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暖冬のせいで、雪もチラつかない一月の下旬。灰色の空は相変わらずなのに、マフラーさえ必須アイテムではない日が続いている。
(もう終わるかな)
腕に嵌めた時計で時間の経過を確認し、奥の部屋へ顔を向けた。
弟を歯医者に連れて行ってくれと母親に頼まれたのは、昨日のこと。仕事もひと段落ついて上から有給を取るように言われていたので、丁度良かった。
インフルエンザにかかって寝込んでいる母親の代わりに、歯が痛む弟と一緒にかかりつけの歯医者に来たのが一時間前。予約は入れてあるが人気の歯科らしく、三十分ほど待たされた。
「荒木さん、壮真くん終わりましたので診察台へどうぞ」
マスク姿の歯科助手に促され、ソファを立ちあがる。案内されるまま一番奥の診察台へ顔を出し、ここの院長だと思しき若い男へ挨拶をした。
(なるほど……。母さんが言ってたのは、これか)
マスク上からでも分かる、相当に整った顔。凛とした目元と意志の強そうな眉。体つきもがっしりとしていて、無駄な肉がない。手足が長いのは一見して分かるほどだ。年齢は三十代半ば。まだ若い。それなのにもう個人病院を開設して、この反響とは素晴らしい。
イケメン好きの母親が残念がるわけだ。インフルエンザでなければ、この美形に逢うことができたのだから。
ふと、院長と目が合う。やけに凝視されて、小さく首を傾げた。挨拶はちゃんとしたはずだ。仕事ではないのでスーツではないけれど、これといって変な格好はしていない。
「あの……、先生?」
あまりにこちらを見てくるので、思わず声をかけてしまった。ハッとした様子の院長は短く「失礼」とだけ口にして、診察台正面に設置してある壁掛けのテレビ画面の方を向き直る。
そこへ映し出された弟の歯。タブレットを操作してどの部分が虫歯なのか、今日の治療と今後の治療方針について丁寧に説明を受けた。
「壮真くん、仕上げはちゃんとしてあげてますか? まだ年齢も五歳ですし、仕上げの歯磨きはキチンとなさってください。磨き残しが多いです。普段はお母さんに任せっきりですか?」
なんだろう。やけにツンケンしているのは気のせいか。
普段の生活など別々に住んでいる壮悟が知るわけもなく、正直に「分かりません」と答える。すると院長は形良い眉を軽くひそめ、小さく息を吐き出した。正直に言って、感じが悪い。
「壮真、歯磨きは一人でやってるのか? 母さんは?」
「しないよ。壮真、自分でやってる」
「そうか……。父さんもやってくれればいいのにな」
「は?」
「え?」
タブレットを操作していた院長が、パッと顔を上げて壮真と壮悟を交互に見遣る。
「失礼ですが、その……お父さん、では?」
「あ、いえ。兄です。年が離れてるんで、よく間違えられるんですけど」
「壮悟兄ちゃんはね、お家も別々なんだよ。でも日曜日に帰ってきてくれて、いっぱい遊んでくれるの」
「……そう、ですか。すみません、とんだ勘違いを」
「いいえ、気になさらないでください。慣れてますから」
何せ二十一歳差だ。一緒に並んで歩いていても、間違えられない方が少ない。
母親は十八で壮悟を生んでおり、八つ年上の父親とはいわゆる授かり婚である。
「壮悟兄ちゃん。オレ頑張ったから、約束通りラグビーに連れてってね」
「そうだな。でもちゃんと歯磨きしないと駄目だぞ?」
一回り以上離れた弟の頭を撫でながら、壮悟はニコニコとラグビーの試合観戦へ連れて行く約束をする。既にチケットは入手しており、どちらにせよ今月末の試合には連れて行くつもりだった。
「ラグビー、お好きなんですか?」
「はい、自分ではやったことないんですけど。学生時代にマネージャーを」
「そうなんですか。私は学生時代にラグビーをやってたんです。最近、ラグビー熱が高まってきていて嬉しいですね。試合は、秩父宮ですか?」
ラグビーが好きだったのか、一緒に住んでいないと分かって言っても無駄だと諦めたか。それとも素直に悪いと思ったのか。何故だか急に態度が軟化した。もう会うこともないだろうけれど、嫌な印象のまま終わるよりはずっといい。
「ええ。第二試合が上手いこと取れた、の……で」
マスクを外した院長が、爽やかな笑顔を浮かべて壮悟を見つめてくる。予想以上の美形っぷりだった。そんじょそこら、いや……余程のことがない限りはお目にかかれない。
