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しばらくして、再び扉が叩かれ、バルタサルと白い上着を着た男が入ってきた。
「失礼いたします」
医者とみられる白い上着の男は、私の寝床の横にひざまずいた。
「記憶喪失か憑きもののようだと伺っております。名前と年齢が全く違かったと」
「やっぱり違うんですね」
「言葉遣いもまるで違いますね。平民のような話し方をなさいます」
執事に、専属の医者。この体の人は相当な身分なのではないか。
「もう一度お伺いいたします。お名前は」
「ビュウです」
「名字は」
「コンです」
「年齢は」
「千歳くらいです」
医者は、手のひらに収まる大きさの紙の束に、何か書いていっている。私の答えを記録しているのだろう。
「あなたは悪魔ですか」
「あくま……? 聞いたことがありません。私は妖怪です」
「よう……かい?」
お互いが首を傾げてしまった。あくま、とは。しかも向こうは妖怪を知らない。
これはいったいどういうことなのだろう。
医者が重苦しい雰囲気で口を開いた。
「真実を申し上げますと、お嬢様のお名前はバネッサ・デ・ルスファでございます。ご年齢は二十一歳。ルスファ家のご嫡女として、王太子殿下とご結婚予定の方でございます」
「え、ええええぇぇぇぇええええ!!??」
二十一とか若っ! しかも王太子と結婚とか言ってなかった⁉︎
「このご様子ですと、記憶喪失したのと同時に、誰かしら人間ではない生物の魂が入り込んできたのでしょう」
「僭越ながら、私、このような現象の名前を耳にしたことがございます」
診察を眺めていたバルタサルが、このタイミングで入り込んできた。私は固唾を飲んだ。
「転生、でございます」
ああ、聞いたことがある。生まれ変わること、特に記憶を持ったまま生まれ変わることである。
「確かにそのような現象はございます。前世の記憶を持つ人は少なからずいるようです。ですが、記憶喪失して前世の記憶だけが残ることは、未だかつて聞いたことはございませんね……」
千年生きた私でさえ、この医者と同じ考えである。が、今まさに己の身に、記憶喪失と転生が同時に起きているのだ。
この事実を受け入れるしかないようだ。
「……承知しました。私はこの体に合わせてバネッサさんとして生きていきます」
そう言うしかない。この体は人間なので、今までのように妖術は使えるはずもない。
私が悶々としているうちに、「まずは旦那様と奥様、アグスティナ様にお伝えしてまいります」と医者が、「では私が、使用人の皆に伝えておきます」とバルタサルが申し出て、部屋をあとにした。
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