五 娘付きの家

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五 娘付きの家

 五月半ば。  木村さんに紹介された不動産屋の田所さんに案内されて、家を見にいった。  田所さんが運転する車が鬱蒼とした灌木の茂みがある駐車場に停まった。案内された家は鬱蒼とした森のような樹木に囲まれ、駐車場からも道路からも見えなかった。 「この中に家があるの?」  理恵が田所さんに尋ねた。 「ええ、庭が二百坪ほどあって広いんです。樹木が植えられて五十年以上経ってます。今は森ですね。家はしっかりしてますよ」  田所さんはそう答えながら、人専用の通用門ではなく、錆付いた車用の門の鍵を開けている。 「事故物件ですか?」  理恵も私も、曰く付きの物件だと思った。 「事故物件ではないです。事故死ですね。住人が自分で樹木を手入れしようとして倒れ、そのまま他界したんです」 「というと住人は居ないのね?」  理恵は空き家になって何年なのだろうと思った。 「住人は居るんです。これだけの樹木を手入れしていて、旦那さんが庭で亡くなったんです。残った遺族は家主の奧さんだけです。この庭の樹木を残したいから、家をそのまま売りに出したんです。  開きましたよ・・・・」  田所さんは錆びついた門を開けた。  樹木が緑の壁のようにトンネルとなって奥へ続いている。初夏の陽射しが緑の壁に遮られてとても心地良い。樹木のトンネルの真上を見あげると樹冠の隙間から青空が見える。  目には青葉 山ほととぎす 初鰹  江戸中期の俳人・山口素堂の句が浮ぶが、ここにホトトギスはいない。遠くで鳩の鳴き声がする。鳩は曲者だ。  昔、理恵が上野駅で鳩の糞を頭に直撃されたことがあった。一緒に歩いていたら、急に立ち止った理恵が頭に手を当て、トイレへ私の手を引いた。頭を見ると白い物体が付いていた。そう思ってトンネルの樹冠を見る。鳩はいない。糞の害もなさそうだ。  樹木のトンネルを抜けて庭へ出た。その先のうっそうとした雑草の歩道の先に洋館風の家がある。  視界の片隅で何かが動く気配を感じ、樹木のトンネルの端をふりかえった。そこには大きな樫の木があり、樹冠に近い梢に鳥の巣がある。大い鳥が巣に身をすくめてじっとこちらを見ている。その鳥の頭を見て、私はなんだかほっとした。猛禽類だ。鳩や雀がいないはずだ。猛禽類がいるだけで、鳥だけでなく庭に小動物も進入しない。ここの住人は意図的に樹木を切らずにいるみたいだ。これで、ミミズクやフクロウがいれば、昼夜、猛禽類が庭と家の周囲を警戒していることになる。この樹木はこのままにするのがいいだろう。 そう思って樫の木の樹冠を見る視界の隅に何かか動いた。家の方角だ。視線を洋館風の家へ向けた。二階の窓が開いて白髪の婦人がこちらを見ている。 「あの人は?」  私は田所さんに訊いた。田所さんのメガネの奥の視線が私から家の二階へ移った。 「ここの家主さんです・・・。  実は、家主さんはここの娘さんです。婿養子の旦那さんは亡くなりました。家主さんは身内がいないんです。この家を出るわけにはゆかないんです・・・」  田所さんは家主について語った。  田所さんの祖父とこの家の先代は、不動産業という仕事柄もあって親しい間柄だった。  田所さんの祖父には一男三女の子供たちがいて、長男が田所さんの父で、祖父の不動産屋を継いでいる。田所さんは三代目だ。  一方、この家の先代には娘が一人しかいなくて、その娘も結婚したが子どもはおらず、夫婦は高齢になった。そして、夫は庭の樹木を手入れしていて他界した。  先代夫婦にはどちらにも兄弟姉妹はいなかった。家主である娘の、亡くなった夫にも兄弟姉妹はいなかった。この家の家主である娘はまさに独り、天涯孤独だ。 「・・・そこで、相談ですが・・・」  田所さんは言葉に詰っている。 「何でしょう?」  理恵が、家の二階に居る白髪の婦人を見あげて挨拶しながら、田所さんに尋ねた。 「家主さんは家を出るわけにゆきません。  そこで、家主さん付きで、この家を引き取って頂けませんでしょうか。  購入価格は土地と建物の名義変更に関する諸費用の合計金額だけです。  と言うのも、うちの田所不動産は、不動産屋としてこちらの先代にはずいぶんお世話になりました。恩返しとはゆきませんが、仲介手数料は頂けません」 「家と土地と、家主である高齢の娘の面倒をみろと言うのね・・・」  理恵はなるほどねと言いながら、家の二階の婦人に向かって手を振っている。  家主である婦人も理恵に向かって手を振っている。  私は、二階から理恵に手を振る、家主の婦人に親しみを感じた。まだ私たちは婦人と話していない。しかし、このうっそうとした森のような樹木と猛禽類の巣を見て、婦人がここに居座る気持ちがわかった気がした。  猛禽類はおそらくオオタカだろう。オオタカにとって、このうっそうとした樹木は都会のオアシスだ。オオタカは庭に侵入する野鳥やネズミ、野良猫など小動物から、庭と家を守る庭の番人だろう。家主夫婦はそれがわかっていたから樹木を切らずにいた。  夫婦は樹木を切らずに守り続けた。しかし、樹木を手入れしていて夫が倒れた。庭と家を害獣から守るオオタカはそのまま残り、夫は旅立った。  この家と樹木は残ったが、ここで暮らす者たちの世代交代の時期が近づいていた。  だが、この樹木が茂った庭とオオタカを理解できぬ者は、ここでは暮らせない・・・。  そんな思いが、理恵に手を振る家主の婦人から漂ってきた。 (了)
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