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学園生活
※笹森今日子の思い。
翌日からは本格的に授業も始まって、午後までしっかりと授業がありました。
朝のHRで日直を名簿順にやっていくことを決め、編入生は今週中に部活動を決める様にも言われました。
日直はあいうえお順なのでしばらくは回ってきません。
でも総代と副総代は生徒会に参加しなければいけないのです。生徒会は月曜日の放課後にかならず行われます。
私は、いろいろな部活動を冊子で見て、一番早く帰れるのはどの部活動なのかを探しました。
なにしろ、実家の手伝いをしないと夏服も買ってもらえないかもしれないのですから。
授業の有った最初の日、お昼の時間になると、元々学園にいた生徒たちはそれぞれに集まって、教室でお弁当か何か買ったものを食べていました。
西園寺響子は、なぜか一人でお弁当を食べていました。
あまりにお嬢様なので、それが理由で取り巻きもいない様子でしたが、響子自身は一人で食べているのも気にしていない様子でした。
私も小学校の時は一人で食べていました。それはただ、いじめられていたからに過ぎなかったのですが。
私は、そこはかとなく憧れもあって、西園寺響子に声をかけました。
後で大分後悔することになるのですが・・・
「西園寺さん、よかったら机を合わせて一緒にお昼を食べましょう?」
「あら。嬉しいわ。私達小学校の時にはコロナで黙食だったからついその習慣のまま私ったら一人で食べていたわ。」
西園寺響子はコロナで黙食の最中に妊娠と言う悲劇に見舞われていたので、その後、誰かとお昼を食べるという所まで頭が回らないままに小学校の卒業式を迎えていたのでした。
表向きは留学から帰国したばかりで、疲れているのだろうと、周囲の児童は気を使って、響子を無理にはお昼に誘わなかったのでした。
榊原健斗は響子の留学と同時に、病気を理由に祖父の住む四国に転校して『大和学園』を去っていました。
響子は、自分の机を後ろに向けて、私の机と合わせました。
その時に私は声をかけたことを後悔しました。
響子のお弁当は私より一回り小さなサイズでした。その中に色も鮮やかな栄養を考えられた野菜中心のお弁当に、美しく焼き上げられたチキンが入っていました。チキンにかかっているのはパセリでしょうか。
そして、もう一つの包みにはおいしそうなサンドウィッチが薄い薄いパンで彩りよく作られ、3切れ入っていました。
対して私のお弁当箱には、実家のお弁当屋のお惣菜のコロッケが2つ。から揚げが2つ。隣にご飯が大きなお弁当箱の半分を占め、のり弁になっています。
申し訳程度にプチトマトが2つせめてもの色どりになってはいましたが、茶色いお弁当でありました。
響子はニコニコしながら自分のお弁当を食べ始めました。
私も一応ニコニコしながら自分のお弁当を食べ始めたが、ついいつものようにほうばって食べてしまいます。
一口ずつ小さな口で食べている響子とは随分な違いでした。
同じように教室で食べていた元からいた生徒たちは、二人を遠くから見て、そのお弁当の中身の違いを見ながらクスクスと笑っていました。
私のようなお弁当を持ってきている生徒は誰一人としていなかったのです。
それでなくとも担任に言われたため、きつくおさげを結んで顔がすっかり出た私は、頬骨が出ていてごつごつした顔。目は細く、団子鼻で唇だけがぽってりとしています。
そのうえ、ただでさえ体型がぽってりとしているのに、この年頃特有の女の子にありがちな更にぽってりとした体で、大きなお弁当を食べている姿は、向かい合っている響子との比較には自分で思って見てもあまりに可哀そうな姿でした。
向かい合っている響子は、美しい顔立ちで、優雅に一口ずつ綺麗なお弁当を口に運んでいます。
女子どうしながらまるで美女と野獣の様だと、私は、自分でも思いました。
クラスの男子がニヤニヤしながら自分のお弁当を早々に食べ終わってやってきて、
「笹森さんのお弁当おいしそうだね。野球部の男子みたいだね。」
と、声をかけてきました。
すると西園寺響子はにこやかに、
「えぇ、本当に美味しそう。ねぇ、笹森さん。お弁当のおかず一つだけ交換してくださらない?」
と、助け舟を出してくれたので、男子は引っ込んでいきました。
私は真っ赤になってしまいましたが、
「え・・えぇ、どれがいいかしら?」
と、響子に聞きますと、
「あのね、コロッケを一つ頂いてもよろしい?私、そう言うお店で売っているようなコロッケって食べたことがなくて。本当に美味しそう。」
と、本気の顔で言ってきます。
「笹森さんは?どれがよろしい?」
と、聞かれ、
「じゃ、じゃぁ、その綺麗なサラダを。まだこのスプーン使っていないからこれで少し分けてもらってもいいかしら?」
と、言いました。
「もちろん。でも、こんなに大きいコロッケ一つとサラダの交換じゃ不公平よね。
サンドウィッチもひとついかが?
