髄を灼く礫の群れ

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──初めて呑んだ酒は人間の欲を希釈して酩酊感をひとさじ添えた味がした。酒精の満たされた盃を飲み干したならば湖面に写る世界すらも己のものに出来そうな気がした。有り体に言えばひたすら、酔っていた。何にと問われたならばきっと「酒に」とは答えなかったろう。「酒を呷る己に」酔っていたのだと答えたはずだ。その程度には思考は明瞭で。 至極くだらない娯楽だと思った憶えがある。 次いでは煙草に火を灯した。薄くけぶる視界と鼻腔を抜ける煙の香、肺腑に回した苦い空気が意識を鮮明にすることはなかった。ただひたすらに、何とも思わなかった。舌に乗る苦味をもういちど体験したいという気分にはならずに、一本吸い切ってしまうこともなく穂先を灰皿で潰したのも記憶に新しい。 至極くだらない娯楽だと思った憶えがある。 満たされぬ孤独は此の毒となり、心を蝕んだ。 首の根を締め上げるのは怒りと哀しみ。 何故満たされぬ。何故渇く。 己が欲は過ぎたるものではないはずだと。 とある日、かの人は惰性で生きる俺に告げた。 「本は良い、本は良いぞ」と。 いわく「人の数だけ無限の世界が広がりその終幕までを見届けられる。まるで自分たちが生きるこの世のようではないか」と。「俺は浅学だ、文字とは到底縁遠い」と切って捨てるにはその言葉は生々しい実感と熱を持って心に潜り込み、またたく間に根を張った。 かの人はそれからたびたび、俺に告げた。 「物語を愛する心に障壁はない。誰もが自由に本を愛し、自らの糧としていくべきだ。 そうでなければ俺たちは何のために先人たちの書いたものを学び、その意図を幾度となく読み解いてきたんだ。意志を伝え語り継ぐ口があるのも過去に生きた人々の学びの結晶だろう」 かの人は俺に語る、滔々と。 かの人は俺にうたう、朗々と。 此の毒に苦しめられた俺に、明快な解を突きつける。 「物語の世界は、誰も拒まない」 ──根を張る熱が、芽を出し、花を成す。
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