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Ⅲ
「……来たから、何になるってんだよ……」
あいつのいる町は冬になると雪に埋もれるほどだと聞いたが、夏はからりとして気持ちがいい。おいらは石造りの建物が立ち並ぶ中の、一つの店の前にいた。
後ろを通っていく人間たちがちらちらと視線をなげかけてくるのを感じる。さてはヒトの変化が上手くいってないのだろうか? 腰元に手をやるが尻尾は出ていない。念の為にと帽子も被っているしきっと大丈夫だ。
今一度目の前の店の看板と手元の紙切れの名前を見比べる。何度見ても扉の掛け看板は『closed』。然しながら見せ窓にカーテンは引かれておらず中の様子を覗き見ることができた。ベージュに暖色を散りばめた壁紙が雰囲気の良い空間を演出しており、お茶でも出しているのか、奥に古いが感じのいいテーブルが見てとれる。香水瓶やオーナメント、ちょっとしたアクセサリー等が日の光を返して慎ましやかに光っている。が、少々埃をかぶっていて手が疼く。
さて、何故おいらがこんなところにいるのかと言うと、単純に心配だったからだ。ハミィのやつ、なんと未だに恋人がいないらしいのだ。我らが星竜様でさえ結婚して子供もできたってのに、数えで22歳になる女が男を知らないとは如何なものだろう。別にあいつが恋愛事を好まないのであればそれでいい。下世話。ただのおせっかいだ。問題なのはこの問題が、実はおいらに起因しているのだとしたらというところなのだ。……いやあの時のスピカの伝言を鵜呑みにしているわけではない、断じてないのだが、とにかく恋愛事で相談できる相手もいないようなのであれば、久しぶりに顔を見るついで、話くらいは聞いてやらんでもないという気まぐれだ。
しょうがねえ出直すかと頭を掻いた時、いらっしゃいませ、と控えめな声が聞こえた。横を見やると、買い物帰りだろう、紙袋を抱えた女がこちらを見ていた。紙袋からバゲットが顔を出している。中々綺麗な女だが、切れ長のアメジスト色の目、ボルドー色の髪に見覚えがあった。
「あ……ここの、」
「おにいちゃん?」
は? と聞きかえす間もなくその女は紙袋を放るように置いて駆け寄り、あろうことかおいらに抱き着いたではないか!
「は?! おまっ……ハミィ!?」
「おにいちゃん! ああ本当におにいちゃんだ! やっと、やっとあたしを迎えに来てくれたのね!」
「はァ!?」
上げられた顔があまりにも嬉し気で、その中心のアメジストが綺麗過ぎてどきりとしたが、、、
「往来で女が野郎に抱き着いてんじゃねー!」
おいらは辛うじてそう叫んだのだった。
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