第3章 自分の意思

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第4話 渦 「フィデリオは真っ直ぐなんだよね。それは凄く良いことなんだけど、視野が狭くなっちゃう。だからこれは視野を広げる修行だよ。予測できないことが起きてもきちんと対処できるようにね!」 「ああ」 「レーアも少しフィデリオと似てるんだよね。真っ直ぐで素直で純粋な分、思い込みが強くなっちゃう。もっともっと色んなことを経験して、視野を広く持てるといいね!」 「はい」 フランツ先生は修行の後、しっかりとフィードバックをくれた。 「でも最後のは凄く良かった! 俺もあんな風にするとは思わなかったから、びっくりした!」 「あ、あれはその…」 褒めてもらったから、少なくとも怒られている訳ではないと分かる。 だけど今回の修行の目的とは違うことをしてしまっただろう。 「何でああしたのか、聞いてもいい?」 小首をかしげるフランツさんが私をキラキラした目で見てくる。 「えっと…」 正直恥ずかしかったけど、私は勇気を出してあの時の気持ちを言葉にした。 「綺麗だなと思ったんです。このまま降ってくる花を受け止めたら素敵だろうなって」 「やってみてどうだった?」 「えっと…凄く心地よかったです」 「いいね!」 にっこりと、フランツ先生は笑う。 「ルールに縛られるんじゃなくて、その瞬間の自分の気持ちを優先できた。これは凄いことだよ! 自分の心を大切にできたってことだから!」 「心…」 『君の心は、世界を見たがっている』 そう言ってくれたのは、目の前の魔法使いだ。 確かに、私はあの景色を見られてとても幸せだと、そう思えた。 「綺麗でした。とっても。素敵な景色を見せてくれてありがとうございます、フランツさん!」 「えっへへ! どういたしまして!」 素敵な魔法の時間だった。 ホクホクとした気持ちで足取り軽く部屋へ向かっていると、広い廊下の先で人影が現れた。 カトリーナさんだ。 今日はパルテルイエローの柔らかいドレスを着ていて、窓から入る朝日の中で天使のように微笑んでいる。 「おはようございます、カトリーナさん」 「おはようございます、レーアさん」 高揚した心地だったので私の方から話しかけると、カトリーナさんは嬉しそうに目を細めて応えてくれた。 「魔法の修行、少し見させていただきましたわ」 「あ、そうでしたか」 まったく気づかなかった。 私がワタワタと花びらを避けている姿を見られていたのか…。 「とても楽しそうで私まで明るい気分になりました」 「それは良かったです」 なんて優しい。 「レーアさんは、その、魔女なのでしょうか?」 「いいえ、人間です。私に魔法は使えません」 「では、何故修行を?」 「えっと…思い込みが強いからだって。色んな経験をした方がいいそうです」 「経験…?」 「あ、フランツさんがそう言ってました。彼は長寿の魔法使いで、フィデリオさんの師匠なんです」 「そうですか…」 何故だろう、少しだけがっかりしたように目が伏せられた。 「あの、何かありましたか?」 「ああ、いえ。お気になさらないでください」 何か言いたいことがあったのに、無理をして黙っているのではないだろうか。 何故だかそんな直感があった。 「あ、あの! 私で良ければ話してください。お力になれることもあるかも知れません」 「レーアさん…」 感動したように開かれた紺碧の瞳を見て、私は少しだけホッとしていた。 招かれたのは彼女の自室。 私の客間も豪華だけれど、彼女の部屋もとても豪華だ。 あちこちに花が生けられて、彼女の美しさを彩っているようだった。 「おかけください。今お茶を持たせます」 小さなベルを鳴らすと、すぐに使用人の方がやってくる。 女性にお茶を頼み、カトリーナさんは椅子に腰掛けた。 私も、彼女の正面の椅子に座る。 カトリーナさんは俯いて、絡めた指を何度か握り視線を迷わせる。 