笹森 今日子ができるまで

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笹森 今日子ができるまで

 これから話すお話は、私、笹森 今日子と、友人である西園寺 響子。  二人の「きょうこ」のお話になります。 *********  私、笹森 今日子は、公立の幼稚園、公立の小学校から、小中高大学一貫校の私立高の中等部『大和学園』に進学しました。  まずは小さかった頃の私のお話を聞いてください。    私の家はS県郊外の商店街で弁当屋を営業していました。  住んでいるのはその弁当屋の二階です。  私には明日香と言う姉がいます。  姉の明日香は背の高い父と小柄ながら美形の母に似て、小さい頃からスラリとして顔立ちの良い子供でした。  私は反対に鬼瓦のような父の顔と、小柄な母親に似て、幼稚園の頃から目は細く、団子鼻で頬骨も高くいかつい顔つきの、言ってしまえば女の子らしくない容姿の子供でした。  ぽってりとした唇だけが唯一女の子らしいと言えばそうなのですが、顔全体の中で唇だけが可愛らしいので逆にアンバランスになってしまい、それすらも長所にはなりませんでした。  家が弁当屋だったこともあり、脂っこい残り物のおかずが多かったのも否めませんが、姉の明日香はあまり油物は好きではなく、私は自分の家の揚げ物が大好きだったので、背の低い体型は小さなころからずんぐりとしていました。  私が『大和学園』への進学を両親にお願いしたのは小学校高学年になってからです。そのときには当然のように反対されました。  実家が営む笹森弁当店はそれなりに繫盛はしていましたが、とてもじゃないけれど私立、それも大学までの一貫校など、とてもお金を出すことはできない。庶民には無理だと両親からは何度も言われました。  でも、『大和学園』は高校からは返済不要の奨学金がもらえるという特例があったので、私は、 「義務教育である中等部の間だけは何とかお金の工面をしてほしいんです。高等部への進学の時に返済不要の奨学金がもらえない様だったら、学校を替わりますから。」  と根気強く両親を説得して、ようやく『大和学園』への進学を認めてもらったのです。  私が何故そこまでして、公立の中学校に進むことを拒んだとお思いですか?  そうです、考えるにも及ばないことなのです。幼稚園の頃から、私に対するいじめがあったからです。  私が通っていた幼稚園は、近所の商店街に住む子供がみんな通っている公立の幼稚園でした。年少さんの時から幼稚園に行く時には、いつもお隣のマキちゃんが一緒でした。  マキちゃんの家は笹森弁当店の入っている商店街の一件隣でブティック・アイを営んでいました。マキちゃんはお洋服を売るお店の子にふさわしく、まるでお人形さんの様に可愛らしい顔立ちをしていました。  ブティック・アイで売っているのは大人物なのですが、お店では問屋さんで仕入れをするので、マキちゃんもいつも新品の可愛い子供服を着ていました。  私は姉の明日香のおさがりばかり着せられていて、いつも羨ましかったものです。  それをまるで見透かしたようにマキちゃんは私に意地悪を言います。 「今日子ちゃんはいつもおさがりね。でも、お姉ちゃんの明日香ちゃんが着ていた時は、そのお洋服、もっと可愛く見えたのにね。」  それは近所の大人たちが普段から言っている心無い言葉をそのまま真似した物でしたが、毎日のように同じことをマキちゃんから言われる私はマキちゃんの事がどんどん嫌いになりました。  そのうえ、マキちゃんは、悪い癖を持っていて、私がマキちゃんに何もしていないのに、そっと近づいて来ては腕の内側をきゅっとつねるのです。  柔らかい場所なのでつねられると飛び上がるほど痛くて、私は幼稚園でいつも泣いてばかりいました。  私は泣いている理由を聞かれるので、幼稚園の先生たちに、 「マキちゃんにつねられた。」  と正直に言います。  幼稚園の先生たちはマキちゃんに 「今日子ちゃんの事つねったの?」  と、一応聞いてはくれるのですが、先生たちはみんなそのご近所でおしゃれな物を売っている唯一のお店。ブティック・アイのお得意様だったので、マキちゃんが 「やってないよ。」  と、言うと、鬼瓦のような顔をした可愛くない私の言う事など無視して、お人形のようにかわいいマキちゃんの言う事を信じるのでした。  私は考えました。本当のことを言っても先生たちは信じてくれない。  マキちゃんみたいに可愛かったら信じてくれるのかな?  顔が可愛いと人は何でも信じてくれるのかな?  でも、私が可愛くなくてもとってもいい子だったら、私の事も信じてくれるようになるかもしれない。とまで考えました。  私は年長さんのある日から、マキちゃんにつねられても、我慢して泣かなくなりました。  