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第4話 渦
「フィデリオは真っ直ぐなんだよね。それは凄く良いことなんだけど、視野が狭くなっちゃう。だからこれは視野を広げる修行だよ。予測できないことが起きてもきちんと対処できるようにね!」
「ああ」
「レーアも少しフィデリオと似てるんだよね。真っ直ぐで素直で純粋な分、思い込みが強くなっちゃう。もっともっと色んなことを経験して、視野を広く持てるといいね!」
「はい」
フランツ先生は修行の後、しっかりとフィードバックをくれた。
「でも最後のは凄く良かった! 俺もあんな風にするとは思わなかったから、びっくりした!」
「あ、あれはその…」
褒めてもらったから、少なくとも怒られている訳ではないと分かる。
だけど今回の修行の目的とは違うことをしてしまっただろう。
「何でああしたのか、聞いてもいい?」
小首をかしげるフランツさんが私をキラキラした目で見てくる。
「えっと…」
正直恥ずかしかったけど、私は勇気を出してあの時の気持ちを言葉にした。
「綺麗だなと思ったんです。このまま降ってくる花を受け止めたら素敵だろうなって」
「やってみてどうだった?」
「えっと…凄く心地よかったです」
「いいね!」
にっこりと、フランツ先生は笑う。
「ルールに縛られるんじゃなくて、その瞬間の自分の気持ちを優先できた。これは凄いことだよ! 自分の心を大切にできたってことだから!」
「心…」
『君の心は、世界を見たがっている』
そう言ってくれたのは、目の前の魔法使いだ。
確かに、私はあの景色を見られてとても幸せだと、そう思えた。
「綺麗でした。とっても。素敵な景色を見せてくれてありがとうございます、フランツさん!」
「えっへへ! どういたしまして!」
素敵な魔法の時間だった。
ホクホクとした気持ちで足取り軽く部屋へ向かっていると、広い廊下の先で人影が現れた。
カトリーナさんだ。
今日はパルテルイエローの柔らかいドレスを着ていて、窓から入る朝日の中で天使のように微笑んでいる。
「おはようございます、カトリーナさん」
「おはようございます、レーアさん」
高揚した心地だったので私の方から話しかけると、カトリーナさんは嬉しそうに目を細めて応えてくれた。
「魔法の修行、少し見させていただきましたわ」
「あ、そうでしたか」
まったく気づかなかった。
私がワタワタと花びらを避けている姿を見られていたのか…。
「とても楽しそうで私まで明るい気分になりました」
「それは良かったです」
なんて優しい。
「レーアさんは、その、魔女なのでしょうか?」
「いいえ、人間です。私に魔法は使えません」
「では、何故修行を?」
「えっと…思い込みが強いからだって。色んな経験をした方がいいそうです」
「経験…?」
「あ、フランツさんがそう言ってました。彼は長寿の魔法使いで、フィデリオさんの師匠なんです」
「そうですか…」
何故だろう、少しだけがっかりしたように目が伏せられた。
「あの、何かありましたか?」
「ああ、いえ。お気になさらないでください」
何か言いたいことがあったのに、無理をして黙っているのではないだろうか。
何故だかそんな直感があった。
「あ、あの! 私で良ければ話してください。お力になれることもあるかも知れません」
「レーアさん…」
感動したように開かれた紺碧の瞳を見て、私は少しだけホッとしていた。
招かれたのは彼女の自室。
私の客間も豪華だけれど、彼女の部屋もとても豪華だ。
あちこちに花が生けられて、彼女の美しさを彩っているようだった。
「おかけください。今お茶を持たせます」
小さなベルを鳴らすと、すぐに使用人の方がやってくる。
女性にお茶を頼み、カトリーナさんは椅子に腰掛けた。
私も、彼女の正面の椅子に座る。
カトリーナさんは俯いて、絡めた指を何度か握り視線を迷わせる。
