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 何も起きない……  店内のテーブル、あたしは頬杖をつき息を吐く。  再会から4日経った。あたしの現状を目の当たりにしたおにいちゃんは店の手伝いをかってでてくれて、そのまま二人一つ屋根の下。溜まっていた書類を捌いて、支払い料金を見直して、店内を大掃除して……流石ホブゴブリン、家事全般見事にこなすし、彼はあたしの計算の先生だ。分からなくて保留にしていた書類が解決して正直とても助かった。そんなおにいちゃんは今おつかいを頼んで留守にしている。  しかしだ、何も起きない。これで結構アプローチしているつもりなのだが。というかピチピチの20代女子がすぐ横にいるのだが? あたしがハグだのくっつくだのするその度おにいちゃんは宥めるように頭や背を撫でてくれて、それで十分嬉しいあたしもいるのが癪だ。おにいちゃんにとってあたしは本当に女性じゃないのだろうか? それともその方面の感情が枯れ果てているのだろうか? こっちは初恋を奪われているというのに。  また小さく息を吐くと「店長さんどうしたの?」と小さなお客さんに無邪気に問われる。この近所の子供たちは、あたしがたまにお菓子を焼いていて、タイミングが良ければ味見にありつけることを覚えてたまに店内をうろうろしに来るのだ。  曖昧に笑いかけ、手元のビーズに視線を戻す。ああ、もう少し進展がないかな。じゃないともあたしを諦めない。まだおにいちゃんに言っていない厄介な悩みが……  と、ベルが来客の存在を知らせる。いらっしゃいませと言い切る前に、あたしはその人物を見とめ、「げっ」と呻いてしまった。 「近所でもないのによく飽きないこと」 「そりゃあ、惚れた女のいる店だからな!」  褐色の肌にニッと厚い唇から覗く白が良く映える。  筋骨隆々のスキンヘッドの大男が入店してきた。  そんな大男に子供たちがきゃっきゃっとはしゃいでパンチだキックだを浴びせ始めるのを笑いながらたしなめている彼は、これで格闘技選手なのだ。 「試合が近いんじゃあなかったの? こんなところで遊んでいる場合かしら」 「チェックしてくれているのか! なら見に来てくれよ! 今日のお茶は何だ?」 「逃げる日探してるだけに決まってるでしょ? カモミールティーよ」  軽口を叩きながら背を向ける。彼ももう慣れたものでけらけら笑っている。……ああ、小さなお客さんたち、まだ帰らないで。二人きりにしないで……  このお客があたしの厄介な悩み・その1である。彼は店内を横切り、奥の小さな喫茶スペース、そのカウンター席に腰かけた。あたしは居住スペースに引っ込みケトルを火にかけ、カモミールのドライハーブの瓶を手にカウンターへ戻る。 「いい加減あたしのことは諦めて、次の恋を探しなさいな。あたしはあなたに答えられないわ」 「つれねえなぁ。あいつへの返事もしてないのであれば、まだ試合終了じゃあねえと見ているんだが」 「彼にも答える気はないわ」  ゴリラ、先に述べたように格闘技選手であり、もう数年来のお客付き合いである。今思えば最初の来店時、喫茶スペースでうつむきがちだった彼に声をかけたのがいけなかった。以来懐かれ、ちょくちょく来店してはハーブティー一杯分の時間を過ごし。そして数ヵ月前からあたしを口説きにかかっている。  淹れたてのカモミールティーを何も添えずに出すとニコリと笑いかけられる。そのまま話しかけられるのを適当に相槌を打つ。もう彼とも長い付き合いである、彼が砂糖等甘味を必要としないことなども覚えてしまった。 「おれには次の恋を薦めるくせにあんたも今だに独り身だろう?」 「あたしのことはいいのよ」  彼はさばけた性格で、小さなことでくよくよ悩まずあっけらかんとしている。それなりに好ましいところもあるけれど、友人ならまだしも、恋人は無理だ。 「お客の相手ばかりも寂しいものじゃあないか?」 「一人の時間も悪くないのよ?」  このやり取りも飽きたなぁ……そういえばパイ生地を編み込んで塩気のきいたクッキーを作ってみたんだった、それを出してやって、ブレスレットの続きをしよう。そう思い彼に背を向けた―― 「のらくら躱されんのも飽きたんだよ」  その時だった。  