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いつもは霊が成仏する前に家族や大切な人たちに思いを伝えているけど、今回は誰もいない。
篠原さんの部屋は意外にも綺麗に片付いていたから、もしかしたらホームヘルパーとか子どもや孫が定期的に来ていたのかもしれないと思ったんだけど……。
篠原さんが亡くなってからもう一週間以上経っていると考えられるのに家がそのままということは、身寄りがなく介護保険サービスも受けていなかった可能性が高い。
それで玲美さんは時々篠原さんの様子を見に行っていたのだろう。
篠原さんにとって玲美さんが"大切な人"だったのかも。だからこそ玲美さんを助けてくれと私の前に現れたんだ。
「篠原さんの霊を玲美さんの病室に連れていけたらいいのに」
「それはさすがに無理ね」
「伯母さんだったら出来ただろうけどね」
薫ちゃんのお母さんは、霊を憑依させることが出来たという。
どういう風にやっていたんだろう。伯母さんが生きている間に聞いておけば良かった。
「ほら、降りるわよ」
薫ちゃんに促されて、いつもの駅に着いたことに気づいた。
南口は相変わらず人通りが多い。飲食店やカラオケが建ち並ぶ表通りを歩く。
ここまで来たら、もう自分が枕を持っていても人の目なんか気にならない。
篠原さんの思念は私を導くようにどんどん強くなっていった。
「そっちじゃない。こっち」
薫ちゃんが【四丁目】に行く脇道に入ろうとしたから、腕を引っ張って止めた。
「そっちは行き止まりよ。川があって……」
「でも、こっちだよ」
薫ちゃんの言う通り、【四丁目】のワンブロック先の道を行くと川に突き当たった。
低い柵の向こうは鬱蒼とした夏草が生い茂る急斜面で、川は一昨日降った雨のせいか水かさが増している。
たぶん篠原さんはここで心筋梗塞を起こして転落したのだろう。遺体は雑草に埋もれて見えないけど。
私が柵をまたぎながら「虫除けスプレーしてくれば良かった」とぼやくと、薫ちゃんも「ほんとね」と言いながらワンピースの裾をたくし上げて草むらに足を踏み入れた。
草で足元が見えないから、右手を後ろについてお尻で滑るように斜面を下りていく。
慎重に少しずつ下りていたのに、左手で枕を持っているせいで途中で私はバランスを崩してしまった。
「優! 危ない!」
後ろから薫ちゃんの声がした時にはもう、私は転がるように川へと滑り落ちていた。
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