5 火守りの姫

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 扇屋のガラス戸が開き、春の夜の冷たい空気が流れ込む。  桜の花びらがどこからか風に吹かれて舞い落ちて、志郎さんの黒いブーツに触れた。 「志郎。本当に異界に渡るの?」  不安そうな顔をした幾久子さんに、志郎さんは笑った。 「心配しなくても大丈夫。異界の入り口にある(いち)の橋までだから。あそこなら、なにかあってもすぐに戻れる」  さっきまで犬のような志郎さんだったのに、今は戦神(いくさがみ)としての雰囲気を漂わせて、その姿が凛々しく見えた。  逆に幾久子さんは心細げにしていて、二人の立場が逆転していた。  幾久子さんが心配するくらいだから、異界は危険な場所なのだろう。  戦神は怨霊と命がけで戦っている。   私がいかに無知であったか、幾久子さんの顔を見て理解した。 「幾久子。今度は俺だけのために火を灯して。俺が迷わず、また幾久子の元へ帰れるように」  幾久子さんはうなずき、提灯を手にする。  私の提灯は両側が『冬雪(ふゆ)』だったのに対し、幾久子さんの提灯は『扇屋』と書かれた表側の文字と裏側にある『幾久子』という文字がふたつ書かれている。
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