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と、ベルが来客の存在を知らせる。いらっしゃいませと言い切る前に、あたしはその人物を見とめ眉をひそめてしまった。
「なんであなたたちはかち合ってくれないわけ?」
「ふふ、腕っぷしでは僕は彼に勝てないからね」
柔らかい金髪の中で緑色の瞳が孤を描く。その目がおにいちゃんを捉えた。
「おや、彼とやり合っていたのは貴方ですか? お可哀想に、こんなに血を出して……けど彼がコート以外で手を挙げるとは驚きだ。そんなに怒らせてしまったのですか?」
「どうも。田舎育ちの蛮人なもんで」
「外まで聞こえていましたよ?」
おにいちゃんと言葉を交わしながら彼は、壊れた商品棚に近づきしゃがみ込んだ。瓦礫と化した棚を撤去しているあたしたちに混ざり、転がった商品を手に取る。
「あなたはお客さんなのだからこんなことしなくていいわ」
「手伝わせて。だめかな?」
「指が切れちゃうわよ。御子息様」
半ば取り上げるように彼の目の前のモニュメントを拾い上げると彼は両手を上げ立ち上がった。そんなあたしたちのやり取りを、おにいちゃんはきょとりとした目で眺めている。
「それで、ハミィ、僕にさせてくれない片づけをさせているこの方はどなたです?」
「ああそうね、紹介するわ、このヒトがあたしが折々に言っているおにいちゃん! おにいちゃん、こちらはアトラ、ここの常連客で……」
「求婚者その2?」
おにいちゃんが眉をひそめ口をはさんだ。あたしが「は!?」と声を上げたのとほぼ同時に目の前の彼――アトラが、ふはっと吹き出す。
「凄いですね……初めまして、常連客で彼女の求婚者のアトラ=ピアニーユといいます。どうぞお見知りおきを」
軽くお辞儀をする彼をおにいちゃんは「ふーん」としばらく眺めていたが、さっさと視線を外し、掃除に戻った。アトラもお客様に戻り、店内を歩き出す。
「お客さん、魔法か妖魔関係のヒト?」
ふと、商品を眺めやるアトラへおにいちゃんが声をかけた。
「何故そう思われるので?」
「何でも」
おにいちゃんが鼻栓を取りながら横目で彼を見やると、アトラのエメラルドグリーンの瞳とおにいちゃんのオリーブドラブの瞳がかち合う。互いの腹の内を見透かそうとするような微妙な沈黙――
「それ関連のことは特にありません。父が侯爵で、僕はその手伝いをしています。一端の貴族ですよ」
沈黙を破ったのはアトラだった。彼が悠然と微笑んでみせると、おにいちゃんもこれ以上は進展なしとばかりに口の端を上げただけだった。
やがて、今日はこれをもらおうかな、とカウンターへ小型のディスク・オルゴールが置かれる。簡単にラッピングして会計時、おつりを渡す際不意に目の前に”赤”が現れた。一輪の真っ赤な薔薇だ。
「またね」
ウィンクしたアトラはオルゴールを大事そうに抱え、扉向こうの陽光の中に紛れていった。
――
「キザな奴~~……」
扉口から見送っていたおにいちゃんがぽそりと呟く。扉を開け外に出るまでにたっぷりと時間をとったものだから、見えるアトラの姿はもうすっかり小さかった。歩いてゆく彼に道行く人々が挨拶をするのが見て取れた。
「はは、、、こういうところちょっと困るけど、根は良い人なのよ?」
返しながら薔薇の花をもてあそぶ。深すぎず、軽やかよりは強い天鵞絨の赤が美しい。
「もしかしてリビングの花瓶に生けてるやつ全部あいつからか? お熱いことで……ていうかお前もあの本数分保留にしてるのかよ……」
「ええ。一本目に断ったのだけど、ゆっくり考えてくれって、返事はこの薔薇が108本になった時で、なんて言われてる」
「ふーん、キザっていうか……ロマンチックな奴」
その言葉につい吹き出した。
「おにいちゃんの口から”ロマンティック”なんて聞く日が来るなんて!」
「んだよ。ロマンチックはロマンチックだろ。……まあところで、お前の好きな赤はどっちかというとこっちだろ?」
そう言っておにいちゃんが鞄の蓋、、、あたしが何だかんだ置き損ねていた肩掛け鞄を開けると、中から赤が覗いた。途端胸の中がくすぐられた心地になって、引き上げて顔の前に持ってくる。
――ろうそくの灯のような、薔薇の赤よりもっと素朴な色味の小さな花々。ブーケのメインにはなり得ないがそっと主役を引き立てるような身のこなしの、エディブルフラワーの一種。ピクシーたちが教えてくれた野の味。
「ストロベリーキャンドル! 久しぶりに見た……」
「花屋の親父が始末しようとしていたからもらってきた。ちょっと乾いてるらしいけど十分いいだろ?」
そう言ってストロベリーキャンドルをくすぐるように撫でる指先は優し気で、花も心もち照れているかのように揺れる。それを見つめる眼差しが柔らかい。
見惚れているとふいに後頭部を掴まれ、あっ、と思ったその時にはあたしの鼻先はささやかなフラワーボックスにうずもれた。草いきればかりで香りがないはずのそれからは微かにストロベリーの香りがした気がして、胸の内が小さく身じろいだ。
「ちょっと~~!」
「にひひっ! 鼻先に花弁。隙だらけ」
そう言っておにいちゃんは笑った。目を細め、口の両端を上げて牙を見せて、心底楽し気な笑みだ。
――好きだ、と思った。
悪戯っぽく笑うその顔が好き。言葉遣いは荒いくせに明るく溌溂としたその声が好き。兄貴肌なところが好き。ふと見せる知的な表情が好き。ちょっとした心遣いが可愛くて好き。でも油断していると悪戯される、小さじ一つ分の緊張感も好き。
人間姿の変身、あたしの年齢に合わせてきたから、好き。
「ねえおにいちゃん、やっぱり結婚してよ」
「それやめろ」
上目遣いに言うとすぐに眉間にしわが寄る。
「隙あらば口説いてくるじゃんお前」
「寧ろここまであたしのツボ押さえといて何でそんなに頑ななのよぅ♡」
扉を閉め、陽光に背を向けるおにいちゃんが何かぽそりと呟いた気がしたので聞きかえすと、少し声のボリュームが大きくなった。
「おめーが渓谷にいた頃の……初めて告白してくれた時の、覚えてるか?」
思いがけない切り返しに心臓がどきりと心拍を速める。そんな昔のことを覚えてくれているというのか! 正直あたしはあの時のあたしが何を言ったのか覚えていないけれど、掌に掴んでいた汗と顔の熱だけは鮮明に覚えている……
「同じだ。おいらは恋はしない」
集まり始めた熱はおにいちゃんの一言でさっさと散ってしまった。
「ずーっとそれしきね、おにいちゃん」
恋をしない――その理由はずっと教えてくれないけれど、恋にトラウマでもあるのだろうか。だとしたらあたしはそのトラウマを植え付けた相手を恨まなければいけない。本当にあたしはここ数年、花嫁修業のつもりで過ごしていたというのに。
「あたしは本当に迎えに来てくれたんだと思ったのに」
唇を尖らせ、あたしは再び革製のフラワーボックスに鼻先をうずめた。
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