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 結婚にあたっていくつかすり合わせた意見の中に”寝室を共にする”がある。  私が今まで使っていた寝室は元々ゲスト・ルームなので、私個人のものは片づけ、新しくプライベート・ルームが用意された。今までの部屋より少し小さいが、何か用事のあるときには十分の広さだ。  そもそも私は部屋に籠ることの方が少なかった。嬉しいことに毎日誰かしらやってきてはお誘いしてくれるので、私の主たる活動域は、キッチンと応接間、書斎といった感じだ。 「智のある生物は何故SEXをするか?」  チェス盤の向こうでスピカが目を瞬かせる。 「いつかのサキュバスの時、3名でこんな話題になりまして。スピカなら何て答えます?」  夜、ハーブティーをお供にテーブルを挟んで、私はこの話題を繰り出した。  ベッドに入る前の時間は大抵読書かボードゲームに興じている。今日は誰かがしまい忘れたチェス盤がテーブルにあったので、そのまま一戦しているのである。  数日前、このスピカの結界で囲まれた”不見の渓谷”に外の妖魔が迷い込んだ。それが淫魔代表・サキュバスだった。右も左も分からず倒れ込んでいた彼女を介抱し、少しおしゃべりに興じたところ出された話題の一つがこれだった。 「生殖本能は抜きで、だよな」  スピカが駒を動かし、ふむと考え込む。その顔は存外真面目だった。狼狽え、耳まで真っ赤に染めると思っていたので……いや、髪から覗いた耳が赤い。いつもの夫で安心する。 「……やっぱり、触れたいから、じゃないかな」  私が駒を動かしたところで、ぽそりと呟いた。 「考えや思いに触れて、気持ちに触れて、形ないもので満足したら、次は息に触れて、肌に触れて、、、そうして深く深く相手に近づきたいから、かな。何ならオレは、許されるならきみの魂に触れたいくらいなんだ」  スピカの手が駒を動かし、こちらを上目で窺ってくる―― 「それは素敵です。難しいけれど」  だから私は素直に答え、続いて駒を動かす。  顔を上げるとスピカが私をじっと見つめていた。試すような、悪戯を仕掛けるような眼差しだった。 「この機会に言ってもいい?」 「はい。何でしょう?」  私の視線を受けながら、スピカの手が駒を動かす。「チェック」と彼が言う。駒が動かされたので、視線が盤面に向かう。 「もっと言えばオレは、頭の片隅で……ほら、渓谷(ここ)のみんな、すっかりリズのことがお気に入りだろう? 毎日誰かしらが手を引きに来るだろう?  ……たまに、きみを口の中に入れてみんなから隠したいとか、宝物庫に椅子を置いて、きみを座らせたいとか考えてしまうんだ」  盤面から視線を上げる。  私のアクアマリンとスピカの瑠璃がかち合った。 「それは……困りましたね。私きっと退屈しちゃう」  考え込むよりも先に率直な感想が飛び出して、くすり、笑みが零れた。 「だろう? だからやらない」  向かい合う彼が満足げな、もしくは安堵したような笑みを見せる。それを見届け、私の手が駒を動かす。 「……ねえスピカ、でも一回だけやってみてもいいですよ。チェック」  え? と、スピカが駒を動かしながら顔を上げた。 「誰かが私を訪ねてきても、あなたは私が出かけたと言います。その実私は、奥の宝物庫の中で、あなたのことを考えながら目を閉じているんです。扉の錠が開いた時、静寂に慣れた私の耳はすぐにあなたの足音を拾うでしょう。あなたが目の前まで来て私の名を呼んでくれて初めて、行儀よく座っていた私は目を開くんです。どうでしょう?」  ちらりと彼を見やると、心もち目を見開き、唇を引き結んだその顔は朱を浮かべていて、想像したなと察しが付く。 「それ、やりたい……! 付き合ってくれときみに請うてもいいだろうか」 「ふふ、いつでも」  赤い、可愛らしい顔に満足して、駒を動かすと、その、駒を離した手が掬われキスを落とされた。くすぐったいキスに笑い、手をなぞるようにひっくり返してその甲にキスを返す。微笑み合い、離れたスピカの手が駒を動かす。 「リズは何て答えたの?」 「私は、精神的な内側が満たされて溢れ、零れたそれがエロスだ、って言いましたかね」  駒を動かす。 「満たされたの」  スピカの手が駒を選び空を泳ぐ。 「ええ、おかげさまで」  ティーを干し、微笑みかける。リンデンティーの甘やかな香りが鼻腔を満たす…… 「あ」 「あ」  すかさず駒を動かす。チェックメイト。今夜は私の勝ちだ。上目遣いに彼の顔を窺うと彼は頬を染め口元を覆っていた。パチリと、彼の瑠璃が私を映した。 「それは、とても光栄だ」  ふわりと、恋を覚えた少女の恥じらいのように、花が微風にくすぐったそうに身をよじるように、もしくはこの世の全ての宝石の最初の一閃を集めたかのように、とびきり可憐な笑みだった。愛おしさにつられて私も微笑んだ。  もう休もうと言うので、チェス駒を集め始めた。 ――  スピカの部屋は他の部屋よりもとりわけ広い。  と言ってもそれに甘んじて調度品の類が多いわけではなく、広いスペースの大半を占めているのはカーペットとベッドだ。更にベッドとは名ばかりのそれは、複数のマットレスや干し草を詰め込んだシーツの塊といった風情。身を包むシーツは4枚ほどを縫い合わせたものだ。  妖魔たちといえば夜だと思う。然しながらここの妖魔たちは長年”花嫁”の少女たちの時間に合わせてきたため、1年のほとんどを人間時間で過ごすようになったそうだ。妖魔の夜にしては静かだと思っていたが、理由を聞いてみると成程と腑に落ちる。 「明日は何があるでしょう」 「一つは決まっている。カーマインの蚤の市が明日だったはずだから古本を覗きたいんだ」 「あら良いですね。天気は良いでしょうか。良ければシーツの洗濯をしたいんでした」 「それも良いな。樹と樹の間にロープを張って、白を一面にはためかせよう」 「あ、リャナンシーに昼下がりにお呼ばれされているのでした」 「ピアレイが沼で聞いた呻き声が気になるな」 「ふふ、デートにはなりませんね?」 「リャナンシーの方断れない?」 「できないのはあなたこそ知っていますでしょう? 良い本があったら私にも読ませてくださいね」 「ふふ、期待していて」 「おやすみなさい、愛しい方。また明日」 「おやすみ、愛しいヒト。また明日」  言葉と共に熱を分け合い、二人、生成色の中に身を寄せ合った。
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