待合室に若い女性が多かったのも、これでは納得もいくというもの。眼福なんて言葉はこういう存在を前にしていうのだろう。
涼しげな目元と高い鼻梁。厚みのある唇は男らしく、全体のバランスが絶秒だ。微笑むと印象がガラリと変わり、傍にいた歯科助手のお姉さんがうっとりため息をついたのも頷けた。
実際、壮悟も見惚れてしまったくらいだ。すぐに我に返って壮真の方を見たものの、好みの顔を前にして心臓のドキドキは少しもおさまらない。
壮悟は自分の性癖を理解している。高校二年に自覚した。誰にも伝えてはいないが、母親には気付かれているような気がする。結婚は一生することができないけれど、壮真の子供を楽しみに生きていくつもりだ。
「壮真くん、良かったね。羨ましいな。寒くないようにして行くんだよ」
「先生もラグビー好きなら、一緒に行こうよ。ママがインフルエンザで行けなくなったからチケットあるよ」
いきなりなんてことを言うのか。このキラキラとした目と屈託のない笑顔。さすがは五歳児。ある程度のことは何を言っても許される。
これが母親なら喜んでお誘いしただろうが、ここにいるのは壮悟だ。苦笑して弟を窘め、とにかく早くここを去ろうと壮真を手招いた。
「先生はお忙しいんだよ。ほら、そろそろ行こう。ご挨拶して」
「はーい……。先生、ありがとうございました」
「……。そうだな、久しぶりに行ってみようか」
「は?」
「中々行く暇がなくて、でも気にはなってたんです。ラグビーを知っている方と一緒に見る試合は、普通に観るより楽しいでしょうね」
「え……、いや」
「やったー! じゃあ先生も一緒に行こう! ボク、楽しみ!」
バンザイして喜ぶ弟を前では、無下にお断りすることもできず二の句を迷う。壮真は可愛いが、よく知りもしない男と一緒にラグビー観戦するほどフレンドリーでもない。しかも顔が好みだ。冗談ではない。こういう好みの男とは、無縁でいるに限る。
悲しいかな、イケメン好きは母譲り。ただし、眺めているだけでいい。どう転んだところで、女性からモテまくっている人間が同性に興味が向くなんてことはまずあり得ないからだ。うっかり恋なんてすれば、しばらくは立ち直れない。可能性がない恋ほどしていて苦しいものはない。それを、この短いゲイ人生でキッチリ学んできた。
どうしたものかと困っていると、歯科医院のメモ帳に走り書きされた携帯番号を差し出されギョッとする。
「私の番号です。チケット代は当日お渡しします」
「えっと……、でも」
「ここに番号書いていただますか?」
なんだろう、この意味なく迫力のある笑顔は。
断りたいのに、断れない。
「壮悟兄ちゃん、早くしてよー。帰って、仮面ラ●ダーのDVD観たい」
「だけどな、壮真」
「はーやーくー」
駄々をこね始めた弟と妙に迫力のある笑顔に完敗して、壮悟は仕方なく自分の携帯番号を書き出す。
一度限り、これっきり。一緒に観戦したからといってそう酷い目には遭わないだろう。壮真を間に挟んで、極力近づかず顔を合わせなければ大丈夫だ。
そう心に決めて、壮悟はメモ帳とペンを院長へ返した。
「ありがとうございます。それじゃ日曜日。会場で」
「……はぁ」
曖昧に笑って、院長の番号が記されてあるメモ帳を受け取り退席する。
受付へ引き上げるまでの通路で、若くて美しい助手の皆様から羨ましそうな視線が痛いほどであったが、こればかりは自分でなく院長へ直接言って欲しい。
嬉しそうに飛び跳ねる可愛い弟へ、しかし今回だけはなんてことを言ってくれたのだと嘆かずにはいられなかった。
◆ ◆ ◆
(本当に、来た……)
月末。日曜。ラグビー会場。
昨今のラグビー人気のお陰で長蛇の列ができており合流も危ぶまれたが、駅で待ち合わせすることにしていたので何ら問題なかった。
問題があるのだとすれば、駅構内で視線を一身に集めている院長自身だ。
私服姿もまた素晴らしく、悲しいかな心底好みの出で立ちで正面からは見ることができない。
上質なブラックのチェスターコートにオフホワイトのニット、黒のスキニーパンツが足の長さを存分に演出し、首元に巻いたカシミアのマフラーも非常に上品だ。
「先生、こんにちは!」
「こんにちは、壮真くん。壮悟くんも、こんにちは」
「こ、こんにちは」
