年上の男

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年上の男

***  教えることがないというのも退屈なものである。暇を持て余している時間に睡眠不足の不調が重なり、エアルはふわあとあくびが出た。  目頭に溜まった涙を指でつまむようにして揉む。気を抜いていたところに、空から少年の声が降ってくる。頭を上にして見ると、フリューゲルの杖で方向転換させながら、カリオが楽しげに小鳥と戯れていた。  翼も生えていないただの人間なのに、杖を自在に扱いながら空を飛ぶカリオの姿は、遠い記憶の彼方にいる同胞を思い出させる。 「ねえ、エアル。この小鳥はなんていうの?」  カリオは空中でくるっと回転し、エアルに見えるよう小鳥を指差した。 「それはヒバリです。大きさから見て、まだ巣立ったばかりでしょう。あまり疲れさせないようお気を付けください」  カリオは「そうだよね」と頷く。 「エアルがもうお家に帰りなさいって」  人間の言葉がわかるわけではないはずだが、カリオのその一言でヒバリは敷地の森へと帰っていった。  ヒバリを見送ったあと、カリオがゆっくりと飛行訓練場のバルコニーへと降りてくる。足先で着地するフォームは、エアルが教えた通りに再現されている。  ザウシュビーク王国の第二王子であるカリオは、ローシュの異母弟だ。第一王子のローシュより三つ下の十五歳で、最近ようやく声変わりを終えた。  兄のローシュは十五にもなると一気に背が伸び、大人の雰囲気を纏い始めたが、カリオの本格的な成長期はもう少し先らしい。濃いブラウンの癖毛と鼻周りのそばかすが、まだまだ幼さを感じさせる。なで肩で筋肉のついていない細身の体は頼りなく、まるで貴族が大事に飼っている小型犬のようだ。 「ヒバリってどんな鳥なのかな」 「今度お教えしましょうか?」 「ううん。まずは自分で調べてみるよ」  カリオは屈託のない笑顔をエアルに向けた。 「明日からは回復魔法の授業も平行して進めていきますが、何か疑問点や躓いている所はないですか?」 「うーん。今のところないかな」  慌ただしく布で杖を拭きながら、カリオが答える。 「そうですか。今日はまた随分と忙しそうですね」 「このあと考古学の授業なんだ。その前に図書館に寄ろうかなって。ヒバリの生態も知りたいしね」  飛行訓練用の靴から通常の靴に履き替えると、カリオは「今日もありがとうございました」と一礼し、城の中へと戻って行った。  どの家庭教師にも、律儀に礼をいちいち伝えているのだろう。カリオは各教科の家庭教師陣からの――特に高齢の家庭教師たちからの評価が高い。  兄のローシュが体育会系のリーダータイプだとすれば、カリオはどれも平均的にこなす優等生タイプだ。それぞれ城内で彼らを悪く言う人間はいないものの、外見にしろ中身にしろ、血が半分も繋がっているとは思えないほど似ていない兄弟である。  もちろんエアルからしても、総合的に評価が高くなってしまうのはカリオの方だ。 エアルはぽつりと独りごちる。 「ローシュ様もカリオ様ぐらい器用にこなしてくれればよいのだけど……」  結局飛行訓練に苦手意識を抱いたまま、ローシュは四日前に十八歳を迎えた。  飛行訓練は体重が軽く、まだ体の育ちきっていない幼い頃に身につけるのが良いと考えられている。大人の体に成長した今となっては、ローシュが空を飛べるようになるのは至難の業。もはや絶望的だろう。  飛行訓練に使用したバルコニーを片付けたあと、エアルは一人城内に戻った。  レイモンド王に突発的に呼び出されたのは昨晩。日付が変わる直前のことだった。小屋の中で眠りにつこうとしていたとき、城から馬でやってきた使いの者にエアルは呼び覚まされたのだ。  理由はもちろん、レイモンドの捨てる場所のない性欲を満たすためである。四十代を迎えても、レイモンドの性欲は衰えることを知らない。  それに最近、夜の相手として声がかかる頻度が多くなった。しかも粘着的な遊戯に拍車がかかっている気がする。昨晩は両手を紐で後ろに縛られながら、ガツガツと激しく犯された。  行為は今朝まで続き、一睡もしていない。朝に一度小屋に戻ったが、エナガに餌をやり、体を拭くうちにあっという間に時間は溶けた。  早く帰って眠りたい。腹も空いた。小屋に帰る前に、菜園の庭師に会いに行こう。昼前までに行けば、朝に採れた野菜や果物の下等品をもらえることが多いのだ。  エアルは痛んだ腰を抑えながら、廃棄予定の食材をもらうため、庭師の元へと向かうことにした。  さっき別れたばかりの声が聞こえてきたのは、廊下の角を曲がろうとした直前だ。 「僕はこれから考古学で……に、兄さまは馬術のお稽古でしょうか?」  角の端からちらりと顔を出して見る。廊下の少し先にいたのは、ローシュとカリオだった。 「いや。今終わったところだ」 「そ、そうなんですね。えっと……つ、次は何の授業に向かわれるんですか?」  カリオのぎこちない一問一答に、ローシュはキリッとした表情を変えない。「なんだっていいだろう」と答える様子は、早くこの場を切り上げたそうに映った。  ふと目線を上げたローシュの視線に捕まる。顔を合わせるのは、ローシュの誕生日の晩以来だ。目が合った瞬間、夜伽の手ほどきをした場面がフラッシュバックしてドキッとした。
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