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 初日の営業は、まずまずだった。  物珍しさも手伝ってか、客はぼちぼちと、だが絶えずやってきた。  己の人生の歌を聴いたあと、たいていの客は 『つまらない、よくある人生だ』 と口にする。  それでも、ブリジッタが不満を言われることはめったにない。  おそらく客は、歌のなかに見出すのだろう。  自分の人生にしかない、大切なものを。  夕刻には最初の客だった娘が、友人のお針子たちを連れてきてくれた。  彼女ら、ひとりひとりの人生を、ブリジッタは夕焼けの残る空に一番星が輝くころまで、ていねいに歌いあげた。  ―― 街で貧しい母の元に生まれ、里子に出されて、また街に戻る。狭いアパートで暮らし、1日中仕事をし、学生たちに恋を仕掛けられ、ときめき、失望し、また新しい恋を見つけ……   似たり寄ったりと言えばそれまでだけれど、ひとつとして同じものはない。  詞も、調も、メロディーも、みんな、そのひとだけのもの。  そしてどの歌も、とても美しい。  娘たちが笑いさざめきながら去り、ブリジッタが店仕舞いを始めたとき。 「おい、そこの女」  いかにも傲慢そうな声が、背後から聞こえた。 「おまえだ、女。そんな()()をしているが、女だろう」  内心で舌打ちをしつつ、ブリジッタが振り返る。そこには、はちきれそうな腹を贅沢な衣裳に包んだ男がいた。 「なかなか良い声だったぞ、女。それに 『人生を歌う』 というのも面白い」 「…… おそれいります」 「ボクの屋敷に来い。下賎な貧乏人どものために歌ってやるには、おまえの声は上等すぎる。これからは、ボクとボクの客のためだけに歌え」 「お断りします」  退屈な金持ちは、新奇なものにいくらでも金を出す。だからこそ男は、ブリジッタに目を止めた。  磨き込み、着飾らせれば、珍しい小鳥として自慢できる…… そう、踏んだのだ。  だが、拒絶されるとは思っていなかったのだろう。  男は、しばし目と口をぽかんと開けてブリジッタを眺め、それから顔を真っ赤に染めた。 「生意気だぞ! その日暮らしの、食うや食わずの旅芸人のくせに! このボクが招いてやっているのに、なんだ、その態度は! いいから来い! さもなくば、お父様に言いつけて、この街で商売できなくしてやる!」 「だったら、次の街に行くまでです」  手首を捕まれても、ブリジッタは怯まない。  男の目を見つめ、静かに歌いだした。  
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