鳥籠の天翼

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「エアルって何歳なんだ?」  飛行訓練には関係のない質問に、エアルは眉に皺を寄せた。 「さあ、細かくは覚えていませんが、四百は超えているかと」 「今日歴史の授業でフリューゲルのことを習った」 「そうですか。教科書に載っていたフリューゲルの絵は私にそっくりだったでしょう」  エアルは鼻で笑う。  自身の顔の美醜なんてどうでもいいが、人間からすると自分を含むフリューゲルの顔は彫刻のような造形をしているらしい。美化された自身の姿が歴史の教科書に載っているのを見たことがある。その絵を見た者から言わせると、よく似ているのだそうだ。 「うん。フリューゲルはみんなエアルと同じ顔をしていたの?」 「さあ、とうの昔に忘れました」 「わからないの? エアルはフリューゲルの生き残りなんだろ?」  矢継ぎ早に放たれる無垢な問いかけにイラッとする。歴史で習ったのならわざわざ自分に訊く必要はないだろう。 「この国では私がフリューゲルの唯一の生き残りだと言われているようですが、実際のところは私にもわかりかねます。私はこの国以外を――外の世界を知りませんから」 「そうなのか?」 「ええ。ザウシュビーク王国から逃げたり、この国の中で攻撃魔法を使ったりすると、寿命が縮んでしまうんです。ローシュ様にこうやって飛行技術をお教えすることもできなくなるでしょう」 「……どういうこと?」  ローシュは首をコテッと横に傾げる。 「呪いです。寿命が削られるほか、私は羽が腐り落とされる呪いを掛けられているんですよ。この国から永遠に逃げられないようにね」  フッと薄気味悪く笑ってやると、ローシュはゴクリと唾を呑んだ。子どもとはいえ怯えている顔はあまりにも頼りなく見える。なんてアホ面なのだろう。  脅し過ぎたか。エアルは少し反省し、相手の意識を逸らすように、王子の目の前でパチンと両手を叩いた。次の瞬間、ローシュの頭の上にポンと一輪の花が咲く。紫色のそれはオダマキだ。花言葉には愚か者という意味がある。  ローシュはオダマキの花言葉を知らないはずだ。ただバカにされたということだけはわかるようで、たまに魔法でこの花をローシュの体の部分に咲かせてやると、みるみるうちに膨れっ面になるのだった。 「またおれにウソの話を教えたなっ」  ローシュは自身の頭に生えた花を引っこ抜き、地面に投げ落とした。  オダマキは所詮ローシュの恐怖のエネルギーを変換させて生成した花だ。茎に土はついておらず、花は小さな足元で地面に吸い込まれるように消えた。 「素直さはなくてはならない気質ですよ。未来の国王様」  国王様、の部分を強調して嘲笑う。ローシュはぐぎぎ……と歯嚙みしてエアルを睨み上げた。 「嘘つき! エアルに呪いがかかってるなんて、聞いたことないからな! むしろエアルがこの国の呪いだってみんなが――……」  ハッとなったローシュが、小さな両手で自身のおしゃべりな口を塞いだ。  ローシュが何を言わんとしたのか。長年この城で暮らしてきたエアルにとって、それを察するのはあまりにも容易いことだった。  ザウシュビーク国の王族には、昔からよからぬ言い伝えがある。それはエアルの呪いによって歴代の王妃たちが出産後に必ず体を壊し、早世してしまうというものだ。  ローシュの実父であり、かつ現国王であるレイモンドの曾祖父の代――つまりローシュから数えて四代前の王が健在だった頃より、城内に蔓延(はびこ)る言い伝えである。  実際はエアルのことを一方的に毛嫌いしていた当時の王の側室が流した、ただの噂に過ぎない。  たしかにエアルがこの城に囲われるようになってからというもの、子を産んだ王妃や側室たちが原因不明の病に侵され次々と亡くなったのは事実だ。  だがエアルは何も手を下していない。呪いをかけられることはあっても、呪いをかけるような魔法をエアルは――フリューゲルは覚えることができないのだ。  それにいくら人間という種族が嫌いでも、歴代の王妃や側室一人一人に対しての恨みはなかった。生まれたばかりの赤ん坊は純粋に可愛かった。たとえいつかは憎たらしい大人の人間に成長すると知っていてもだ。  乳飲み子から母親を奪うような真似をするなんて、雨粒の一滴ほども考えたことがなかった。  最初の数十年は、自分のせいじゃないと舌の奥が痛くなるまで訴えた。この城の中で、自身の潔白を当時の国王や使用人たちにわかってもらおうと必死だった。  指の隙間からこぼれる噂を自分の手で拾おうとしなくなったのは、いつの頃だったか。先々代の王の元へ嫁いだ隣国の王妃と初めて顔合わせをしたときだ。  当時の王妃は肩まであるブラウンの巻き髪と大きな瞳がチャームポイントの、小柄で人懐っこい小動物のような女性だった。一見感じは悪くなかったが、無意識なのか会話の節々に嫌味っぽいところがあった。 「貴方があのフリューゲルね。私の国でもお噂はよく聞くわ」  挨拶の際、王妃はそう言ってにこやかに笑いつつ、握手するつもりで差し出したエアルの手に触れるどころか、見ようともしなかった。まるでエアルの手が、そこに存在していないかのように。 「でも私は孫の代まで長生きしたいの。どうかお手柔らかにお願いね」  王妃から悪意は感じられなかったものの、エアルはこのとき悟ったのだ。自身に対する悪いイメージは、自分にはどうにもならない所でどうにもならないほどに膨らみ、そして広まっているのだと。  それ以来、城内のあちこちで自分の噂を耳にすることがあっても気にしないことにした。訂正もしなければ、黙らせたいがために相手を一瞥することもしない。今となっては眉一つ動かすこともなくなった。  勝手に言っていればいい。所詮自分にとって今生きている人間たちは皆若造であり、そのくせ自分より先にどうせ死ぬ老人なのだから。  結局長生きすることを望んでいた王妃も例に漏れず、ローシュの曾祖父を産んだ数ヶ月後にこの世を去った。
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