バン! と頭の真横を風が切り、褐色の腕が右耳横に来た。  いつの間に動いたのだろう? ゴリラは今、カウンターのこちら側に入り込み、あたしの背後に立ち、覆いかぶさるようにこちらを覗き込んでいた。 「おれはあんたの気風の良さに惚れたんだ。うじうじとしているあんたは好きじゃあない。いい加減決めてくれねえか、オレかあいつか。……それとも、その”おにいちゃん”ってのがまだあんたの中に居座ってるのか?」  ドキリとした。今までおにいちゃんのことを話したことのある相手は限られている、何で彼がおにいちゃんの存在を知っているのだろう? あたしの生返事の裏に見出したのか、誰かが吹き込んだか…… 「ケイトって女から聞いた。ここだけの話って前置きされたのに破ったのはおれだから、彼女を責めるなよ」  畜生、”読んで”んじゃないわよ! 「……ここは店員の場所よ? 戻って」 「返事をくれ。そしたらいつでも戻ってやる」  半身振り返り、上目で軽く睨みつけるも彼は動じない…… 「お客さんに戻って」 「嫌だね。捕まえとかなきゃ、あんたはすぐに逃げる」  彼の身長は2m近い。対するあたしは並んで立てば彼の胸元にも及ばない、覆いかぶさるように詰め寄られると檻に入ったような気分になる……ところでこれは女性を口説く姿勢としては如何なものなのか。  と、救済のようにベルが鳴り、反射でそちらに視線を向けた。 「ハミィ、そいつ本当に客か?」  帰ってきたおにいちゃんが開口一番に言い放った。 ―― 「何だてめぇは。ここらで見ない顔が慣れた口聞きやがる」 「だろうな。おめーとは初めましてだ。で、こいつ何? 同業者?」 「いやいや、お客さんよ。ゴリラ=レクイアムっていう地下格闘技選手。彼に拳で勝った相手をあたしは知らない」  迷いなくカウンターに近づいて来てゴリラを押しのけ、鞄をあたしへ手渡しながらあたしたちの間に割って入ってきた。彼ら――ゴリラとおにいちゃんが睨み合う。 「こいつの兄貴分だ。文句あっか」  前述したようにゴリラの身長は2m近い。向かい合ったおにいちゃん(ヒトの姿)とは目算で20㎝は違う。なのにおにいちゃんは臆することなくあたしを背に隠して睨み合っている、こんなに頼もしいことがあるだろうか。 「おっ、お前か! お前がハミィの言う”おにいちゃん”か! は~~どんな色男かと思いきや、こんな女顔のちんちくりんだったとは!」 「出会って5秒で失礼な奴だなぁおい」  舌打ちまじりに吐き捨てるおにいちゃんの眉間には早くもしわが寄っている。 「昔何があったかは知らないが、お前が煮え切らない答えをしたらしい所為でおれはこの女主人に連敗中なんだ」  対するゴリラのこめかみにはうっすらと血管が浮かんでいる。 「おめーは何を吹聴してんの?」  振り返ったおにいちゃんが呆れを含ませ呟く。 「半分本当でしょう……? 実際あたしは半分花嫁修業のつもりで生活してきたのよ?」 「お前……まあいいや」  眼をそらすあたしに小さくため息をつき、ゴリラに向き直った。 「連敗理由をおいらになすりつけてるあたり小せえなぁ? 思い出の中の男を上書きできるかはてめーの腕次第だろうが」 「随分な自信だなぁ? 幼馴染と言いながら、何年も昔の男なんだろあんた? だが思い出ってのはおいそれと消えないものだ。自身が決別できた時初めて忘却が訪れるモンだろうが。振るならしっかり振れや」 「はっ、あんたとは話が合いそうだなぁ? その通り、おいらが元凶のようだからここまで様子を見に来たんだ。そしたらまさかこんな求婚者がいたとはな、格闘技選手だって? なるほどあんたみてーなのがこいつの味方なら心強いというもんだ。その力、こいつに向けなければの話だがな」  その言葉にあたしもゴリラもぎょっとする。流石妖魔、あたしたちが容易に思い至らない、というか言いづらい事柄も平然と口にする。 「てめー何だよさっきの有様はよ、さながら捕食前のトロールか、何だろ、ゴーレム? みたいだったぜ! “野獣伯爵”でもまだ紳士だわ。あっ『美女と野獣』知ってるか? オリジナルの方。中々だぜ」 「よく喋る口だな……」 「おにいちゃんあまり彼を刺激しないで。彼本当に腕っぷしが強いのよ?」 