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「A子さんの名前と住所を教えてください」と薫ちゃんが懇願すると、店主はさりげなく電話の上のコルクボードにピン留めされた付箋に目を泳がせた。
玲美さんが辞めてからA子からの依頼はパッタリ来なくなったそうだけど、上得意だったからまだ貼ったままにしてあったのだろう。
「あと、玲音さんと親しかったおじいさんをご存知ですか? おじいさんからもお話を伺いたいので」
帰り際、私がダメ元で訊いてみたら、店主が「篠原さんかな?」とこちらはあっさり教えてくれた。
「奥さんの遺品整理を頼まれたのがきっかけで、吉崎くんが時々お宅に伺っていたみたいです。便利屋の仕事とは別に安否確認みたいな感じで。若いのに、本当に情に厚い良い子なんですよ」
そう言って店主は、篠原さんの住所を付箋に書いて渡してくれた。
A子の情報を漏らすことだけに神経質になっているのは、彼女や彼女の夫から訴えられるのを恐れてのことなのかもしれない。
店主は最後まで一万円を受け取らなかった。
お礼を言って店を出ると、私たちは記憶したA子の名前と住所を忘れないうちに急いで各自のスマホのメモに打ち込んだ。
「戸沢美姫。この女が勝手に玲美に執着したってことかしらね」
「でも、だったらどうして【四丁目】の麻里ちゃんは『お客だった女の人と関係を持っちゃったみたい』って言ったのかな。だって、麻里ちゃんは玲美さん本人から話を聞いたわけでしょ?」
「玲美が『お客の女の人とトラブったから店を辞めた』って言ったのを、麻里が勝手に脳内変換したんじゃないの?」
「ああ、それはありそう」
「戸沢美姫かその旦那の車が赤ければ、轢き逃げ犯とみてまず間違いないわね」
そう言いながら、薫ちゃんは早速平塚刑事にメッセージを送った。
もちろん警察も後から【便利屋はまのべ】に話を聞きにくることになるだろうけど、今すぐ平塚刑事が美姫と夫をマークしてくれれば玲美さんは安全だ。
「あとはおじいさんの篠原さんか。自宅に行ってみるけど、そこで亡くなってるとは思えないよね」
店主が付箋に書いてくれた住所は、ここから歩いて十分もかからない。
私が付箋を薫ちゃんに見せると、薫ちゃんは「そうね。遺体はむしろ優の前に現れた南口の近くにあるんじゃないかしら」と頷いた。
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