大人になる洗礼

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 麻のローブを着た状態のまま出迎えたことが、気に障ったようだ。エアルを見た瞬間、剣のように意思の強さを表した眉の角度がより鋭さを増した。 「寝坊したのか? まだ寝間着のままじゃないか」 「本日は夜までお暇をいただいていますので、一日この姿でいようかと」 「休み? 聞いてないぞ」  まるで知らせていないことが例外だと言わんばかりの男の態度に、エアルは呆れる。 「べつに毎度毎度私の休みをお伝えしていないでしょう」  小馬鹿にしたように小さくため息をつくと、ローシュは顔を赤くした。 「とにかく今すぐ着替えて俺と一緒に来い」 「は? 嫌ですよ」 「嫌って……エアルおまえなぁ! これは命令だぞ」 「一応私の主は現国王であるレイモンド様です。私に何か命じたければ、王になってからにしてください」  言い終わると同時に、エアルは重ねた両手を伸ばし、窓の外に出した。パチンと手を叩き、ローシュの肩と頭にオダマキの花を咲かせてやった。  オダマキの花言葉を、成長とともに知ったのだろう。ローシュが初めて花言葉の意味に触れたのは三年ほど前。腰のあたりに花を咲かせてやった際、「愚かで悪かったな」とふて腐れた。  エアルはその後も、こうして体に花を咲かせてやっては、生意気な王子の減らず口をよろめかせてきたものだ。  ローシュは慣れた手つきで自身の体から生えた花を引っこ抜いていく。 「いい加減こんな子ども騙しみたいな真似はやめろと言ってるだろ」 「まだまだ子どもじゃないですか。今だって空を飛んでくればいいものを、まだ移動に馬を使ってらっしゃる」 「そ、それは……人には向き不向きがあるんだよ。エアルだって、剣を持たされたら急には振れないくせに」 「私は剣を持ちませんよ。この国で剣を持つことを許されていないので」  ローシュは「そんなことは知ってるさ。もののたとえだ」と声を張った。  そのときだ。王城の方角から、大砲の大きな音が鳴り響いた。二発、三発と空を割る音が放たれるたび、森の中に身を隠していた鳥たちが一斉に空へと飛び立つ。鳥の羽ばたく音を追いかけて、葉のざわめきと木々のしなる音も聞こえてくる。  朝に鳴る三回の砲弾の音――それは王族の誰かが誕生日を迎える当日に放たれる祝砲であり、ザウシュビーク国の慣習だ。  今日がローシュの十八歳の誕生日であることを、エアルはもちろん忘れていたわけではない。ただこの何百年と、何人もの王族の誕生日を迎えるたび同じ祝砲を耳にしてきたのだ。今さら特別感がないだけで。  祝砲を終えて少し経ってから、再び森に静寂が戻る。 「そういえば本日はローシュ様のご生誕日でしたね」  エアルがすっかり忘れているとでも思っていたのか、ローシュは豆鉄砲を食らったみたいな顔をする。 「覚えていたのか」 「今思い出しました」 「ほんっとに、いちいち嫌味な言い方をするやつだな」  ローシュは腰に手を当て、怪訝そうに眉をひそめる。 「早くお戻りになられた方がいいのでは? もうすぐ式典のお時間でしょう」  正午には国民に向けて言葉を寄せ、夕方から夜にかけては各国から集った要人を招いての祝賀会が開かれる。こんな所で時間を持て余している暇はないはずだ。 「エアルが一緒に来ればすぐ戻る」  ローシュは懲りずにエアルが王城へと向かうことを要求してくる。  面倒くさかった。エアルは窓の枠に両手を掛ける。ローシュの視界からフレームアウトするように膝を折り、体を沈ませた。 「なぜ私が行かなきゃいけないのですか……」 「教育係のエアルが式典に参加しないのはおかしいと思ってな」 「何もおかしくないです」 「おかしいだろ。アンドレも家庭教師の先生方も出席するんだぞ。逆に俺は訊きたい。なぜ数多くいる教育係の中、エアルだけが出席しないんだ?」 「それは……」  思わず祝賀会の後のことを口走ってしまいそうになる口を、エアルはキュッと結んだ。  ローシュも知っているはずだが、ザウシュビーク国の王子たちは皆十八歳の誕生日を迎えた夜に、大人の洗礼を受けることになっている。  大人の洗礼とは、男の王族のみに与えられた特別な儀式だ。内容は夜伽――セックスを経験することで、相手を悦ばせる術を学ぶというもの。要は初体験を済ませる機会を与えられるというわけだ。  実際成年王族として公務に出たり、結婚が可能になったりするのは二十歳を迎えてから。ただ肉体に関しては、この国では男児は十八歳になると同時に、立派な大人になると考えられている。  任された数ある仕事のうち、逃れられないエアルのもう一つの仕事。それがこの相手役として王子たちにセックスを経験させること、そして性技を教えることだった。  