131人が本棚に入れています
本棚に追加
/29ページ
「依頼人、来ないね」
「そんなにホイホイ来るもんじゃないわよ」
「そりゃそうだけど」
「待てば海路の日和ありって言うでしょ」
薫ちゃんとのこのやり取り、リニューアルオープン以来毎日している気がする。
薫ちゃんはベンジャミンゴムたちに『ベン』と『ジャミン』という安易な名前を付けて、せっせと葉っぱを拭いているけど、私は今月のここの店舗設備ローンを払えるのか不安だ。
「私、ちょっと散歩してくる」
居ても立っても居られずに私が立ち上がると、薫ちゃんは「あら、いいわね」と言いながら帽子掛けに掛けてあるつばの大きい帽子に手を伸ばした。
「ダメだよ。薫ちゃんは店番してなくちゃ」
「えー? 一緒に散歩したい!」
駄々をこねるみたいに口を尖らせた薫ちゃんにドキッとする。
それって……私と散歩したいってことじゃなくて、自分も気分転換したいってことだよね? 本当に紛らわしい言い方するんだから!
「依頼人が来るかもしれないんだから、私一人で行ってくる。薫ちゃんは夜のバイトに備えて仮眠とってたら?」
「わかった。気をつけてね」
薫ちゃんは不承不承といった感じに頷いたから、やっぱり私と一緒に行きたかったわけじゃないようだ。
「へえ! 可愛いお店がある!」
駅前の放射線状に伸びた通りには商店がいくつも建ち並んでいて、私は一軒の雑貨屋の前で足を止めた。
そういえばもうすぐ薫ちゃんの誕生日だ。今年は何をプレゼントしようか。
薫ちゃんのことはよく知っているようで知らないことも多い。今日だって事務所に流していたラジオを聴くともなしに聴いていたら、「あ、この歌好き」と呟いた薫ちゃんがハミングした曲は数年前私が夢中になって観ていたアニメのエンディングテーマだった。
薫ちゃんもあのアニメ観てたんだ!と私が驚いたのは、そのアニメがこてこての青春ラブストーリーだったから。
ゲイの薫ちゃんはノーマルな恋愛物には興味がないだろうというのは、私の思い込みだったらしい。
薫ちゃんの誕生日プレゼントを何にしようか迷いながら歩いていた私は、気づけば南口の賑やかな通りに出ていた。
上品で落ち着いた雰囲気の北口と違って、南口には居酒屋やガールズバーなど昼間は閉まっている店も多い。
そういえば薫ちゃんがバイトしているおかまバーってどこにあるんだろう?
ちょっとした好奇心で脇道に入っていった私は、突然誰かに腕を掴まれた。
最初のコメントを投稿しよう!