何故、苗字ではなく下の名前で呼ぶのだろう。しかも「くん」付けとは、極力お近づきになりたくないこちらとしては、そういうのも正直困る距離感だった。
「今日、結構冷えましたね」
「そうですね。暖かいって予報では言ってたのに。壮真、寒くないか?」
「うん、大丈夫」
壮真に関しては母親がしっかり防寒させているので問題はないが、今にも雪がチラつきそうな冷え込み方に些か軽装だったなと嘆息する。とはいえ、今更どうすることもできないので我慢するしかない。
壮真の手を引いて駅を出て、三人揃って真っ直ぐに会場へと向かった。
人の流れがほぼ一本なので、歩きにくいことはない。壮真も手をしっかりつないでいれば迷子になることもないだろう。
多少待ちはしたが心配したほどの時間は食わずに、無事会場入りすることができた。それでも走って席を取りに行くなんてことは壮真がいるのでできず、正面ではあったが少々後ろの席を確保した。
壮真は初めて見る競技場に嬉しそうにはしゃぎ、試合前の練習をしている選手たちに早くも声援を送っている。そんな弟の姿を眺めているだけで来てよかったと思う。壮真を挟んで壮悟と院長が座り、このまま極力視界に入れないようにしようと、会場のモニターへ目をやった。
「わぁ、ありがとう先生!」
何事かとモニターから視線を壮真へ戻すと、可愛い弟は何故だか院長の膝の上に乗っていた。
「え? そ、壮真っ?」
「この方が見えるからね。ほら、壮真くん。あそこにチームマスコットがいるよ。踊ってるね」
「ホントだー!」
「こら、壮真降りなさいっ。先生に失礼だろっ?」
「いいんですよ。どうせなら、よく見えた方がいい。そうでしょう?」
「ですけど……。だったら、壮真。兄ちゃんの膝に」
「よ、っと」
壮真が座っていた席を詰めて、院長が隣に迫る。席ならまだ空いているのに、どうして席を詰めるのか不思議でならず、思わず声をかけた。しかし彼は意味深に微笑むだけで何も言わない。訳が分からず、壮悟は首を傾げるしかなかった。一体なんだというのか。
そのうち試合が始まってしまい、仕方なく集中することにした。久しぶりに生で観戦する試合は、純粋に楽しかった。選手ではなかったので試合に出たことはなかったが、マネージャーとしてスコアをつけたり配水係のための水を作ったりと忙しかったのを覚えている。
(懐かしいなぁ……)
ラグビー部に入ったきっかけは、仲が良かった友人からの誘いだった。
弱小部でマネージャーが来ず、引き受けてくれないかと頼まれた。その彼のことが好きなのだと気付いて自分がゲイだと分かったわけだが、当の本人はそんなこと知る由もなく可愛い彼女ができて嬉しそうに報告してくれた。報告を受けた帰り道、こっそり公園で泣いたのももう十年近く前のことだ。
近く、その彼女と結婚するそうでアパートに招待状が届いていた。昔から仲睦まじい様子だったので、上手く結んで良かったと今は心から祝福できる。
(……やっぱ、寒いな)
しくじった。日中は気温が上昇すると言っていたので、それを鵜呑みにしてしまった。ちっとも気温は上がらない。むしろ風が出てきて、寒いくらいだ。
薄いジャケットでは風邪を引いてしまいそうなくらいで、壮悟はハーフタイム中に温かい飲み物を買いに走ろうと心に決めた。
「え?」
ふわり、首元に触れる温もり。唐突もなく首にかけられた、カシミアのマフラー。
と同時の、会場内の大歓声。トライを決めたことがアナウンスされ、拍手と歓声の渦に包まれる。
だが壮悟はそれどころではない。隣を見上げて、自分の首にかけられたマフラーを見て、また隣を見上げた。
周囲の興奮が落ち着いてきた頃、にこやかに壮真と話している院長へ声をかけた。
「寒いよね。持ってきて良かった」
「いえ、大丈夫ですっ」
「駄目だよ。少し顔色が悪い」
いつの間にか敬語でなくなっている院長に困惑を強くする一方、改めて首に巻かれたマフラーのぬくもりと微かに香る彼の匂いにドキリとした。乱されたくないのに、心は大荒れだ。肩が触れ合う位置で、ドキドキしているのがバレやしないかと怖い。
顔がイケメンだとやることもイケメンだな、と大きく息を吸い込んで吐き出す。
何も考えるな。それだけを呪文のように繰り返した。
他意はない。何せ同性同士。漫画や小説のようなことにはならない。
落ち着け。落ち着け。なんでもない。何も起こらない。
