部屋にいる時は好きな時に好きなだけ、ミツバチでいられる事が出来る。
ブブッ ブーン
羽を振動させて蜜を吸いまくる。引越しで体力を消耗したせいか、お腹が空いたから蜜を吸いながら受粉も行う。
「なんて良い部屋なんだろう。人さえ来なければ、俺はずっとミツバチでも良いんだから」
そのおかげで、色々が花々へと引越しが簡単に出来る。
チューリップから引越ししたら、タンポポに引越しして蜜を吸う。こんなに簡単に引越せるなんて、何て贅沢なんだろう。
いちばん美味しい蜜はツツジだった。レンゲの蜂蜜が有名だけれど、この部屋にはない。味わった事がないので是非とも味わいたい。澄令さんに訊いてみよう。
蜜を吸い過ぎたせいか満腹になり、人間に戻ってベッドで眠ろうと思った。
「ダメよ、人間に戻らないで」
部屋中の花々が俺に伝えてくる。
「今夜は私の花の中で」
チューリップが茎を揺らして運んでくれば、今度はツツジが花を前後左右に揺らし誘う。
「私の蜜が美味しいのなら、私の花の中で眠りなさいな」
他の花々も誘ってくる。いったい俺はどうしたらいいんだろう。
「俺は貴方たちが大好きです。だから目が覚める度に引越しします。納得していただけますか? 」
花々は納得してくれた。来てくれないかもと、ごねていたパンジーも納得してくれた。
その日、本当に眠りが浅く、ミツバチのまま花から花への引越しは続いた。花々たちはとても喜び、優しくミツバチの俺を迎えてくれた。
翌朝、人間に戻って花々の手入れをしながら朝飯を終える。引越しはミツバチになれば、何回も経験することが出来る。この部屋を教えてくれた澄令さんに感謝しなくては。
大学からの帰り途中に、三ツ蜂君が顔を見せてくれた。もう少ししたら帰るから待っていてほしいと伝え残務処理を続ける。
近くのファミレスに入る。
「お父さん、あの部屋気に入ったよ。入学祝にスーツも買ってくれた御礼も言えていなくて。ありがとう」
三ツ蜂は離婚した妻の旧姓だ。もう2度と逢えない。離婚してから10年の月日が流れた。
「お母さんの大好きな花たちの部屋どうだ」
「うん、とっても良いよ。レンゲも入れてほしい。あと他にも新しい花入るよね」
父親の顔に戻り、息子に頷いた。部屋を気に入ってくれて何よりだ。
(了)
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