それどころか、幼稚園の休み時間の遊びにはいつも我儘なマキちゃんに付き合ってあげました。  マキちゃんはクラスの中で一輪車に乗れないお友達の一人でした。  大抵の、乗れない子達は練習もしたくないので誰も休み時間に一輪車に乗らないし、乗れる子達も一輪車に飽きてしまっていた時期がありました。  マキちゃんは自分にできない事があるのは許せない様でした。  私は、毎日頑張って練習するマキちゃんと一緒に一輪車に乗りました。  私は一輪車には、大分前から乗れたのですけれど、マキちゃんは、私は何でもマキちゃんよりもできないと思っていたので、いじめられない様に、一輪車に乗れないふりをして一緒に付き合ってあげていたのです。    マキちゃんはいくら練習しても一輪車に乗れるようになりませんでした。  幼稚園の休み時間のお遊びは、急に流行ったりみんなが忘れてしまったりします。  マキちゃんが飽きるほど練習をしても上手に乗れないのに、その間にまた一輪車の人気が復活する時がやってきました。  人気が出始めると、みんな一斉に一輪車に乗りたがるので一輪車の取り合いになります。  マキちゃんはそれまで自由に乗れていたのに、みんなが乗るようになると好きなようには一輪車に乗れないようになってしまいました。  マキちゃんは元々が我儘なので、お友達が乗っている一輪車を横取りしようとして、しょっちゅう喧嘩をするようになりました。  先生たちは困ってしまって、マキちゃんのママが迎えに来たときに注意をしなければいけない程でした。    私は、マキちゃんに一輪車の順番が来なくて乗れない時には、自分の順番が来たときに一輪車をかしてあげました。  先生たちは、マキちゃんの一輪車にずっとお付き合いして遊んでくれていた私の事をちゃんと見ていてくれたようでした。  そして、マキちゃんに一輪車を譲ってあげているのを見て、私の事もちゃんと見てくれるようになりました。 「今日子ちゃん、変わったわね。泣いてばかりいたのに。」  そんなふうに言ってくれる様にもなっていました。  そんなある日。私がいつものように休み時間の一輪車の順番をマキちゃんに譲ってあげていた時、同じクラスの正臣(まさおみ)君が 「今日子ちゃん、いつもマキちゃんに一輪車を貸してあげてるね。今日は僕が今日子ちゃんに貸してあげるよ。」  と、言って、自分の順番の一輪車を私に貸してくれました。  正臣君は幼稚園の中でとても人気のある男の子で、顔は可愛いし、いつもみんなが喧嘩しそうになると仲裁してくれるとても頼りになる男の子なのです。  私はそんな人気者の正臣君が一輪車をかしてくれたので、ついつい嬉しくて一輪車にあまり上手に乗れないふりをしていたのを忘れてしまいました。  すいすいと正臣君の前で一輪車に乗り、クルクルとその場で回ったり、タイヤ止めの上に立ったりと見事な技を見せてしまいました。  同じクラスの友達は『わぁっ』と声をあげ、私の周りに集まります。  正臣君も 「すごいね、今日子ちゃん、本当は随分と上手に乗れるんだね。いつもはマキちゃんに遠慮していたの?」  と、聞いてくれたので 「うん。だって、練習しているマキちゃんの横で、あんまり上手に乗ったら悪いでしょう?」  と、答えました。 「今日子ちゃんは優しいんだね。」  正臣君はにっこりして、私の頭を撫でてくれました。  その後ろでマキちゃんは仁王立ちになり私に向かって怒鳴り声をあげました。 「裏切者!できないふりして、私を騙してたのね?」  普段からブティックのお客様のお話を聞いているマキちゃんは難しい言葉を使います。  私は、その時初めて、【裏切り者】と言う言葉を聞きましたが、自分がしていたことがマキちゃんに対しての裏切りだったと言う事は、何となくストンと心に落ちました。 『【裏切者】。  なんて素敵な響き。あんなにマキちゃんが悔しそうな顔になるなんて。  そうか。マキちゃんの前で乗れないふりをしていたから、マキちゃんは私が本当に乗れないと思い込んでいたのね。  それなのに、みんなの前で乗れるところを見せたからとてもくやしかったのね。』  私は、この日のマキちゃんの顔を思うと、【裏切り】という行為がとても素敵なものだと思ったのでした。  こうして、私はマキちゃんへの【裏切り】によって普段は可愛くないからと相手にされない自分が注目を浴びる方法をしりました。  そうして、この初めての【裏切り】は私のこれからの人生の中でも大きな武器となって、私の心を満足させてくれる事になるのです。    さて、幼稚園では、一輪車が得意だった私は、それまでと違い卒園まで楽しい時間を過ごすことができました。    