5人が本棚に入れています
本棚に追加
/17ページ
笹森家
今日子から、昼休みに
「急に西園寺財閥の娘、響子さんの家に遊びに行くことになったの。帰ってからお手伝いをするので少し遅くなります。行ってもいいでしょう?」
と、電話をもらって、『大和学園』はさすがにすごい学校なのだなと、今日子の母の明日実は、初めて恐れを感じました。
西園寺財閥のお嬢様の家へ遊びに行くなんて、庶民の弁当屋の娘が?
恐れ多くて、駄目ともいいとも言わないうちに今日子の電話は切れてしまいました。
今日子の懸命の願いと、小学校の時のいじめから逃れるために、『大和学園』への入学を許しましたが、制服一つとっても、姉の明日香の通っている公立の学校とは段違いのお値段です。
高校に進学するときに奨学金がもらえなかったらやめるという約束をしたので、中等部への入学は何とか許可しましたが、学費も高く、入学金も公立の中学校では無料の所、私立の、それも名門校だったので、結構なお金がかかりました。
おまけに姉の明日香にも「今日子にかかる分の少しだけでもいいからお小遣いをあげてほしい。」と言われ、家計は火の車です。
弁当屋をしているので、日銭は稼げますが、毎日の利益を考えれば微々たるものなのです。
今日子には、無理を言って、少しでもピークの時にお弁当が早く出せるように朝に揚げ物の下揚げをさせています。
これまでと違って、販売の時にはもう一度さっと揚げ、二度揚げをしているので揚げ物は以前よりもサクサクして美味しいと、評判も良くなってきました。
帰宅後も、今日子には可哀そうかとも思いましたが、自分がどれだけ特別な学校に行っているのかを分かってもらうためにも、夕方のピーク時から夕ご飯を求めるお客さんが来る時間帯には手伝いをしてもらっています。
パートさんは大抵その時間には自分の家の事をするために帰りたがるので、これまではその時間帯は割高の賃金を払ってパートさんを雇っていました。
でも、今日子に手伝わせることで、割高の賃金を払う時間帯のパートさんを雇わないようにして、その分のお金を浮かせているのです。
そうやって、何とかやりくりしないと、夏服の季節はすぐにやってきてしまいます。
もちろん、少しの蓄えはありますが、つい最近おきた恐ろしい伝染病の時にはあわや閉店の憂き目にもあいました。
何とか、持ち直せたのは、お酒を出す店ではなかった事と、パートさんも、伝染病が怖くて皆辞めてしまったので賃金は節約出来ました。
後はいろいろ言ってくるお役所の規則を全部守って、助成金の申請も済ませ、どうにかこうにか閉店せずに済んだのです。
今もその名残で、お客様にお弁当をお渡しする場所には透明なビニールのカーテンが下がっています。
いつまたあのようなことがあるかわかりませんので、蓄えはなるべく崩したくはないのです。
今回、今日子の入学には沢山のお金がかかったので、蓄えの一部を崩してしまいました。
でも、今日子が懸命に手伝ってくれているおかげで、蓄えは元の通りに戻りそうです。
マスクも相変わらず外せません。
でも、今日子が手伝ってくれるのに、マスクは必需品でした。
食料品を扱っているのに、あまりに容姿が自分に似ていない今日子には、母親と言えど、不潔感さえ漂って見えるのでした。
男である父親は、頬骨が高かろうが、団子鼻で目が細かろうが特段難はありませんが、年頃の娘が男親と同じような容姿だとどうにもお客様の目も気になって、あまり小さい時にはお店に顔を出さないように言っていたものでした。
でも、伝染病が流行ってくれてからは、帽子を被ってマスクをすれば、今日子の容姿も小さな目以外は隠せてしまうのです。
今日子の唯一のかわいらしさであるぷっくりとした唇も、その他の顔のバランスと合わせると気持ち悪ささえ感じてしまうのです。
マスクはお店に立つ今日子にとってはいまや必需品なのです。
