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野外音楽堂は大公園の敷地内にあって、たくさんの木々がその周囲に生い茂っている。新緑の季節である初夏に爽やかな風が吹くと、陽光を浴びる幾千もの木の葉がその健やかな生命力を煌びやかに乱反射させるから、心がワンステップ豊かになるような浄化作用を伴う。
そんな木々の下で、ひとつだけポツンと配置されたベンチに君と座っていると、上空から葉ずれ音が小波のように聞こえてきた。
俺は見上げながら、
「風が歌ってるね…」
ついさっき、久しぶりの野外ライブを見終わった後だから感情が昂っていたのだろう、なんだかやけにクサイ言葉が口をついて出てしまった。それでも君は俺の心の更に奥を見透かしたように言った。
「笠原もあんな風にになりたいんでしょ」
かつて、"風が歌うように歌う"それだけが俺の生きる道標だった。それが今じゃもう墓標のように響くから困る。バンドもとっくの前に解散し、もうステージに立つ機会はほとんど無くなってしまった…。いやそれとも、君が言ったのは、さっき野外音楽堂でワンマンライブをしていたあのバンドのボーカルのことだろうか。『あんな風に』なんて言うから、風のことなのかボーカルのことなのか、俄には判断できなかった。
君にそう言われてしばし過去を反芻していると、さっきよりも少し激しめの葉ずれ音が辺りに響き渡り、そよ風はちょっとした突風に発展しそうな様相を呈した。すると突然、ベンチのすぐそばに小さな竜巻が現れ、地面にあった枝や枯れ葉なんかを衝動的に巻き上げた。俺は君を守る姿勢を取りながら、とっさにしゃがんで目をつぶった。
※
目を開けると俺は、さっき終わったはずの野外音楽堂のステージ上に、ギターを持って立っていた。少し離れた所には、同じステージ上にベースを片手に立つ君がいて、振り返るとかつて一緒にバンドを組んでいたドラマーまで、ドラムセットに囲まれ鎮座している。
そして眼前には、たくさんの観客が客席を埋め尽くして、演奏が始まるのを今か今かと待っているような雰囲気だ。話すか演奏するかしてその場を取り繕わざるをえない状況だと悟ったその時、
「お〜い、笠原く〜ん。どうしたー?急にうわの空になっちゃって」
ドラマーのニコルに唆されて、なんとかとっかかりを掴む。
「い、いや。あまりにもこの景色が、その、信じられなくて…つい見惚れてしまってた。だってこんなに大きな会場にこんなにも多くのお客さんがつめかけてくれてる。てか次、何曲目だっけ?」
「またまたー、しょっぱなからあからさまにボケるのやめてよー。まだ最初の曲っしょ!早く始めないとお客さんに失礼失礼!」
客席のそこかしこから笑い声が聞こえてくる。
まだ一曲目だったか…。それよりも久しぶりの演奏だが大丈夫だろうか。しかもこんな大きな会場で演奏するなんて初めてのこと。それでもこの時は、不安よりも高揚感の方が勝っていた。なんと言っても"夢の野音"で演奏できるんだ。こんなにたくさんのお客さんの前で歌える機会なんて…なんだか感動で胸がいっぱいになる。
でもこんな時こそ普段通り歌わねばならない。そう、ただ風が歌うように歌うだけだ。それでこそ聴き手に本物の声が届く。
俺は心をひとつにして演奏を始めた。一曲目は俺たちの代表曲だと、言葉で確認せずともアイコンタクトだけでわかった。
そして歌い始めると心は風に乗る。"ただそのまま歌えばいい"という安心感に包まれるのは、この会場の雰囲気がそうさせてくれているのかもしれない。
風に溶けて歌えている。そのおかげでか、演奏を時々間違えてもそれほど気にならない。ベースはどこか不安定ながらも、なんとか弾きこなせているようだ。ベーシストの君ももしかしたら俺と同じように転生状態なのかもしれないなと横目で君の勇姿を視認する、そんな余裕さえある。ふと、一番後方に立ち並ぶ観客の表情までもが手に取るように見える感覚にとらわれる。そして一人一人の表情を噛み締めながら歌う。俺たちの演奏に対する深い共感の念が伝わってきて、それがとても普遍的なものに感じられる反面、それぞれに全く違った表情に見えることがなんだかとても愛おしく思える。
様々な角度から俯瞰しながら歌に溶けていると、観客の左側最後尾ーーその辺りにいた男女二人組に突如釘付けになる。その瞬間、辺りの木々がザワザワと揺れ始め、この歌声を掻き消してしまうのではないかというくらいの葉ずれ音が辺りに木霊すると、目の前が急に真っ暗になってしまう。
その男女は、確かに君と俺だった。その二人は心から憧れを抱くような表情をして、うっとりとその音楽世界に浸りながら俺たちの演奏に揺れていた。
※
気がつくと俺たちはさっきのベンチ横にいた。君が横になって倒れていたから、声をかけて起こしてやる。どうも二人して気絶していたようだ。
「大丈夫?」
「うん…。それよりさ、さっきまで私たちステージで演奏してた…よね?」
「やっぱり君も俺と同じ世界にいたんだ…。とても素敵だった。あんな体験ができるなんてな。音楽はやっぱりとても素晴らしいよ」
そういえば、さっきのライブMCでボーカルが言っていたっけ。『このままこの風にずっと吹かれていたいな。なんか今日、すげえことが起こりそうな気がする』、そんなことを。本当にすげえことが起きた。気絶中とはいえ、二人してあそこまでリアルな夢体験ができるとは。
「今からでも遅くないかも。またニコル誘ってさ…バンド再開してみようよ!」
君がそう言うから、俺は迷わずその場でニコルに電話をかけた。
【完】
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