私こんな大きなコロッケ食べたらお弁当全部は食べられないもの。」
と、言って、綺麗なサンドウィッチも選ばせてくれました。
私はサラダの他に一番気になっていたフルーツサンドを貰いました。
「美味しい。冷めているのにサクサクなのね。」
響子が意外なことに一口かじってから弁当屋のコロッケを褒めてくれました。
「美味しい。こんなサラダ食べたことない。どんなドレッシングなのかしら?それにフルーツサンドも甘さ控えめですごく上品。」
私は本気で言いました。夢中になってペロリと食べてしまいました。
二人は顔を見合わせて、『フフッ』と笑いあいました。
私は、さっきは響子は男子から自分をかばってくれたのだ。と気付いていました。こんなにヘルシーなお弁当を食べている響子が弁当屋の脂っぽいコロッケなど食べたいはずはないことにも気付いていました。
※西園寺響子の思い。
その日、私は午後の授業の最中に、気分が悪くなって保健室に行きました。
どうやら、胃がもたれてしまったらしいのです。胃もたれなどしたことはなかったのですが、つわりの時と似たような感じで吐き気さえ覚えていたのです。
揚げ物を家で食べると言っても、一度しか使わない油で揚げた、小さくまとめられたコロッケしか食べたことがなかったのに、市販で売っているようなコロッケはどうにも油のにおいが気になったし、あまりに大きなコロッケだったので食べすぎてしまったようです。
私が保健室に行くなど、小学校の時からあまりないことだったので、引継ぎ表を見て、中等部担当の保健室の先生は大層驚きました。
「中等部になって、何か環境の変化でお身体大変なのかしら?」
保健室の先生にそう聞かれ、私は小学校の時の妊娠がばれやしないかとヒヤヒヤしました。
「いえ、ちょっとお昼のおかずを交換していただいたらなんだか胃の調子がおかしくて。」
まるでつわりの時の様にむかむかする。とうっかり口に出しそうになりました。
それを聞いて、保健室の先生は胃薬を薬箱から出しては見ましたが、その胃薬を飲ませて良い物かと思案している様子でした。
保健室の先生は、西園寺さんのお家にお電話しますね。と、私の家に連絡を入れると、多分、真理さんが出たのでしょう。それだったら迎えに行くので、薬などは飲ませず休ませておいてほしいと家人から言われたと教えてくださいました。
保健室の先生は私の教室に行って、西園寺さんはは早退するので。と、詳細は言わずに私のカバンなどの持ち物を持って、保健室に戻ってこられました。
その日は授業初日なのに、いきなり私は早退することとなりました。
お迎えの車が来て、家に帰って、お昼の時の事を真理に話すと、
「そんな得体のしれない材料の物を召し上がってはいけませんわ。それでなくてもまだお身体も本調子ではないのですから。」
それもそうでした。未熟な体での出産から4か月しかたっていないのですから。
「ごめんなさい。気を付けます。みっちゃんは元気にしている?」
「えぇ。勿論でございますよ。響子お嬢様の乳母を信用してくださらなければいけませんわ。」
大みそかに生まれた鈴森理子と名付けられた私の娘は、すくすくと育ち、寝返りを打てるまでになっていました。
私と理子が会えるのは一日1時間と決められていました。
家人はみな、私の不幸な出来事は、なるべく表に出さずに、真理の娘としてしっかりと馴染むように私から離れている時間を長くとるように気を付けていました。
その日、私は家に帰ってから結局、お昼ご飯を戻してしまいました。
産科の担当医が響子の身体を診察して、食べなれない物を食べたせいで、胃の調子を悪くしたのだと、胃薬を処方してくれました。
子宮の様子もその時一緒に、1か月ぶりに確認をしました。
産後しっかりと晒を巻いていたので、お腹はすっかり元通りになっていましたし、超音波で確認した子宮はすっかり元の大きさに戻っていると告げられました。帝王切開で着いた皮膚の傷も分からない程に治っています。
「まだ、激しい運動はなさらないで下さいね。体育は貧血気味と言う事で見学と、保健室の先生に言っておきますので。」
「わかりました。ありがとう。」
理子が入っていた時にはあんなに重かったお腹がペタンコになり、以前よりも細い位になったウエストは、産後4か月がたってもなんだか頼りない感じがしていました。
私は、今日一緒にお昼を食べた笹森今日子さんが、私が早退してしまったことを気に病んでいないか、心配になるのでした。
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