マキちゃんは私とは二度と遊びませんでしたが、正臣君は優しくしてくれたし、先生方も少しは私に優しくなったからです。  私にとって最もつらかったのが小学校生活でした。  私の通った公立小学校はいわゆる『吹き溜まり』とも呼ばれる、様々な小学校で問題を起こした教師ばかりが集まる学校でした。  幼稚園で仲良くなった正臣君は隣りの学区だったので、同じ小学校にはなりませんでした。  でも、お家が一件隣のマキちゃんは当然ながら同じ公立小学校でした。  マキちゃんは、幼稚園での出来事を決して忘れてはくれない執念深い性格をしていましたので、小学校に入り私と同じクラスになると、すぐにいじめを始めました。 「今日子ちゃんってね、影でこそこそして、自分ができる事を隠すのよ。それで、ここ一番って時にできる事を見せびらかすの。すっごく嫌な子なんだよ。  それにね、お家がお弁当屋さんだからいつも油のにおいがするんだよ。」  こうやって、別の幼稚園から来たお友達に触れ回りました。  私やマキちゃんとと同じ幼稚園の子は、最初はマキちゃんを相手にしませんでしたが、私がいつも油のにおいがするのは確かだったので、だんだんクラスのお友達は私に近づかなくなってしまいました。  マキちゃんの策略はとてもうまくいきました。  私も自分の顔が余り可愛くない事は薄々感づいていましたし、家の中でも姉の明日香と喧嘩をした時など 「ブ~スブス。ごつごつした顔しちゃってさ。それに同じおかず食べてるのに、なんであんたはそんなにどっしりしてるの?」  と、意地悪を言われていましたので、マキちゃんの言っている事をクラスのみんなが信じても、何もすることはできませんでした。  この6年間は私にとってはとても長い時間でした。  先生たちは私が虐められていても、吹き溜まりの学校の先生だったので自分が面倒な事には口を挟んできませんでした。  私は6年間ずっと虐められっぱなしで悲しい思いをして過ごしました。  とても辛かった私は、高学年になると家から通える場所にある私立の『大和学園』に興味を持ち、いろいろと調べたのです。  お金持ちの子供達が沢山通う学校で、お勉強もレベルが高いので、きっと虐めなどと言う程度の低いことはしないのだろう。と、私は考えました。  そこで冒頭のお話になります。  小学校では友達もできなかった私は、どうしても『大和学園』に行きたいと両親に無理を言ったのです。  両親も、私がが小学校でいじめられている事は知っていました。  それも、油のにおいがするという、自分の家の商売が原因になっている事も知っていましたので、二人で相談して、多少の無理はしても私を『大和学園』に入れようと決めてくれたのでした。  姉の明日香は油のにおいを自分で敏感に感じ取り、学校に行く服には消臭剤をしっかりかけて対策をしていたので、学校でも油くさいなどと言われることはありませんでした。  それを私に教えてくれればこんなに悩まずに済んだかもしれないのに、あまりに見た目の違う姉妹と言う事で、明日香もまた私の事を軽蔑していたのでした。  姉の明日香は何も悩むことなく、そのまま公立中学校への道を決め、私が『大和学園』への入学を決めたと聞いた時にはすでに公立高校への入学が決まっていました。  その時には、『不公平だ。』と両親には文句を言いましたが、公立の学校の中では明日香は女王様のような立場にいましたし、『大和学園』の学力があまりに高いので、編入する事もできないとわかり、文句も長くは続きませんでした。 「今日子は頭だけは良いから、高校からは多分奨学金ももらえるでしょ。いいよ。中学校の間に今日子にお金がかかる分、私のお小遣いも少しだけ増やしてくれれば、文句言わない。」  そう言って、月に一着は新しい服を買える分くらいのお小遣いを増やしてもらいました。それにアルバイトのできる高校だったので、自分でさらにお小遣いを稼いで、高校の友達と楽しい時間を過ごして、BFも作ったりしながら充実した学生生活を送っていました。  私は、心の中に幼稚園の時のあの裏切りの快感を持ちながら、小学校の時には何も発揮できませんでした。  学力で出来の良い『大和学園』に通う子供達の中で、何かが起きるのか、知らず知らずのうちに【裏切り】や、これまでの自分が受けた理不尽ないじめに対する『復讐』を、もし小学校と同じ目に遭ったらしてやろうと思うのでした。  『大和学園』に入る為の勉強を必死にしながら心の中ではどろどろとした感情を持ちながら、その感情も自分のやる気になって勉強が進みました。  小学生ながら徹夜までする日もありました。  そのおかげか『大和学園』へは、良い成績で編入生として入学することができました。    
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