私は彼女の心が決まるのを待った。 そうしているうちにドアが静かにノックされ、お茶が運ばれてくる。 甘く爽やかな香りのお茶に、小さなクッキーが添えられている。 「どうぞ、召し上がって」 「いただきます」 促されて口に運ぶと柔らかな苦味のあとに、すっきりとした甘みが広がってとても爽やかな香りに包まれた。 「美味しい…」 「気に入っていただけて良かったわ。私のお気に入りのお茶なんです」 「そうなんですか! とっても美味しいです」 「ふふ…」 ふと、彼女の表情が緩んだ。 「レーアさんはとても素敵な方ですね」 「え、わ、私がですか?」 「ええ、素直で可愛らしい方ですわ。皆様から愛されているのがとても良く分かります」 まるで羨ましいと言わんばかりに、私を見つめてくる。 その視線に、私は慌てた。 「カトリーナさんこそ、お父様にも街の皆さんにも愛されてるじゃないですか! 自信があって、とても美しくて、その…私、羨ましいって思ってたんです」 「そんな、買い被りです」 「そ、そんなことないですよ!」 私の否定の言葉にも、彼女の悲しそうな瞳を変えることはできなかった。 「あの、どうしてそう思うんですか?」 「…」 カトリーナさんはまた、視線を彷徨わせた。 だけど私はじっと待った。 きっと彼女は誰かに聞いてほしいのだと思ったから。 魔法も使えない、何もできない私でも、きっとそれくらいのことはできると思ったから。 「私は、父の本当の娘では無いのです」 「えっ…?」 思ってもみなかったセリフに、声を上げてしまう。 「この街の領民だった母は若い頃に私を身篭りましたが、その時の夫は病で早くに亡くなりました。父は幼い私を懸命に育てる母に心を寄せてくれて、母と私を引き取ってくれたのです。ですが、母もその後すぐに…」 「そうでしたか…」 カトリーナさんは、実の両親をすでに亡くしてしまっているのだ。 それは、まるで自分のことのようだった。 「ですが父はその後、ますます私を気にかけてくれるようになりました。寂しく無いようにと早く帰ってくるようになり、あんなお祭りまで。…それが、私には申し訳なくて…」 「どうしてですか? カトリーナさんは何も悪く無いじゃないですか」 「…母の病は私を産んだ後に発症したのです。だからきっと、私のせいだと…」 「そんな…」 「わかっています、何の根拠もありません。お医者様も、私の出産が原因では無いとおっしゃいました。けれど、どうしても考えてしまうのです…。私を産まなければ、母はもっと幸せに生きられたのではないかと…」 上手く息ができないのだろう、喘ぐように開かれた口から溢れ出たのは、きっと彼女が誰にも言わず押し殺してきた本当の心。 「罪深い私が父や街の皆から愛されて良いわけがないのです…」 小川のせせらぎは渦を巻き、流れをかき乱した。 「カトリーナさん…」 ポタポタと大粒の涙が伏せられた瞳から零れ落ちる。 私は彼女の震える手にそっと自分の手を重ねた。 そうやって自分を責めてしまう気持ちはよく分かる。 私もそうだ。 母は私を産んだ為に命を落とした。 父は私の為に都での生活を捨て、村に帰った。 その父も私を守る為に母と同じところへ行ってしまった。 だから、彼女の気持ちを否定したくなかった。 「私も同じです」 「え?」 私は自分の身の上を話した。 大きく開かれた瞳は、次第に共感の色を帯びていく。 「こんなことがあるでしょうか。たまたま出会ったあなたが、こんなにも私と似た経験をなさっているだなんて」 「はい、私も驚きました。でもだからこそ、分かり合えます」 握り返された柔らかな手が縋るように胸元に持ち上げられた。 「ええ、ええ。…ああ、なんて嬉しい。レーアさん、あなたに出会えて私は幸せです」 小川は新しい流れを見つけ、その心地よさにしばし浸る。
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