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」
社会人として礼をきっちり口にし、再び試合へ集中する。
もう二度と自分からは彼を見ないことにして、声援を送った。
その後、何事もなく試合が終わり、サインを求めて前へ向かう観客に逆らって会場を出た。壮真にサインはいいのかと尋ねたが、お腹が空いたそうで首を横に振られた。サインより空腹を満たすことを優先するのが五歳児らしくて、苦笑する。
「じゃあ、帰りに何か食べて帰ろうか」
マフラーもちゃんと返却した。チケット代も貰った。これで何も繋ぐものはない。大丈夫だ。
「壮真ね、ハンバーグが食べたい!」
「はいはい。先生。マフラーありがとうございました。大変助かりました」
「仁彦です」
「え?」
「名前。仁彦」
「先生、きみひこってゆーの?」
「そうだよ。美都みと仁彦。覚えてくれると嬉しいな」
「ボクもう覚えたよ。仁彦先生。ね、壮悟兄ちゃん」
なんと言っていいのか分からず、小さく苦笑して頷いておく。名前を教えてもらっても、困る。もう関わる気はない。二度と逢うこともない。でなければ、もっとドキドキしてしまう。もっと気になってしまう。
これ以上は駄目だ。
「あの、先生」
「仁彦」
「き、……仁彦先生」
「ここは病院じゃないのに、先生?」
「で、でも、壮真は」
「壮真君は私の大切な患者さんだから」
本当に、何を考えているのかが分からない。
沈黙が落ちる。
ここで負けてはいけない気がした。これを譲歩すると、ズルズル彼のペースに巻き込まれそうだと思ったからだ。
「仁彦先生……、壮悟兄ちゃんのこと嫌いなの?」
「まさか。逆だよ。……すごく、好みだ」
「っ、かっ、からかわないでください! 壮真、行こう。それじゃ、失礼します」
強引に壮真の手を引いて、その場から離れる。
何が目的なのかは知らないが、壮悟はこの手の冗談が大嫌いだった。
男同士なのだから多少の冗談はつきものだ。けれどそれで高校時代は、内心とても傷ついていた。悲しかった。女顔の壮悟が女だったら付き合うのにと、笑いながら言われたこともある。
女性にはなれないし、なりたいとは思わない。壮悟は身も心も男で、だけど恋愛対象が同性なのだ。心が女性で体が男性も多いが、壮悟はそうではなかった。
「待って」
腕を掴まれ、呼び止められる。
強めに振りほどこうとしたが、無駄だった。
壮真の不安そうな目が気になって、声も荒げられない。悔しいが、待つほかなかった。
「時間をかけて伝えようと思ったけど、それだと君は逃げてしまいそうだから」
「……やめてください」
「やめないよ。君は私と同じ側の人間だろう?」
「っ……?」
「私は、ラグビーが観たくて今日ここに来たわけじゃない。卑怯だけど、コレが欲しかった」
そう言って仁彦が取り出したのは、壮悟の携帯番号が書かれたメモだ。
「君を見た時、すごく好みだと思った。だけど、壮真くんのパパだと思ったから……残念で。でもそうじゃなかった。恋人はいるの? 私にも可能性があるなら、諦めたくない」
「何、言って」
「君の可愛い顔も好きだけど、声がとてもいい。一つ一つ仕草に好感が持てる。字も綺麗だ。君のことをもっと知りたくてたまらないんだ」
なんてことを、子供の前で言うのか。
行き交う人も興味津々といった様子でこちらを見ている。
壮悟は顔を真っ赤にして、一生懸命腕を引いた。しかし壮悟では元ラガーマンの仁彦に敵うわけがない。
壮真を抱き上げて壮悟の腕を引き、仁彦は道路の端へ体を寄せた。
「仁彦先生、壮悟兄ちゃんのことが好きなの? チューしたい好き?」
「そ、そそそそ壮真っ?」
「だって、ママがチューしたい好きと、そうじゃない好きがあるって」
「先生の好きは、チューがしたい方の好きかな」
「先生ッ」
「仁彦」
「……。壮真に変なことを言うのやめてください」
「仁彦先生は、壮悟兄ちゃんのお婿さんになるの?」
「壮真っ、お前なんてことを」
「ママがね、壮悟兄ちゃんにはお嫁さんは来ないけど、格好いいお婿さんがくるんだって言ってたんだ。だから壮真もちゃんと『しゅくふく』しないとねって。ボク、『しゅくふく』するよ。できるよ?」
「……え」
真剣な顔で、一生懸命伝えようとする壮真。壮悟はなんと答えたらいいのか分からなくて、唖然と弟を見つめた。
