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第二の曙光
空き地に面した書斎の雨戸を閉め切って、うす暗い部屋のなかで原稿用紙と向かい合っている。これで、二週間が経つ。そして、妻の葬儀から一カ月が過ぎようとしている。最初は、親戚が見舞いに来ないこともなかった。しかし、あのことを決めてしまってからは、原稿に追われているということを言い訳にして、この家に寄せつけないようにした。
食欲もなければ、睡眠欲もない。もっといえば、ありとあらゆる生活への執着がない。妻の死が、この決意のきっかけになったわけではない。妻の死を悼む人々のふるまいの浅ましさに、嫌気がさしたわけでもない。なんというか、突然、自分の人生に一区切りがついたような、そんな清々しい気持ちが、季節に合わぬ、春の長閑な風のように去来したのだ。
だからこの原稿もまた、どこか晴れ晴れとした気持ちで書くことができている。間違っても、人生の総決算、最高傑作、象徴的作品……などという批評を受けぬように、あくまで他愛ない小品として出版社に送るつもりだ。注文されたのは、三十枚の短篇小説だけれど、いつもと変わらぬような一品に仕上げている。
いま、晴れているのか、曇っているのか、雨が降っているのか、なんて分からない。朝、昼、夜、どれなのかも時計を見ないと知れない。ときには、どちらの零時なのかすぐには区別がつかないときもある。
ここ五年で、両親と妻の死を経験してきた。三人とも、小説家になるという夢を追いかけることを、そして、文筆を仕事にしているということを、応援してくれていた。大学を卒業してから一年間、働かずに執筆に打ち込むなどという、道楽めいたことを赦してくれた両親、決して裕福とは言えない生活を一緒に歩んでくれていた妻には、感謝しかない。
そして明日には、この三人のもとへと、向かうのだ。
まるで、春の息吹の中にいるかのような気持ちで、この遺作を書いているいまも、ひとり残された寂しさに打ちのめされているのは事実だ。この寂しさを忘れるために、ありもしない春を感じようとしているのかもしれない。
どさっ。瓦屋根から雪の塊が落ちる音が、かすかに聞こえてきた。そう、いまは冬なのだ。
寂しさに打ち震えてしまいそうになったら、目を瞑り、郷里の春の美しき風景を――滔々と清冽な水が流れる川を、そこに身を乗り出した、葉を陽に透かせた柳を、爽やかな風が運んでくる香しい花の匂いを思う。
子どものころは、なんて幸福だったことだろう。氷の張った湖の真ん中で、夜を待つような心細さとは縁遠いところにいた。あのころの自分は、机の上よりは神社の境内や畔道を好んだし、ペンよりも虫取り網を持つ時間の方が多かった。テストの点数ではなく、腕っ節で同級生と競っていたし、好きな女の子ができても、ラブレターを書こうなんて気持ちにはならなかった。
書斎に閉じこもり、ペンを走らせて、自分の思索を紛らせた小説が、どれくらい読まれるか、売れるかを、競うようになるとは思ってもいなかった。夏は暑さ、冬は寒さのせいにして、外へ出ることをしぶり、花見や紅葉狩りに誘われても、面倒で断り続けた。
第二の人生では、一体、どちらを好むようになるだろうか。
* * *
少しの間だけ、目を瞑ることにしたはずが、どっぷり眠ってしまっていた。頭の方から、どんっ、どんっと、握りこぶしで殴られているような音がした。来客だろうか。だとしたら居留守を決め込もう。そうしていれば、そのうち帰るだろう。
しかし、どんっという音が止む気配はない。雨戸を突き破りそうなほどに、大きな音を立てるときもある。この断続的な「どんっ」に対して、さすがにいら立ちを覚えはじめた。
窓も雨戸も乱暴に開けてやった。瞬く間に差し込んできた陽光に目を灼かれ、まぶたの上がひりひりと痛みだした。しかしこの光のなかでも、耳だけはしっかりと働いていた。
「なあんだ、生きてらあ」
「逃げろ、逃げろ」
少しずつ日差しに慣れてきて、眼を細めてみると、断たれた氷柱の垂れた下に、子ども達のイタズラの徴が見えた。
(ははあ、雪玉を投げていたんだな)
陽の光りを浴びながら、目の前に広がる雪景色を見ていると、どうしてか、涙が零れ落ちてきた。あの子どもたちのセリフは、いま書いている短篇のどの言葉より、ひとのこころを揺るがすような力強さを持っていた。
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