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小学生の頃に父に買ってもらい、それ以来ずっとお気に入りでずっと使い続けている。
マグカップを食器棚から取り出そうと手を伸ばす。カップの持ち手を掴んで持ち上げる。
ゴトン。
食器棚の中から低くて鈍い音。一瞬だけ重みを感じて軽くなった手。
「…………えぇ……」
「ちょっと紅莉、今変な音せんかった? 大丈夫?」
「お母さん……取れちゃった」
右手にはマグカップの持ち手だけが。左手には持ち手のなくなったカップが。
「……あんた、明日まとめて買いに行ってきなさい」
「うん……」
これが春休みに起こった私の別れだった。
†
「ほんとになぁんでこんなに一気に壊れちゃうかなあ」
虎猫の撫でる位置を頭から背中に変える。
「みんな結構お気に入りやったのになあ……あ、そろそろ行かんとホタルちゃん怒るわ」
撫でるのをやめて立ち上がる。虎猫が一瞬だけ怪訝そうな顔をしたように見えた。そんなに撫でてほしかったのかな。
「君みたいな出会いばっかりやったらええのにね。そろそろ行くね。またね、小虎ちゃん」
小虎ちゃん。小さい虎みたいだから小虎。我ながら安易だ。
にゃ。
小さく返事が返ってくる。嬉しい。
簡単に別れの挨拶を済ませて、自転車に跨って目的地へと漕ぎ出す。
今日は昨日壊れてしまったものを新しく買うためのお出掛けで、高校の友達と待ち合わせている。
出会いがあれば別れもある。単純なサイクルだ。
†
自転車は快調に真っすぐと目的地へと進んでいく。
短くまとめられたショートヘアが通り過ぎていく風にふんわりと靡く。やはり風はまだ冷たい。でも真冬のような耐えられない寒さではない。
空から春の日差しを感じて心地いい。大きく鼻から息を吸い込む。春の匂いがした。
北大路通を西に進む。通い慣れた道を抜けていく。
賀茂川に架かる橋が見え、視界が広がる。
橋の上では霞のかかった青空と桜色の並木が見えた。
うん、春っぽい景色だ。
そこそこに風の強い今日は、開花宣言から一週間経った桜の花弁を舞い上げるには十分だった。
自転車の速度を少し落とし、橋から見渡す。川沿いには桜の木の下で家族連れや学生の人たちが楽しそうに宴会をしている。
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