やはり、母には気付かれていた。しかし先に壮真に伝えているとは何事だろう。人が必死に隠し通そうとしているのに。
壮真はまだ幼いから気付いてないだろうが、壮悟の恋愛がいかに歪なのかはその内知ることになる。その時、可愛い壮真に拒絶されたならきっと立ち直れない。
「壮真くんは偉いね。お兄ちゃんが大好きだもんね」
「うん、大好き! ママも壮悟兄ちゃんが好きだよ。パパも! パパはね壮悟兄ちゃんが連れてくる奴がもやしみたいなのだったら、やっつけるんだって。仁彦先生は大丈夫? もやしじゃない?」
「それは、大丈夫かな。パパとも仲良くできるから、安心して?」
言葉にならなくて、利き手で顔を覆う。驚愕と、安堵と歓喜と不安。色んな感情がせめぎ合い、壮悟を覆っていた。
母だけでなく、父にも気付かれていた。自分の息子がゲイだと知った時、二人はどう思ったのだろう。悲しかったに違いない。認めたくなかっただろう。それでも、認めてくれたのか。
「素敵なご両親だね」
「……、はい……」
「壮悟くん。まずは君を口説く権利を、私にくれないか?」
仁彦を見る。本気なのか。本当に、自分なんかを口説くつもりなのか。
彼のように顔が良いわけではない。ただ女顔なだけだ。身長も百七十センチ弱。そう低くもないが高くもない。酒は飲まないし、趣味と言ったら壮真にスイーツを作ること。面白味がないことは、自分が一番よく知っている。
いくらゲイとはいえ、仁彦なら選び放題だろうに、何故壮悟なのか。
「君を見た時、本当に吸い込まれそうだった。あんなこと初めてだった。嘘じゃない。お願いだ、……逃げないでくれ」
温かい手指に頬を撫でられ、ひどく間近で微笑む仁彦の顔を見上げる。
心底好みの顔だと、半ばうっとりとしながら仰いだ。
彼と自分とでは住む世界が違う気もするが、こんな風に告白されたこともなければ迫られたこともない。しかも相手は好みが服を着て歩いているような男だ。
恐怖心が甘く霞む。好奇心が疼き出して、壮悟の背中を押してくれる。
「ぁ、……甘いもの、お好きですか?」
「え? 甘い物? うん、好きだよ」
「俺、スイーツは作るのも食べるのも……好きなんです」
「うん?」
「……。いつもは壮真についてきてもらうんですけど、その、あ、の……」
「ありがとう。もちろん、お供させてもらうよ」
仁彦の返事に、壮悟の顔が嬉しそうに綻ぶ。それを見た仁彦は目を細め、壮悟の頬を優しく撫でた。道端で桃色の空気を巻き散らし、完全に二人の世界だった。
生まれて初めて恋が始まりそうな予感に、壮悟はフワフワした気分で仁彦に撫でられ続ける。仁彦も体を更に寄せて、壮悟の腰を抱いた。
「今日、この後なんだけど。良かったら――……」
「壮悟兄ちゃん! 仁彦先生! ボク、お腹空いた!」
甘い雰囲気をかき消す、壮真の雷。
ぷく~、と柔らかい頬を膨らませて二人を睨んでいる。
「あ」
「あ」
「なんで二人でお話するの! ボクもいるよ!」
「そ、そうだなっ。ごめんな? ハンバーグ食べに行こうか」
「壮真くん、先生も一緒に行っていいかな? 帰りにアイス買ってあげるから」
「……ボクのこと、仲間外れにしない?」
「しない、絶対しない」
「じゃあ、いいよ。アイス、チョコがいい」
「約束だ」
指切りしている二人に薄く微笑んで、三人並んでハンバーグの店へ向かう。
壮真を真ん中に手を繋いで、それだけでも壮悟には幸せだった。
「壮悟くん」
「はい?」
百九十センチ近い仁彦を見上げて、壮悟が返事をする。
顔を寄せられたので何かと耳を傾ければ、不意打ちにも唇が耳朶へ触れた。
「ッ?」
「可愛い」
「か、か、からかわないでください……っ」
「からかってなんかいないよ。可愛いものを可愛いって言うのは、普通だろう?」
「……ねぇ。またボクのこと仲間外れにしてない?」
「してないよっ?」
「ふふふ、本当に可愛いな」
楽しそうに笑う仁彦を軽く睨んで、顔を背ける。耳まで赤い顔を隠すのに精一杯で、壮真の顔を見られない。大通りでなんてことをやってくれるのか、もう少し場所を考えて欲しい。
それでも嫌な気はしないので、完全に仁彦のペースなのだろう。
唇で触れられた熱い耳に触れ、壮悟は小さく微笑んだ。
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