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前夜(2)
通路を越えて反対側の座席に体を強かに打ちつけた。痛みが走る。咄嗟に手に触れたものをつかんだが、重力の方向が大きく変わるのを内臓で感じた。バスが横転したのだと理解するより先にまたも体は叩きつけられた。いろいろなものが破壊される音が鳴りやまぬうちに、急ブレーキ音が近づき、バスに新たな衝撃と破壊音を与えた。
ひとしきりの衝撃が収まったかと思った俺は、顔を上げ、目を開いた。あるべき天井は上にはない。灯りも壊れたのであろう、暗くてよく見えない。
その時、ぼん、という音が聞こえた。推測するに後部座席の方向だった。
「燃えて…!」
黒煙とともに、ちらちらと炎が上がっているのが見えた。また、ぼんっ、とさっきより大きな音が続いた。
嫌な予感が全身を駆け巡る。エンジンや燃料タンクがこのバスのどこにあるのか知らないが、これは逃げないといけないやつだ。
悪いことに乗降口側が下になって地面に塞がれている。運転手がどうなっているのかも全く把握できない。そういえば、乗客がもうひとりいた。
「おい、大丈夫か?!」
気配のある方向へ怒鳴ると、座席の影からゆっくりと姿が現れた。
「爆発しそうだ、はやく逃げよう!」
俺は窓ガラスから脱出しようと算段したが、悪いことに後部座席近くの窓が人が通れそうなくらいに割れていた。座席の手すりを踏み台にしてよじ登れば、出られないこともなさそうだ。だが早くしないと爆発に巻き込まれるかもしれない。
もうひとりの乗客が動こうとしないのを視界の隅に認め、俺はそいつのところまで壊れた破片に足を絡め取られながらも近づいた。
「大丈夫か? けがして動けないのか?」
返事を待たず、俺はそいつの腕を引っ張った。濡れている。違和感が頭をよぎったが、すぐにそれは緊迫感に取って代わった。腕の重さからは諦めのようなものが伝わってきたが、俺は構わずに後部座席の方向へ連れ出した。開いた穴から強い雨が顔に滴り落ちる。
「はやく、よじ登って、窓から出るんだ!」
また、大きな音がした。カウントダウンのように感じて、そいつを下からぐっと押し上げた。よろよろと、窓の外へと這い出したのを見て、自分もそれに続こうと手すりをつかんだ。その時、質量をもった熱と光が閃き、大きな爆発が起こった。バスの車体が衝撃で揺れる。
「あ…」
手を滑らせ、落ちる、と思った瞬間、上方から自分を掴む腕が伸びてきた。もうひとりの乗客と、初めて目が合う。助かった、と思ったのも束の間、爆発音が連続した。彼、でいいのだろうか。華奢な腕からは想像がつかない力で俺を引き上げた。土砂降りの中、窓からようやく這い出たところで、車体が大きく揺らいだのを感じた。お互いに体をつかんで支え合う。が、バスは道路を大きくはずれて、峠の崖へと傾こうとしていた。
(嘘だろ…!)
雨を物ともせず、黒煙と火の手が一気に上がった。そして、爆発――
俺たちは、バスとともに、崖へと落ちた。
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