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「すまない……」  生まれたばかりの柔い光が入り込む部屋の中、ヒトの姿の我が夫が気まずそうな赤い顔で言う。 「おはようございます、スピカ」  私はと言えば、朝の挨拶に欠伸が交じり、ネグリジェは心もちしわくちゃで。”私を包んで(コットンツリー)”はとっくに切れていたけれど、スピカは何があったか察していたようだった。シーツは部屋の隅に追いやられていた。 「言い訳にしかならないが、たまにやってしまうんだ」 「ふふ、昨夜の、普段より小さいあなたも可愛らしかったですよ」  そう言って微笑みかける。昨夜の身体のサイズも、何回か部屋を壊すなりした結果肌で覚えていったのだろう。  けれどもスピカはまだ不服そうだった。彼は腕を抱きかかえるように、怒られた子供のように、しおらしく縮こまっている。……ずっと気になっている。彼の、この一面が。 「あなたのその自己肯定感の低さはどこから来るのでしょう? あなたは自身がドラゴンであることを誇っているのに、同じくらいコンプレックスに感じているようにも見えるのです。あなたにそんな意識を刷り込ませたのはどなたです?」  そう問うと、「流石、見えないモノを見る魔法使いさんだ」と弱々しい笑みが返ってきた。 「……世界大戦。あの歴史に残るデカい戦争は、海を割り、地脈をいじり、妖魔たちをも惑わせた。あちらの大陸の軍隊は、ドラゴン等大型の妖魔すらも引き連れてきたものだから、この大陸の軍隊も妖魔を集めた。この大陸のドラゴンたちは人間同士の勝手な戦争には乗り気じゃなかったが、各々の土地を守るための呉越同舟といった体で参加した」  ――世界大戦。スピカの言うこれは、『ブフ境界戦争』のことだ。海を挟んだ向こうの大陸と、我が大陸グレート・ブリテン間の、約3年続いた大規模な戦争。  私も、父様ですら生まれていない時代に、本や老人たちの語りでしか聞いたことのないそれの雲下に、目の前のヒトがいた。それはどうも、非現実的で、想像の範疇を軽々と超えてしまう。果たしてこの方は一体何歳なのだろう? 「人間たちはオレたちのことを見慣れていないだけだって自分に言い聞かせたのだけれど、戦争の終盤と思われる頃に、心配したシル、、、シルフィが様子を見に来ていてさ。あいつの表情を見て、打ちのめされたというか、何だろう、飲み込んじゃったんだな。オレは恐いモノなんだって……いや勿論、みんな気の良い奴らだってことは分かっているよ。でもほら、事実としてさ……」  そう言うとまたスピカは目線を下にやってしまった。  何だかこの感じを、今まで何度か経験している気がする。だから「そんなことはない」と反射的に言いかけた唇を慌てて噛んだ。  自己愛とは、自己肯定とはとどのつまり、他者から受け取って、自分に落とし込んで初めて生成される。  生まれ落ちた身体はまだ魂が不安定だ。だから洗礼を受けさせる、名をつける。  だがその時点では人格はまだない。どうするか? 大抵は自分の身の周りから、選び、倣い、積み木のように組み立て形成していくものだ。なかでも親、兄弟、親戚、友人の言動は、環境は、ダイレクトに子供の精神に影響を与えるだろう。例えばその身が悪環境にあったとして、負けん気を奮い、抗い、善良な人格を形成するなんてことは正直稀だ。ことの凶暴性は内に残り続ける。それをどちらにハンドルを切るか、その先にあるものが”人格”だから…… 「全く私たちって、似た者同士ですね」  こう言うと、スピカは下げていた視線を上げてくれた。 「あなたは恐ろしいと叫ばれた声や表情に怯えた。私は不器量者というレッテルに恋を諦めた」 「だからリズは! リズは、綺麗だよ」 「そこですよ、スピカ。好意的な言葉を受け取れるようになってからが、自分の意識改革の始まりなのです。現に私、あなたの想いの丈に触れて、またちゃんと自分が好きになってきている」  そう言うと目の前の夫は目を瞬き、照れたように目線を落とす。 「それに、、、折角なので言っちゃいますが、シルフィもそのことを気にしています。  何故そんなことを言えるのかって、あなたのこの一面のことを彼女に訊ねたことがあるから。世界大戦とは教えてくれませんでしたが……  焼けた地面に、臭い空気に、血だらけでギラギラとしていたあなたに、確かに怖さを感じたのだけれど、それでもあなただっていうのに変わりないと分かっていながらあなたの手を取り損ねたって、それが杭のように刺さって抜けないんだって。今更謝ったところで、あなたの傷を抉り返すだけかもしれないのはもっと怖いんだって」 「あいつ、そんなことを言っていたのか……」  スピカがぽそりと、意外そうな、静かな驚愕の声を上げる。  スピカだって知っているはずなのだ。シルフィは悪くないということは。まずかったとすれば、両者とも勝手に推し量ってしまったことだろう。  声に、視線に、推し量った思惑に怯えた私たちは、まず本音を伝えることを諦める。次に感情を表に出すことを諦める……そうしてモルタルを塗りたくった素直さは温度も表情も失って、感情はただのモニュメントと化していくのだ。  何故こんなことが起きるのか。各々、自己防衛の賜物だ。  生きとし生けるモノはみんな、弱虫の怪物だ。多種多様な姿の中で、怪物の自分を全うに思いたくて、自分よりも強大もしくは劣弱なモノを攻撃する……ああ、私はあなたを怪物と叫んだ方々こそ、より怪物だと思う。 「きみがそんな物言いをするなんて、オレたちの影響、受けているのかな」  ふと、スピカが困ったような、けれども確かに愛おしさを滲ませた声で言う。今しがた心に浮かべた言葉が口に出ていたのだろうか? だが、聞かれたところで問題はないな。 「オレ、きみを口の中に入れて隠したいって言った奴だけど」 「ええ、言われました。実はあれ、あなたのドラゴンっぽい部分に触れられてドキドキしていました。それに昨夜だって」  言葉を切り、彼の頬を包み込む。 「嬉しかったです。こんなにも心を許してもらえていることが分かって」  孤高でちょっぴり繊細な、私の星空。誰にでも平等に優しいあなたの蒼に私の姿だけが映っている、そのことに、見つけてもらった気になって愉悦を感じている私もまた、弱虫の怪物なのだろう。 「永い年月を生きてきたけれど、人生は今更ながら教えられることばかりだな」 「今日は出かける前に、シルフィと話してみたらどうでしょう。あ! 何なら彼女と出かけてくるのもどうでしょう? 一対一でゆっくりお話ししてきてください」 「これって浮気になる?」 「まさか! 言い出したのは私ですよ。公認です」  明るい声で答えると、瞬く間に距離を詰められ、ぎゅう、と音がするくらい、力一杯に抱きしめられる。ダイレクトに伝わってくる彼の体温が心地よく、笑い声が零れる。  カーテンの向こう、夜明けの向こう側、その気配――本日は快晴のようだった。 [The story goes on.]
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