ともあれ、西園寺財閥になど、うちの今日子が遊びに行って大丈夫だろうか?と明日実は少々心配しながらその日の帰りを待っていました。
すると、今日子が帰宅する少し前に電話がありました。
西園寺 響という女性からでした。
「西園寺 響と申します。西園寺響子の母親でございます。本日はお宅様の今日子お嬢様を突然にお誘いして申し訳ございませんでした。」
「いえ、笹森今日子の母親の明日実と申します。本日は急にお邪魔いたしまして、失礼をいたしました。」
「いいえ、うちの響子がお誘いしたんですの。楽しそうに過ごしていましたわよ。それでなんですけれど、そちらの今日子さんにお土産をお持たせ致しましたの。
響子がそちらの今日子さんと同じ髪の香りでいたいと我儘を申しましてね。あぁ、同じ「きょうこ」という名前だとお話しづらいですわね。お嬢さんとお呼びしてよろしいでしょうか。お嬢さん、お家のお手伝いを良くなさるそうですわね。
朝の、お手伝いの後に、ぬるま湯で髪をブラッシングした後、うちの響子と同じリンスを薄めたものでもう一度髪をブラッシングして、少し濡れたまま髪を三つ編みになされば、三つ編みもしやすいですし、髪のにおいもうちの響子と同じになると思うんですの。
響子と同じリンスをお持ちいただいたので、よろしければ明日の朝からそのようにしていただくわけにはいきませんでしょうか。」
「まぁ、そちらのお嬢様と同じリンスを。そんな、きっと高価なものなのでは?頂くなんて申し訳ございませんわ。そりゃ、それくらいの時間は早くお手伝いを上がらせることはできますけれど。」
「リンスに関してはお気遣いなく。うちの響子の我儘ですもの。
そちらのお嬢様はお勉強もお出来になるうえにお手伝いまでなさっているんですもの。
髪を良い香りにするくらいのおしゃれもお許しになってあげてくださいな。」
「はぁ、それでは、お言葉に甘えさせていただきます。今日はどうもありがとうございました。」
「えぇ、それでは、またよろしければお嬢様をうちに遊びにおよこしになってくださいませね。ごきげんよう。」
「失礼いたします。」
明日実はよろよろと腰を下ろしました。
『あぁ、やっぱり、身分違いの学校なんて行かせなければよかった。きっと朝の手伝いの油のにおいが髪に移っていたのだわ。一日中店にいるお父さんと私なんて洗っても洗ってもにおいが落ちないものね。
今日子は、結局恥かしい思いをしてしまったのね。小学校の時の様にいじめられなければ良いのだけど。』
明日実がそこまで考えたときに、西園寺家のハイヤーが、商店街の入り口でとまりました。
あまり見たこともない高級車に、みんなが振り返ると、『大和学園』の制服を着た今日子が、車から降りてくるではないですか。
そして、車の中には西園寺財閥のお嬢様なのでしょう。とても美しい容姿のお嬢様が今日子に向かってヒラヒラと手を振っているのです。
「では、笹森さん、また明日。学校でね。髪、楽しみにしているわね。」
「今日はありがとう。西園寺さん。鈴森真理さんにもよろしくお伝えくださいね。」
「えぇ、では、ごきげんよう。」
黒光りする長い高級車は静かに発車しました。
今日子は周囲から見られているのを感じて、
「あ、どうも、こんにちは。」
と、挨拶しながら笹森弁当店へ入って行きました。
「ただいま~。すぐに着替えるわね。あ、お母さん。あのね、お土産を頂いたのだけれど。」
「おかえりなさい。えぇ。西園寺さんのお母様から電話を頂いたわ。明日の朝からそのリンスで髪をとかしてから学校に行きなさい。」
「え?良いの?ありがとう。お母さん。すぐに着替えてお手伝いするから。」
「悪いわね。今日子。明日香はさっぱり手伝いもしないのに。」
「やだ、お母さん。私ね、『大和学園』へ行かせてもらって本当に感謝しているの。西園寺財閥のお嬢様とも仲良くなれたしね。(私の気持ちを満足させてくれるおもちゃを見つけたのよ。)リンスで梳かせば髪についた油のにおい消えるのかしらねぇ。」