エアルがザウシュビークに連れて来られる前は、城下町の一角にあった花街の高級娼婦がその役割を担っていたという。だが王族の相手をした娼婦が街に戻ったあと、行為の全貌を周りに話してしまったり、娼王子と娼婦が恋愛関係になったり、王子が娼婦を妊娠させてしまったり……と、トラブルが絶えなかったそうだ。  そんな俗世的な男女のトラブルから王族を守りたかったのだろう。行為をしても妊娠しない、女のような見た目でありつつも女ではない人外のエアルが適任だと、アリック王は考えたのだ。  エアルの初めてを奪ったのは、何を隠そうアリック王だった。  その後も、一体何人の王族と交わってきただろうか。ローシュと寝ることも、ローシュが生まれたその日から決まっていることだ。  生誕の祝賀会の後で、エアルはローシュに大人になる洗礼を施さなければならない。ローシュの童貞を卒業させなければならないのだった。  今晩洗礼があること自体は知っているはずのローシュも、さすがに相手がエアルであることまでは知らないのだろう。今の時点で相手が自分だと聞けば、苦手な飛行訓練から逃げなかったローシュでさえさすがに逃げてしまうかもしれない。  日中が休みになっているのも、夜の準備をするためだとは、ローシュに話すことはできない。ここは一つ、嘘で誤魔化すしかないと思った。  エアルは大息をつき、地上に向かって言う。 「ローシュ様もご存知でしょうが、私は城内の人間から嫌われているんですよ。人が集まる国の行事には、なるべく参加したくないんです。私はこの国の『呪い』ですから」  呪い、の部分を強調する。昔ほど言ってはこないが、以前ローシュに言われた言葉をあえて口にしてやった。  眉一つ動かさなかったローシュが、少し考えてから言い放った言葉は、 「なおさら参加するべきだ」  だった。  頭がつーんと痛くなる。 「私の話を聞いていましたか?」  子どもを諭すような口調で尋ねると、相手は「もちろんだ」と胸を張った。 「エアルが祖母や母上を呪い殺した過去は変えられない。だったら、せめて彼女たちの代わりに俺の生誕日を見届けるのが筋だと思うけどな」 「はああぁっ?」  平然と言う男に、エアルはカチンときた。なんて滅茶苦茶な道理だ。  これまで自分に着せられた濡れ衣に対して、エアルは否定も肯定もしないことで抵抗してきたつもりだ。その甲斐あって、王族連中から忌み嫌われても、使用人たちに陰口を叩かれても別段気にならなくなっていた。  だが、ローシュの目があまりにも真っ直ぐだからだろうか。断罪されると、無性に腹が立った。言い方なのか。正義感の強さが癪に障るのだろうか。自分はやってない。自分は呪われた存在じゃないと否定したくなる。  ローシュは祖国の歴史を学んだ少年時代から、エアルのことを母親と祖母を呪い殺した存在として認識している。顔も覚えていない母親と祖母を引き合いにして、度々棘のある言い方でエアルを追い詰めてくるのだ。  けれど、言葉は強くても憎しみを向けられているようには感じられないのが不思議だ。事実ではない噂を、ただ事実としてエアルの前にポンと置いてくる。そこに感情は乗せない。そういう所がより一層、こちらの腹立たしさを煽ることも知らずに。   エアルはむかむかする気持ちをなんとか抑え込み、深呼吸をする。引きつりそうになる顔に硬い笑顔を張り付ける。 「では暫しそこでお待ちください。今すぐ着替えてきますので」 「ああ。俺の誕生日といっても、わざわざ着飾らなくていいからな。おまえは好きな恰好をすればいい」 「もち、ろん、です!」  語尾を強めに切り、エアルは一張羅のローブを物体移動魔法によって手元へと引き寄せた。  今日で十八歳になったわんぱく王子は、十五歳を過ぎた頃から急激に背が伸びた。今ではエアルの背をゆうに抜き、頭一つ分ほど高い。  手足も昔は枝のように細い少年だったが、成長期とともにしなやかな筋肉が全身に定着していった。  子どもの頃は癖が強く見えた彫りの深さや眉毛の濃さも、骨張りのない形のいい骨格に馴染んでいき、今では王子という肩書がなくても色男に部類されるほどのいい男になった。数年の間に、随分と男らしい精悍な顔つきの青年へと成長を遂げたものである。  とはいえ、少なくともエアルにとってローシュの中身は十歳前後のまま。年齢を加味したところで、所詮子どものままだ。  子ども相手にイライラしてもしょうがない。本日の主役を式典に遅刻させたら、またレイモンド王やアンドレから何を言われるかわかったものではない。  エアルは一瞬で着替えたあと、翼を広げて小屋の窓から飛び立った。飛ぶことができないローシュが馬で必死に追いかけてくる様子を見下ろしながら、エアルはざまあみろ、とほくそ笑んだのだった。
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