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ヴヴヴヴヴ ヴヴヴヴヴ
雅樹の胸ポケットの中で携帯電話のバイブレーション機能が着信を知らせた。それは見覚えの無い番号だったが私用電話番号を知る人物は限られている。
(ーーーまさか)
雅樹は睡蓮と伊月に背を向けるとポプラ並木を反対方向に向けて歩き出した。赤いブレーキランプから遠ざかる青白い携帯電話の明かりはこれからの4人の行く末を予感させた。
「もしもし」
息遣いが聞こえる。
「木蓮、木蓮なんだろう」
「あんたなにをしたの」
「なにって」
「睡蓮が居なくなったのは、あんたとなにかあったんじゃないの?」
「ーーーー」
「あんたたち、上手くいってたんじゃないの!」
木蓮の背後には車のエンジン音、走り出す人の騒めき、歩行者信号の機械の囀りが聞こえた。
「おまえ、外に居るのか」
「当たり前でしょ!こんな話、お父さんやお母さんの前で出来無いわよ!」
雅樹は大きく息を吸った。
「睡蓮がおまえと俺の事に気付いた」
「気付いた?」
「あの部屋の鍵の事を知っていた」
「嘘ーーーいつから」
「新婚旅行に行く前、俺がおまえに荷物を出した頃」
「ーーー結婚式の前じゃない」
「わかんね」
そうだ、810号室の鍵を仕舞い込んだのはおもちゃのオルゴールだった。睡蓮とお揃いのおもちゃのオルゴールは鍵穴も同じだったのかもしれない。木蓮は後頭部を殴られた様な衝撃を受けた。
(ーーーだから家に来なかったのね)
思考回路は乱れ、目の前が暗くなった。どうして気付かれないと思ったのだろう、どうしてあの時810号室の鍵を捨てなかったのだろう。それは雅樹も同じ思いで睡蓮の事を軽んじていた事を悔いた。
「どうしたら良いの」
「謝るしかないだろう」
「なんて言うの!あなたの婚約者と寝ましたって言えば良いの!?」
「それしかないだろう!」
「それでその後はどうなるの!」
「わかんねぇよ!」
雅樹は力無くその場に座り込んだ。睡蓮は810号室の鍵や深紅の指輪の事を知っていたにも関わらず毎日笑顔で尽くしていてくれた。
「ーーーわかんねぇよ」
木蓮とは激しい恋情で身体の繋がりはある、睡蓮とは身体の繋がりこそないが惜しみない愛情を注いでくれる。
「わかんねぇよ」
木蓮とは終わった事だ、どんなに恋焦がれてもあの夜は戻らない。
「ーーーー木蓮」
「なに」
「あの部屋の鍵、返してくれないかな」
「ーー!」
「また連絡する」
雅樹とは終わった事だ、どんなに恋焦がれても姉の夫で自分には伊月という婚約者が居る。けれどいざ810号室の鍵を手放すとなると躊躇いが残った。
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