私は彼女の心が決まるのを待った。
そうしているうちにドアが静かにノックされ、お茶が運ばれてくる。
甘く爽やかな香りのお茶に、小さなクッキーが添えられている。
「どうぞ、召し上がって」
「いただきます」
促されて口に運ぶと柔らかな苦味のあとに、すっきりとした甘みが広がってとても爽やかな香りに包まれた。
「美味しい…」
「気に入っていただけて良かったわ。私のお気に入りのお茶なんです」
「そうなんですか! とっても美味しいです」
「ふふ…」
ふと、彼女の表情が緩んだ。
「レーアさんはとても素敵な方ですね」
「え、わ、私がですか?」
「ええ、素直で可愛らしい方ですわ。皆様から愛されているのがとても良く分かります」
まるで羨ましいと言わんばかりに、私を見つめてくる。
その視線に、私は慌てた。
「カトリーナさんこそ、お父様にも街の皆さんにも愛されてるじゃないですか! 自信があって、とても美しくて、その…私、羨ましいって思ってたんです」
「そんな、買い被りです」
「そ、そんなことないですよ!」
私の否定の言葉にも、彼女の悲しそうな瞳を変えることはできなかった。
「あの、どうしてそう思うんですか?」
「…」
カトリーナさんはまた、視線を彷徨わせた。
だけど私はじっと待った。
きっと彼女は誰かに聞いてほしいのだと思ったから。
魔法も使えない、何もできない私でも、きっとそれくらいのことはできると思ったから。
「私は、父の本当の娘では無いのです」
「えっ…?」
思ってもみなかったセリフに、声を上げてしまう。
「この街の領民だった母は若い頃に私を身篭りましたが、その時の夫は病で早くに亡くなりました。父は幼い私を懸命に育てる母に心を寄せてくれて、母と私を引き取ってくれたのです。ですが、母もその後すぐに…」
「そうでしたか…」
カトリーナさんは、実の両親をすでに亡くしてしまっているのだ。
それは、まるで自分のことのようだった。
「ですが父はその後、ますます私を気にかけてくれるようになりました。寂しく無いようにと早く帰ってくるようになり、あんなお祭りまで。…それが、私には申し訳なくて…」
「どうしてですか? カトリーナさんは何も悪く無いじゃないですか」
「…母の病は私を産んだ後に発症したのです。だからきっと、私のせいだと…」
「そんな…」
「わかっています、何の根拠もありません。お医者様も、私の出産が原因では無いとおっしゃいました。けれど、どうしても考えてしまうのです…。私を産まなければ、母はもっと幸せに生きられたのではないかと…」
上手く息ができないのだろう、喘ぐように開かれた口から溢れ出たのは、きっと彼女が誰にも言わず押し殺してきた本当の心。
「罪深い私が父や街の皆から愛されて良いわけがないのです…」
小川のせせらぎは渦を巻き、流れをかき乱した。
「カトリーナさん…」
ポタポタと大粒の涙が伏せられた瞳から零れ落ちる。
私は彼女の震える手にそっと自分の手を重ねた。
そうやって自分を責めてしまう気持ちはよく分かる。
私もそうだ。
母は私を産んだ為に命を落とした。
父は私の為に都での生活を捨て、村に帰った。
その父も私を守る為に母と同じところへ行ってしまった。
だから、彼女の気持ちを否定したくなかった。
「私も同じです」
「え?」
私は自分の身の上を話した。
大きく開かれた瞳は、次第に共感の色を帯びていく。
「こんなことがあるでしょうか。たまたま出会ったあなたが、こんなにも私と似た経験をなさっているだなんて」
「はい、私も驚きました。でもだからこそ、分かり合えます」
握り返された柔らかな手が縋るように胸元に持ち上げられた。
「ええ、ええ。…ああ、なんて嬉しい。レーアさん、あなたに出会えて私は幸せです」
小川は新しい流れを見つけ、その心地よさにしばし浸る。
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