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Ⅲ
クエレブレの住んでいる洞窟は広く、小さな集落ほどの規模がありました。
内部は大きく3つに分かれ(といってもドアもない、剥き出しの通路でつながっているのですから、どの部屋の様子も一目瞭然なのです)、干し草のベッドを置いているメインの部屋、用途不明の物置のような部屋、滝壺と泉がございました。シャナは日の大半をここで過ごし、ベッドの上で寛いだり、細い滝の零れ落ちる泉で身体を清めたりしたのでした。
――その、物置のような部屋の一角に、岩を組んだ井戸のような、貯水池のような、そんな何かが、大きく平たい岩を被ってひっそりと佇んでいるのです。
初め、シャナはそれを食料庫のようなものだと思っておりました。しかしクエレブレがその蓋のような平たい岩をどかしたところを見たことがなく、それどころか彼はそれを、モニュメントのようにあまり気にも留めないのでした。
クエレブレに問うても、「さて、地下通路があろうか、宝石の山があろうか」とはぐらかされてしまったので、気がついてしまった手前、どうにも気になって仕方がありません。
ある日、シャナはまたあの岩枠の前にいました。
クエレブレは先ほど外へ出かけていき、今この洞窟には彼女一人なのです。ならば、彼の知ることのない間にこの中を覗いてみたい。人間の好奇心に勝てず、シャナはそれを実行しようとしているのです。何が入っていようと悲鳴を上げなければ、そして自分の心の内に閉まっておけばきっと開けたことは悟られないでしょう。
(動かせなくはなさそうなのよね……)
平岩の端に指をかけながらシャナは考えます。素手ではどうにもならないことは目に見えて明らかです。彼女はあらかじめ用意しておいた木の枝を取り上げ、平岩と岩枠の、ころの好い隙間を探し出します。加工なんて知らない岩肌は窪みや罅割れだらけで、おかげで木の枝はてこのように嵌まりましたが、問題はこれから。シャナは力を入れますが、木の枝も平岩もびくともしません。息を整え渾身の力をかけると、木の枝の方が耐えられませんで、音を立てて折れてしまいました。自分の手の中で果てた枝を眺めやりながらシャナは小さく息をつきます。次からは枝は予備を用意しておかなければなりません。
次に彼女は折れた枝をバキバキと更に折って、足元にばらまきました。手をかざします。すると、枝の残骸からしゅるりと太い、植物の蔦のようなものが出現し、瞬く間に平岩に絡みつきます。
これがシャナの使う魔法でした。緑豊かな彼女の地元は織物が名産品で、昔から植物に触れ親しんだ彼女は、糸紡ぎ、機織り、裁縫と、植物をルーツにもつものならばそれを操ることを得意としておりました。魔法だって同じで、自然の理にそぐわない程度に、こっそりと植物の生長を助けたことも幾度となくあったのでした。
しかしそんな彼女の得意魔法もやはり、平岩をどかすことができないのでした。それもそのはず、魔法の馬力は当人のそれ以上の働きをするものの、代わりに当人のスタミナに比例します。シャナは魔法を解き、腕組みをしました。
と、空気が変わっていることにシャナは気付きました。
「あ……」
声が出ました。恐る恐る振り返ります。
「シャナ」
部屋口の更に向こう、真っ直ぐ、外界との境目、
「そんなに気になるかい?」
洞窟口でクエレブレが、困ったような表情でこちらを見ておりました。
平岩の下から覗いたのは”蒼”でした。
ラピスラズリの粉を撒いたような幻想的で神秘的な蒼色が、組まれた岩いっぱいに満ち満ちて、静かに光を放っていたのでした。その光はドライアイスのように、岩の枠を乗り越え、尚溢れます。
「綺麗、だけど、とても不思議……」
「これはオレがここに棲まう以前から在った泉さ。天然の魔力は永い年月をかけて溜め込まれた。そこにオレの魔力を加えたら色々な不思議が起こるようになったんだ」
「色々な不思議?」
「色々だな。迷いヴィーヴルが飛び込んだら跡形もなく溶けてしまったこともあったし、オレが怪我をした脚を差し入れたら怪我が治った。オレの気に障る結果を出したことはないが、具体的に何が起こるかは正直分からない。だから岩枠を組み、この岩をかぶせるようになったんだ」
だからね、とクエレブレが元の通りに平岩をかぶせます。
「仮に、もしもこの岩が外れ、きみがこれに触れてしまっていたらどうなっていたか……あまり秘密を暴くようなことはしないでおくれよ。まあ、はっきりと話さなかったオレも悪かったかな」
「はい……もしや、駆けつけてくださったのですか?」
「大切なゲストの一大事だからね。先に言ったようにこの泉にはオレの魔力が混ざっている。最早オレの身体の一部だ。何かがあればそれを感じ取る」
クエレブレが少々胸を張って答えます。シャナは彼の飾らぬ言葉に赤面し、改めて謝罪の言葉を述べたのでした。
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