「つまり強えのは拳だけか? そのデカい図体じゃあ頭に血を巡らせるのも一苦労ってか?」  たしなめようにもおにいちゃんは、不敵に口角を上げゴリラを見据える。……まあたしなめたところでこの場が収まるとは思えないからいっそ両者出し切って鎮火してくれるのがいい、けれどそうもいくまい、ここの店主はあたしである。店内のゴタゴタは店主が納めるものだ。 「力は便利だ、何も考えなくても拳を作って振り下ろせば何かなくなってる。力を持ってる奴は使いたくって仕方がねえ。だからあんたも格闘技選手っての仕事にしてるんだろ?  だけどそれじゃあ重機と同じ。力だけじゃあダメだろ。心が伴わなくちゃ、なあ?  デカい奴には小せえ奴が見えにくいモンだ。だから潰しちまう。逆も然り、的が大きい分小せえ奴らにはデカい奴のことがよく見えてる……違ぇな、遠く離れりゃよく見える、かな? まあいいや。おいらたち人間には考える頭があるだろう? 相対する誰かが怖がらない方法を考えなきゃな?  強くてデカい奴には二種類いる。”人食いのグレンデル”か”妖精の守護者スプリガン”かだ。どっちになるかは、」 「ゴタゴタうるせえなあ!」  演説を見守っていると、おにいちゃんが視線を外したタイミング、ゴリラが少し足を開いたと思った直後、鈍い音がしておにいちゃんの身体が後方に飛んだ。  ひぇっ! と自身の上擦った声が漏れる。商品棚の一部が音を立てて崩壊した。 「おにいちゃん! ちょっと! 店内暴力禁止よ!」  大きな声を出すもゴリラの眼は上体を起こしたおにいちゃんを射抜いている。これは、、、多分あたしの声は届いていない。ハイになっている。 「試合は魔法禁止だが、オレは心身の魔法使いだ。身体に張り巡らされた氣、その流れ、それによって繰り出される動き。常に一手先を読み相手よりも格段に早く動けるのがオレの強みさ。もちろん、”塚(ス)の(プ)護り人(リガン)”も習得済みだ」  バシン、と拳を掌に打ち付けるその風圧で空気が揺れるようだ。 「心身の魔法使い嘗めんな、心と身体のエキスパートを、人ありきの最強ジャンルを敵に回すと厄介なことを思い知ったか!」  そう言ってゴリラはぎとりとおにいちゃんを睨みつけた。  う~~ん、うるせえって言って殴ったわりに相手の話はしっかり聞いてるのよねこの男。流石のおにいちゃんも頭を押さえ、軽く叩いてはぱちぱちと瞼を動かす…… 「やっぱ見かけ倒しだな」  鼻血を拭いながらおにいちゃんがその唇に笑みを忍ばせる。怖い。 「あ”!?」 「あーでもずっと人間を相手にしてきたなら及第点か……おいらの知り合いによ、おめーと同じく心身の魔法使いがいるんだが、おめーそいつの膝元にも及ばねぇぜ?」  瞬間、ブチンと血管が切れたというような表現が似合うような表情に変わったゴリラはお兄ちゃんに尚歩み寄る。 「オレのプライドを貶しやがって……! てめえはオレを怒らせた、表へ出な!」 「はん! 表へ出るのはてめーの方だ」 そう言って伸ばしたゴリラの褐色の手が胸倉に掴みかかる手前で、おにいちゃんの指が動いた。瞬間、ゴリラの伸ばした腕が勢いをつけて自身の背に回る。魔法が発動しているのだ。  “操り人形劇(マリオネット)”、ジャンル:心身の、操作系高等魔法だ。何かあった時に便利だなと思って渓谷時代に妖魔たちに教えてもらったのだが、あたしには到底練ることすら叶わず諦めた、かなり難しい魔法だ(後に使用禁止規定魔法だと知って、危なかったと胸をなでおろした)。 ゴリラのもう片方の腕も身体に巻き付くように回り、彼が呻き声を上げる。筋肉なのか、ミリミリと音を立てて苦しそうだ。次は足だった。彼の足がタップを踏むように動き出す。 「そのプライドってやつを頭冷やして見直してこいよ!」 そのままくるくると彼の身体は、回転しながら店の扉を開き、通りへ出て――店の前は通りを挟んで運河が流れている――やがて彼の悲鳴と落水音がした。 「……ちょっとやり過ぎじゃない?」 「けっ、ぬるい位だわ」 血ィ飲んだと呻くおにいちゃんにティッシュペーパーと水を差し出しながらあたしはため息をついた。
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