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一人暮らしは不安なのさ
山本 さえ。89歳。
夫を亡くし、独り暮らしももう10年になる。
夫がいる間は、お互いに具合が悪い時には面倒をみあっている部分もあり、子供らに頼ることもなかった。
夫が亡くなった後は少し寂しくなったけれど、姑、夫と、看護して見送り、ようやく自分の自由な時間が持てるようになった。
ただ、住んでいる場所が大変不便なのだ。
姑はさえには自動車の免許を取らせてはくれなかった。
夫は元は持っていたのだが、仕事が全国の現場を回ってのダムやトンネルのダイナマイト技師だったため、就業中に免許の更新ができず、失効した。
だから夫の介護をしている時も不便な思いでバスで移動していた。
ただ、最近は、ご近所も過疎が進んでいるし、皆、自家用車を持っているのでバスに乗らないため、元々来ていたバスが廃線になってしまった。
病院に行くにはタクシーを呼ぶほかなく、片道5千円かかるみちのりを仕方なくタクシーで移動する。
それまでも、転んで圧迫骨折した後に、長男が再婚したばかりの嫁が2週間ほど来てくれたりはした。
でも、まだまだ一人で大丈夫と思っていても、この3年程は年に1度2週間~3週間ほど、調子が悪くなり、長男の住む団地に来ていた。
その間に地元の医者では説明してくれない事を東京の医者に訴え、気の済むまで病状を聞いたりした。
2年目に来たときには同じ病院で、また色々聞いた。
嫁の行っている美容院にも行ってきた。田舎とは随分と接客の態度が違い驚いた。医者も美容師も随分と丁寧で気分が良い。
そして、いよいよ今年、長男の済む家に来る前に介護に来ている人に言われた。
「もういい年なんだから何でも一人でやらないで頼っていいんだよ。」
それから長男の家に来たときにもその話をすると
「お母さんのために一部屋用意してあるんだからこのまま住んでもいいんですよ。」
と、嫁にも言われた。
1週間ほど考えて、息子に聞いてみた。
「このままここに住んでもいいの?」
「あぁ、別に構わないよ。」
長男が言ってくれた。
引っ越すとなると、いろいろ手続きが大変だ。荷物も取りに帰らなきゃならないし、役場にもいかなきゃいけないし・・・・
大慌てして色々と並べ立てる私に息子も嫁も笑って言った。
「大丈夫。慌てなくても。引越すときに大変なだけで、手続きはその後でいいんだから。」
あぁそう言うもんか。引っ越しなんて、転勤族だった夫が、自分の父親が亡くなったから実家に住むと言われて、大阪から夫の実家に行った時以来だ。
もう、息子たちに任せてもいい年になったんだ。
息子の家に来た後にも、入院なんかはあるかもしれないけど、距離の遠い、大きな引っ越しは人生最後だろう。
でも、家具を持ってこられるわけでもない。何でもそろっている所へ引っ越してくるのだから。
自分の愛着のあるものを持ってこられるかもわからない。不安だ。
でも、食事の支度や、洗濯などをしてもらうだけで身体はずいぶん楽だ。
食事もきちんと3食食べさせられるし、一人でいる時みたいに気ままには食べられない。
ただ、3食食べていれば、一人でいる時の様に力が入らなかったり、調子が悪くなったりしない。
だから、多少窮屈でも、ここに引っ越してこようと思ったんだ。
そうだ。一人でいるのは自分でも心細かったんだ。
一人になりたかったら、与えられている寝室に行けばよい。
少しの自由は無くなるけど、一人で暮らすのはもう不安な年齢になったんだ。
もっと年をとっても元気でいる人をテレビで見るけど、みんな同じでなくてもいいんだな。
さえは、自分をなんとか納得させて、最後の住まいを長男の家にすることを決めたようだ。
引っ越しも業者を頼むまでもない。さえの必要なものだけを持ってきてもらえばいい。それすらも入りきらなければ少し処分してもらうようだ。
一人暮らしを心配していたさえの長男は少しほっとしながらも今は期の初めで忙しいことが多いので、一段落してから引っ越しの準備をしようと考えている。
さえの人生最後の引っ越しが良い方向に向くように、さえの長男も、長男の嫁も考えている。
*****
嫁は思う。自分の母が良く言っていた。
『いくつまで生きられるかわかっていれば時間の使いようもあるんだけどね。』
それは、多分みんな同じように考えるのではないかと考える。
でも、わからないからこそ、一日一日を丁寧に生きなければいけないのではないかとも思っている。
さえの引っ越しを後悔のあるものにしない様、できる限りのお世話はしようと考える。
*****
長男は思う。ようやく一人暮らしを諦めてくれたか。と。
嫁の負担にならないようにできるだけの事はして、自分の母には残る人生を楽しく過ごせるように生活を整えてあげたい。と。
さえの、最後の引っ越しは、まだまだこれから。
でも、人生最後の引っ越しはきっと希望のある方へ向いていると信じたい。
【了】
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