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「うっ‥うん」
「たまにはいいよね」
「どっ‥どこ…に…いく…の?」
「どうしようかな?」
ドンッーー
考え事をしながら廊下の角を曲がると誰かにぶつかってしまった。
「申し訳ありません。お怪我はありませんか?」
優しくて温かい声だった。
「大丈夫でっ‥」
顔を上げて見上げたその人は、ブラウンのスーツにシルクハット、手には杖を持った白髪の年配の男性だった。
「お互いに気をつけましょう」
その人は私の腕を優しくポンポンと叩きながらそう言った。
「はい…」
「では私は急ぎの用があるので、これで失礼します」
その人はシルクハットのツバを掴みながら軽く会釈をして、その場を去って行った。
「あの…もしかして私のお母さんの手術代を出してくれた方ではないですか?」
「あなたのお母さんのお名前は?」
「櫻井さとみです」
「そうですか…」
その人は少しうつむき加減で一瞬動きを止めた。
「知ってるんですか?」
「そんな名前の方は存じあげません。たぶん人違いかと。では、失礼」
そんな訳ない。
きっとこの人がお母さんの言っていた“あしながおじさん”だ。
「ありがとうございました。この恩は必ず返します。私の人生をかけて恩返しします。だから、“あの方”にお伝え下さい。お願いします」
私は“あしながおじさん”の背中に向かって深々と頭を下げた。
その人は少しばかり足を止めてくれたけど、何も答えてはくれず再び歩き出して行ってしまった。
伝えてくれればいいな。
死ぬほど感謝していることを知って欲しいな。
そして、いつか“あの方”の前に現れて、面と向かってお礼を言いたいな。
手術から1週間が経った。
お母さんの術後の経過は順調で、徐々に体力を回復していった。
でも、まだまだ起き上がってリハビリをするには早く、ベッドの上で寝て起きてを繰り返す毎日が続いていた。
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