深淵

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 あの夜、810号室の鍵と深紅のヴェネチアンガラスの指輪、雅樹の名刺は自分の胸の中に留めておこうと誓った。 (許さない)  然し乍ら実際にその扉を目の当たりにした睡蓮の心はその色を変えた。 (どうして木蓮なの!)  自分の存在を拒む厚い鉄の扉、衝動に駆られた睡蓮は握り拳を作った。 「木蓮!木蓮いないの!木蓮!」  睡蓮は810号室の扉を力任せに何度も叩いた。8階の廊下に響き渡る激しい怒りが隣室の住民を叩き起こした。 「うるさいですよ!警察呼びますよ!」 「ーーー警察」 「おい、管理人室に連絡しろ!」  中からインターフォンを握る気配が伝わって来た。 「あ、ごめんなさい!間違いでした!ごめんなさい!」  睡蓮は床に落ちた紙袋を拾うと足を縺れさせてエレベーターホールへと向かった。1階でエレベーターの扉が開くと管理人と思しき男性が腕組みをして待っていた。
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