放課後の相対性

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溜息をつきながら、ハサミの柄の跡がついた指の付け根をさすった。 教師から借りたハサミは手に合わないだろうなと思っていたけれど、やっぱり痛い。 無理に力を入れてしまったせいで、肌が赤紫色に変色している。 太ももとイスとの間で制服の厚ぼったい生地が汗を吸って気持ち悪い。 腰を浮かせてスカートにまとわりつく熱気を払いつつ、遠くが見たくなって首を左に巡らせた。 まだ日の落ちないグランドでは野球部が声を張り上げながらボールを投げ合っている。 砂ぼこりで景色全体がぼやける中、校庭の隅の夾竹桃の青みがかったピンク色が鮮やかで、けれどもそれすらもすぐにピントが合わなくなった。 視線を手元のプリントに戻すと同時に明るい声がした。 「あれー? ユヅキまだいたの」  左前のドアから教室に入りながら声をかけてきたのは友人のリコで、後ろの方の自分の席に駆け寄っていく。 右肩にかけたリュックにつけた、手の平より少し小さなフワフワのクマが飛び跳ねている。 リコと一緒に入ってきたアイリはまっすぐユヅキの席に向かってきた。 「プリントの整理?」 「そう。先生から集まった夏期講習の出席表の整理を頼まれちゃってさ。キリトリ線で切り取ってなかった人が多いから、切ってついでに出席番号順に並べてくれ、だってさ」 「そっか、ユヅキは今日日直だったね」 「そういうアイリとリコは?」 「今部活が終わって、リコが教科書を忘れたのに気がついたから取りに戻ってきたとこ。もうそれ終わる? 一緒に帰ろ」 「うん。プリント以外にも日誌と黒板を書かないといけないんだけど、ちょっと待ってもらっていい?」 アイリはユヅキの前の机にリュックを置く。 リュックにつけた缶バッジが触れあった時、鈴のような音がした。 「黒板書き直しとくね」 ありがと、と返すとアイリは長い脚でサッサと教室の前に行き、黒板消しを持ちながら、日付を書き直している。 リコも教科書を手にしながら来て、ユヅキの左隣の机にリュックをドスンっと載せてから座った。 「わたしも何か手伝おっか?」 「大丈夫」 りょーかいと言って、リコは右手で顔を仰ぎながらカバンから出したスマホをスクロールし出した。 みんなが黙った空間には遠くから野球部の声が響いている。 ユヅキが日誌の本日の感想で戸惑っていると、アイリは黒板の書き直しが終わったようで、ユヅキの前のイスの背を抱えるようにして座った。 リコも話しかけるタイミングを見計らっていたのか、スマホを机に置く。 よく見ると運動してきたわけでもない写真部の二人もうっすら汗をかいていて、やっぱり今日は特に暑いんだな、とユヅキは思う。 リコはユヅキのまとめ終わったプリントを見ながら、ほおを膨らませた。 「もう一学期も終わるなんて早いよね。しかもこの前高校入ったばっかだと思ってたのに、もう二年生だし。急に受験受験って言われてさぁ」 「本当。嫌になる」  アイリは相変わらずイスの背にかぶさったまま、ほおづえをついた。 リコは厚めの口元を心持ちとがらせる。 「志望校とか今聞かれてもって感じじゃない?」 「そういや今度の面談で模試の結果と合わせて、志望校の話もするって言ってたね。リコとはさっき部室で話したんだけど、ユヅキは決まった?」 「まだ全然」 そうだよねぇと言いながら、リコがこっちに顔をむけたまま机の上にひれ伏して腕を伸ばした。  「そういえば、写真部は夏休み中の活動はあるの?」 「登校日だけあるけど他はないよ。各自撮って、休み開けに発表って感じ」 リコの言葉を補うように、アイリが続ける。 「デジカメの人が多いから、普段もあまり部室に行って暗室使うこと少ないしね。夏場にあの狭い空間で人がぎっしりいるの、きついし。ユヅキは夏なんか予定ある?」 ユヅキは帰宅部なので部活活動はないし、習い事をしているわけでもない。 「んー、今のとこない」  急に元気になったリコがバネが跳ね返るようにして身体起こす。 「あれは? 夏休みの間だけの推しのまねして髪色を明るくするって言ってたじゃん」 リコが言ったアイドルというのは女性五人のK―POPグループで、圧倒的なダンスパフォーマンスのみならず、服装やヘアメイクも人気があった。 メンバーの一人はピンク系茶色のロングヘア―に、マットなアイシャドウで目尻だけ少し強調するようなメイクをしている。 ユヅキも彼らの動画を見ているし、ファッションをマネする子がいるのは知っているけれど、自分がそんなことを言ったかは覚えていない。 「そうだっけ?」  ユヅキは肩につかないぐらいの長さの自分の髪の毛の毛先に触れる。 「ユヅキ忘れたの?」 「うーん、そういえば言ってたか。母さんに反対されてすぐあきらめちゃったんだったかも」  ユヅキとリコの顔を代わる代わる見ていたアイリが口を開く。 「やっぱりユヅキさ、最近元気なくない? なんかあった?」  一瞬顔が引きつったような気がして、顔に力を込めて笑顔を作る。 「どうして? 何もない」 「や、だってさ、期末も赤点とって追試だって言ってたじゃん。珍しくない?」 「それを言うなら、何かあって元気なくて赤点とったんじゃなくて、赤点とったから元気ないんだよ」 「なるほど」 リコは素直にうなずく。アイリはまだ、テストの前から元気なかった気がしてたけど、とぼやいている。 「試験も全部終わったしさ、夏に遊びに行く計画を立てよ。カフェやプール行って遊んだら元気も出るよ」 ユヅキを元気づけようとしているかのように、リコは弾むようなイントネーションで言う。 「いいね。早速、今週末の花火大会はどう? カメラ持って行こうかな」 アイリもさっきまでのケゲンな顔つきからパッと顔色を明るくした。いいね、とリコも乗り気だ。   
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