【1】出逢い

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【1】出逢い

消してあげるよ、と彼は言った。 君の不幸を全部消してあげる、と。 僕はその時、気付かなかった。 今日は四月一日。 エイプリルフールだと。 嘘をついても良い日だと。 だから、あれは彼の嘘だと信じていた。 いや、信じていたかったんだ…。 僕は一家心中の生き残りだ。 僕が10才の時、母がガス漏れを利用し、父と4才の弟と2才の妹を巻き添えにして、火事を起こし、母も死んだ。 僕はその時間帯に、たまたま家の敷地内の温室にいて助かったのだ。 東京郊外にある代々名家と呼ばれるの我が家の敷地は広く、母が趣味で温室を開ける程で、僕は良く夜中に温室に忍び込んでは漫画を読んだりゲームをしたりしていて、時には朝まで眠ってしまったりしてもいた。 父母はおおらかな人で、宿題、食事、風呂などを済ませていれば、温室にいても怒ることは無かった。 家の敷地内だから安全というのもあっただろう。 何しろ名家らしく、防犯対策は万全だったから。 不幸中の幸いだと、誰もが口々に言った。 父母の両親は共に他界していて、父は一人っ子で、母には姉がいたが折り合いが悪く絶縁状態で、僕は生まれてから一度も会ったことが無かった。 そんなこんなで、これまた代々うちの顧問弁護士を務めている弁護士事務所の所長だった顧問弁護士が、僕の未成年後見人となり、僕は成人した。 顧問弁護士はとても良い人で、突然天涯孤独となった僕の為に、生活に不自由が無いようにと奔走してくれた。 正に実の親のように。 弁護士の妻もとても良い人で、子供のいない彼女は、僕に実子の如く愛情を注いでくれた。 顧問弁護士夫妻は僕の学校行事には必ず参加し、卒業式や入学式にも参列してくれた。 僕の育ての親だ。 感謝してもしきれないと今でも思っている。 だが、あの日、四月一日。 『彼』に言われたことは、誰にも話していない。 親同然の顧問弁護士夫妻にも。 『彼』と初めて出逢ったのは川沿いにある遊歩道だ。 もうすぐやってくる夕暮れに、朧に輝く桜が美しかったことを良く覚えている。 そして川を見ていた『彼』がそれ以上に美しかったことも。 『彼』は鈴の音のような声で「初めまして。間宮(まみや)さんの家の子だよね?僕はアリス」と言って微笑んだ。 僕はアリスの美しさに固まってしまっていて言葉が出なかった。 子供ながらに10頭身は有りそうな細くスタイルよ良い身体つき、真っ白な頬、すっと通った鼻梁、それこそ桜色の唇、小さな白い顔の半分はあるのではないかというくらいの大きな丸い瞳は薄茶で、睫毛はアリスが瞬きをする度にバサバサと音がしそうだ。 腰まである髪はストレートで、薄茶の瞳と同様に薄い茶色で、川面の光を反射して艶々と輝いている。 そんな子供を見たのは初めてだった。 アリスが少し眉を顰めて小首を傾げる。 僕は慌てて口を開いた。 「初めまして!ぼ、僕は、そう!間宮(れん)!小学校5年生!」 アリスの顔がぱあっと輝き、「レンくんかあ!年はいくつ?僕は10才。小学5年生だよ」と笑う。 キラキラと音がしそうな笑顔だ。 僕も笑って「同じだよ!僕も10才で小5!」と答えた。 アリスと目と目が合う。 心臓がドキドキと脈打ったその時、僕の携帯のアラームが鳴った。 16時50分。 僕の家の門限は17時なので、遅れないように10分前にアラームを設定しているのだ。 僕は本当に残念だったけれど、「帰らなきゃ。門限が5時なんだ」と言った。 アリスがニコニコしながら「じゃあ30秒、僕に頂戴」と言う。 僕が30秒…?と戸惑いながら「いいよ」と答えると、アリスもジーンズのポケットから携帯を取り出し、僕達はメッセージアプリの連絡先を交換した。 僕は走って帰宅した。 一度だけ振り返ると、アリスはまだ川面を見ていた。 そして一日のやるべき事が全て終わると、僕は温室に行った。 温室の電気は点けずに、アウトドア用のランタンの灯りの下、勉強をする。 宿題は済ませて母に確認も貰っている。 それでも僕は、毎日必死で勉強していた。 僕は自慢でも何でも無く、『神童』と呼ばれるくらい頭が良い。 隣町の私立の小学校に通い、成績は常にトップだ。 スポーツだって万能だ。 でも、足りない。 この地獄から抜け出すには。 近所の人達や弟妹には、僕は自分の意思で〜完璧な自分だけの子供部屋が用意されているというのに〜温室が大好きで、そこで趣味にふけって眠ってしまうこともある、ということになっている。 『神童』にありがちな気まぐれだと。 だが事実は違う。 僕が夜、自分の部屋で過ごしていいか、眠ってもいいか決めるのは父母だ。 そして最低でも週に5日は温室に行かされる。 父母は僕を嫌っている。 いや、嫌っているどころか忌み嫌っていたのだ。 その理由を知ったのは成人して、父母が残した遺産を相続した時で、まだその頃の僕は父母に『嫌われている』ということしか理解出来ていなかった。 嫌われている僕は、父母の言いつけを守らなければ『罰』を受けるからと、恐怖の中で父母の命令に従っていただけだ。 だが狡猾な父母は、世間体を守る為に、僕に十分過ぎる『生活』をさせた。 けれど一日の終わりに、僕とひとつ屋根の下で過ごすことが我慢ならなかったのだろう。 僕が小学校に上がるタイミングで温室は完成し、母は蘭を育て始めた。 そして僕に新たな命令が下った。 『指示された夜は温室で過ごすこと』 『戻るなと言われたら、温室のベッドで朝まで眠ること』 父母はそれでせいせいしたかも知れないし、僕を痛めつける材料を一つ追加出来て嬉しかったかも知れないが、僕の方がはるかにせいせいしたし、嬉しかった。 一挙手一投足を監視される家での生活なんかより、よっぽどリラックス出来て、温室にいる時だけは楽に息が出来た。 それに父母の他人を欺く為の信条の、僕に十分過ぎる『生活』をさせるという項目は温室にも反映されていて、温室には清潔な簡易ベッド、サイドテーブルと椅子、小型冷蔵庫まで揃えてあった。 それに父母の命令は温室に行けというだけだったので、父母からすれば、自分達が管理している過酷なノルマの勉強を、それ以上するとは思っていなかったらしいが、僕は勉強していた。 それには明確な理由があった。 せめて大学は、父母にも止められないであろう海外の一流大学に行くと決心していたからだ。 見栄っ張りの父母が、留学を納得せざる得ないような大学に。 そしてこの家と縁を切る。 その為に僕は、電気を点けることを禁止されている温室で、ランタンの下、勉強を続けていた。 そしてアリスに出逢ったその夜、アリスから携帯にメッセージが届いた。 アリスの『レン、今何してる?』というたった一言のメッセージから、僕の世界は変わった。 
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