そう言うと、洗面所にリンスを置いて、急いで自分の部屋に着替えに行きました。
一着しか制服がない今日子は、臭いが気にならないように、無臭の消臭剤をしっかりとかけて、押し入れの天井に取り付けたハンガー掛けにかけて、押し入れのドアを閉めました。
消臭剤が乾いた頃に一度部屋にあがって、ビニールをかけなおすのです。
普段着の姉のおさがりのちょっときつめのジャージに着替えて、調理用の帽子と、マスクをしてお店に立ちました。
宿題や予習などは店が終って、夕食を食べ終わり、お風呂に入ってからの22時すぎからすることが多いのです。
「お待ちどうさま。さ、何からすればいいかな?」
「予約の注文の紙貼ってあるから、そのお弁当から作って頂戴。」
そう母の明日実に言われて今日子が店を手伝い始めた頃、姉の明日香が下校時に友達と一遊びした後に帰宅しました。
そして、手を洗おうとした時に洗面所に置いてある高級ブランドのリンスを見付けました。
「おぉ!ラッキー。先にシャワー浴びちゃお。」
と、言うなりリンスを掴んでお風呂場に入って行きました。
その日の夜、ひと悶着が起きました。
「私のリンスがない。」
夕食を食べようと店から上がってきた今日子は大慌てをしました。
「あぁ、さっき使ったからお風呂場にあるよ。なによ、あれ、今日子のなの?なに?なっまいきね。その顔で髪だけいい香り~なんて、気持ち悪いよ。」
「お姉ちゃん、酷いよ。あれは私が友達から貰ったんだよ。」
「明日香。謝りなさい。あれは洗面所に置いて、今日子が朝のお手伝いが終った後に使うものなのよ。」
「何よ。お母さんまで。はいはい。お手伝いをしない私はリンスインシャンプーでも十分ですよ。別に髪が良い香りじゃなくても虐められないしね~。」
明日香はふくれて、夕ご飯も食べずに自分の部屋に行ってしまいました。それもそのはず、友人と遊んで帰る途中でワックに寄って、沢山間食をしてきたのですから。
明日実はお風呂場から今日子のリンスを持ってきて、洗面所に置き、マジックで「今日子専用」とくっきりと書きました。
明日実は小学校の虐めから逃れるために、小学生なのに、時には徹夜までして、今日子が『大和学園』の編入試験の勉強をしているのを見ていたのでした。
それに、中等部に通うようになってからは、きちんと毎日のお手伝いをして、夜中に勉強していることもちゃんと知っていたのです。
ただ、今日子の心の底に潜んだ、妬みから生まれる黒い感情には気が付いてはいませんでした。
そして、翌朝のお手伝いの後、いつもより15分ほど早くお手伝いを終わらせてくれた母親から、母親が買ったけれど使っていなかった少し目の粗いブラシを貰いました。
「今日子、これをまず、ぬるま湯で濡らして髪を良く梳かすのよ。それから、流さなくてもぬるぬるしない程度までリンスを薄めて、もう一度髪をとかしなさい。あなたは髪が太いから、きっとその後すぐに三つ編みにすればいつもよりも編みやすいと思うわ。
髪を編んだらお母さんに見せて頂戴ね。髪のにおいも確認するわ。」
「ありがとう、おかあさん。」
今日子は言われたように髪の手入れをしました。
そして、三つ編みをすると、いつものごわごわした感じではなく、しっとりツルツルの髪になっていました。
三つ編みも艶々と輝いて、毛先も跳ねていませんでした。
「お母さん。できたわ。」
母親を呼ぶと、母親は、髪のにおいをかぎました。まぁ、なんて素敵な香りなんでしょう。仄かに香る高級なリンスの香りは花の匂いにも似て、いつもの油の匂いのする今日子の髪とは思えませんでした。
「うん。素敵な香りよ。それに三つ編みもいつもより綺麗にできたわね。」
「うん。リンスのブラシで溶かした後だと、すごくしっとりして結びやすいのよ。」
母子は顔を見合わせて、にっこりしました。
今日子はいつもの電車での通学路を楽しい気持で『大和学園』に向かったのでした。
最初のコメントを投稿しよう!