4人が本棚に入れています
本棚に追加
/4ページ
【3】疑念
そして僕は成人し、遺産を相続すると共に事件の真相を知った。
母も元々、強迫性障害を患っていて、普段は薬を服用することで普通の生活を送れていたそうだ。
母の起こした一家心中の動機は、僕の誕生時の出来事で母が新たに患った精神病が犯行に走らせたのではないか、ということだった。
僕は元々双子で、母体の中でもう片方の胎児は死亡し、母の子宮に吸収され、僕だけが無事に誕生した。
だが母は、妊娠中に薬の服用を中断していたせいか、その事実を受け入れようとせず、自分の子宮では無く、僕に吸収されたと思い込み、嫌悪と憎しみの対象の僕を抱くことすら拒否した。
薬の服用を中断していたことで、強迫性障害による症状が極度の潔癖症という形で現れて、自分に死亡した胎児の組織が吸収されたとは絶対認められなかったのだろうと。
そして生れて数日の僕を床に叩き付けようとし、僕が生れてから半年の間、精神病院に入院していたのだ。
けれどその入院時での治療で、母は以前のように薬の服用をすれば安定するまでに回復し、僕の世話も喜んでするようになり、周りは安心し、弟妹も生れ、自然と『そのこと』は忘れられていった。
だが、何かのきっかけで、また違う形の精神病を患ったのではないかと推測されている。
しかし母は、精神病院に再入院することを恐れ、当時も強迫性障害の治療を担当していた主治医や父にも症状をひた隠しにして生活を送り、結果、精神が破綻したのではないかというのが警察の見解だ。
母の犯行の手口は、家族全員が寝静まると、まずガス漏れの探知機を切り、防犯システムを解除し、二階の階段からキッチンまでガソリンをまくと、ガス栓を開け、ガスで満たされたキッチンで煙草を吸った。
その時のライターの火が引火したのだ。
僕は母が喫煙することを知らなかった。
弁護士によると、子供達が寝た後に、よくキッチンの換気扇の下で煙草を吸っていて、父は母が直接『火』を使う煙草を吸うことを心配して、度々弁護士に相談していたらしい。
事件性は無いんですか?と問う僕に、弁護士は哀しそうに横に首を振った。
僕が一人だけ生き残った罪悪感は分かるが、全て家の中で行われていて、警察も家人で無ければ出来ない犯行だと結論づけた、君が温室にいるとはお母さんも気付かなかったのだろう、君が家から抜け出した直後に防犯システムを解除しているからと、丁寧に説明してくれた。
僕はそんなことを聞きたいんじゃないと叫ぶ代わりに、弁護士に深い感謝を述べ、全ての手続きを終えるとアメリカの大学に戻った。
僕の『些細な』疑問は解決した。
僕が父母から愛されず、虐待行為を受けていた理由。
母にとって僕は、自分の腹の中で兄弟を喰らった汚らわしい怪物だったのだろう。
そして父も同じ考えでいたことを。
ただ父は、それを周囲に隠す知恵が働いた。
父の腹の中に僕はいなかったし、精神的に問題がある母より冷静に振る舞えた。
ただ、それだけだ。
僕には生き残りの罪悪感なんて微塵も無い。
そんなことより考え続けていることが二つある。
あの爆発と火事の日の翌日、貯水他で子供の赤いスニーカーと赤い自転車が浮いているのが発見された。
誰の物とも特定されず、遺体も出なかった。
だが事件性があるという事で、警察が捜査を開始し、その赤いスニーカーと赤い自転車の画像を公開して情報提供を求めた。
僕は事件の後、検査入院をしていた病院のテレビニュースでそのことを知った。
僕は警察が公開したそのスニーカーと自転車を見て、直ぐにアリスの物だと分かった。
けれど誰にも言わなかった。
アリスのあの言葉。
「レンの不幸を全部消してあげる」
もしかして…アリスが?
でもアリスは僕と同じ、たった10才の子供で。
それに父母がこの世から消えて欲しいと心から願っていたけれど、弟妹のことをそんな風に思ったことは無い。
アリスに連絡を取ろうとしたが、僕の携帯電話は、温室の中にも、家の敷地内外の何処からも見つからなかったそうだ。
そして疑念は退院してからも益々膨らみ、僕はアリスが静養していると言っていた住所の『佐々木』さんの家まで行ってみた。
だがそこは、何十年も空き家で、辛うじて原型を留めている朽ちた建物だった。
ではクルクルと回っていたアリスの後ろに映っていた部屋は?
確かにあれは実存する『豪華』な子供部屋だった。
それとなく近所の人や友達に訊いてみたが、アリスを見た人は誰もいなかった。
すれ違っただけでもアリスを忘れる人などいない筈なのに。
アリスは本当に存在したのか?
そしてアリスの身の上話と、僕の誕生時からくる母の犯行動機がそっくりなのは偶然なのか?
そうして時は順調に過ぎ、僕は27才になった。
数時間前までは、ウォール街で働く若きアジア系エリート。
今は、20階建ての古びたビルの屋上に立って、死を選ぼうとしている。
僕は同僚の計略にまんまと嵌められて、明日にでもホワイトカラー犯罪でFBIに起訴されるのだ。
僕を嵌めた同僚のグレッグはとても良いヤツで、親友だった。
だがグレッグは自分の出した損失を僕になすり付けた。
僕は裏でグレッグの顧客から金を巻き上げ、ケイマン諸島にある自分名義のオフショア口座に振り込んでいたことになっている。
グレッグの罠は高度過ぎて、僕が自分の潔白を主張すればする程ボロが出るという始末だった。
僕は途方に暮れていた。
まさか親友に裏切られ、こんな犯罪に巻き込まれるなんて思いも寄らなかったが、それよりも、僕は不幸に見舞われる人生を繰り返すしかないのか、と絶望していたからだ。
日本じゃこんなに簡単に柵も無い屋上に上がれないだろうな、と思いながら屋上の縁に片足を掛けたその時だった。
「レン!そっち向きじゃないよ!」と鈴の音のような声がした。
僕はまさか、と思って振り返った。
アリスがいた。
アリスは僕と出逢った時から、全く変わらない姿をしていた。
変わったことと言えば、背が高くなったことぐらいだ。
10才の子供が14才の子供に成長したみたいに。
美くしく微笑むアリスの手には拳銃が握られていた。
「アリス…?」
僕が屋上の縁から地面に降り立つ。
「レン。君はどうやら不幸に愛されてるみたいだね」
アリスが余りにも楽しそうに言うので、僕も釣られて笑ってしまった。
「僕も同じことを考えていたんだ。
僕は不幸に見舞われる人生を繰り返すのかって。
絶望していたところだよ」
アリスが足元にある黒い袋のファスナーを開けて、蹴る。
するとグッタリとしたグレッグが転げ出てきた。
僕が驚きの余り、ポカンとアリスとグレッグを交互に見てもいると、アリスが僕に銃口を向けた。
「さあ、レン。両手を上げて」
アリスのあの独特のやさしい声。
僕は両手を上げた。
「屋上のギリギリまでそのまま後ずさって」
僕がアリスの言う通りにすると、アリスはにっこりと笑い、言った。
「君の不幸を全部消してあげる」
「…ああ、分かってる…」
僕の瞳から涙が溢れる。
「じゃあ銃声がしたら後ろ向きに、真っ逆さまに落ちるんだ。
絶対に身体を捻ったりしないで。
いい?」
「いいよ」
僕が頷く。
次の瞬間、アリスが引き金を引いた。
最初のコメントを投稿しよう!