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第8話 静謐で神聖な
それは、海の近くだった。
波音と海鳥の声が聞こえる。
ごつごつとした岩肌に薄く緑が這う、人の手が入っていない土地。
そんな場所を箒で飛んでいく。
「この辺だね」
先を行くフランツさんが呟いて、地面に降り立つ。
フィデリオさんもゆっくりと箒を止めて、
「足元が悪いから気をつけて」
そう言って私を気遣ってくれた。
潮風が吹き、私は少し肌寒さを覚えた。
「こんなところに遺跡が…?」
見回してみてもそんなものは見当たらない。
「魔法で隠してあるんだ。見てて」
フランツさんが片手を前に出し、何やら呪文を唱える。
すると、目の前に光で出来た巨大なベールのようなものが現れた。
ベールは何かを隠しているように中央が盛り上がっている。
そして、風に靡くように一部が捲れ巨大な門がその中に見えた。
花や植物の美しい装飾が施された白い石造りの門が、まるで私たちを招き入れるかのようにゆっくりと開く。
「さあ、お手をどうぞ」
まるでダンスパーティへのエスコートをするみたいに、恭しく腰を折ったフランツさんが私に手を差し出す。
私は少し笑って、その手を取った。
昨日のパーティの時も、そうやって誘ってくれれば良かったのに。
手を引かれ、門の中へ入る。
瞬間悪寒が走り空気の違いを感じたが、それは本当に一瞬で、勘違いかと思うほどだった。
次の瞬間には静謐で神聖な空気が身を包み、自然と背筋が伸びる。
「わあ…」
遺跡の中は、今でも祈りを捧げるために人々が通っているのではと思うほど整えられていた。
広い空間を支える巨大な石の柱が何本も並び、正面突き当たりには燭台や杯が並ぶ祭壇と巨大な像。
ちょうどその像の上から陽の光が入って、さらに神々しさが増している。
女神を模ったものだろうか、翼を持ち流れるような薄衣を身にまとった女性が、祈りを捧げるように胸の前で手を組んで微笑みを浮かべている。
私がその美しさに感動しているうちに、いつの間にか手を離したフランツさんが女神像に近づいていく。
色々な角度からそれを眺め、満足そうに頷いた。
「うん、大丈夫そうだね」
言ってこちらを振り返る。
「近くで見てもいいよー」
おいでおいでと手招きして、入り口から動かなかった私たちを呼んだ。
コツコツと、石造りの空間に靴音が響く。
その反響さえも心地良く、あえてゆっくりと歩を進めたくなる。
その足は祭壇の前で自然と止まった。
女神像は巨大だった。
その足元に立つと首がほぼ真上を向くだろう程。
神殿の中に像を入れたのではなく、像があった場所に神殿を建てたといわれたほうが納得できる。
陽の光を受けて、その微笑みはまるでこの世の全てを包み込むほどの慈愛に見えた。
「きれい…」
私は無神教者だが、思わず祈りを捧げたくなる。
そんな心地にさせる神聖さがそこにはあった。
「この女神像にどんな謂れがあるのか、何もわからないらしい。それくらい古いものだそうだ」
並んだフィデリオさんが、女神像を見上げながら教えてくれる。
「アイリスの街を訪れた騎士団が見つけて魔法省に連絡が来たんだが、それまで誰もこの神殿の存在に気づかなかった」
「人が来ない場所だからですか?」
「いや、街道からそう離れていないし、空を飛ぶ魔法使いもいる。何よりこの場所の気配に気づかない魔法使いはいないだろう」
「じゃあどうして…?」
「直前まで封印されてたんだよ。かなり強力な魔法でね。それが何故だか解けちゃった」
「え、だ、大丈夫なんですか?」
「うん、それで俺たちが調査したんだけど今すぐ害になるようなものは無かったんだよね。だからまあとりあえずデレックに相談して、新月の儀式をして変な魔法使いとか変な人間に見つからないように目眩しの魔法をかけたんだ」
「どうしてデレックさんに?」
「こういう神殿は、その土地と土地に生きるものを守るものだ。だから領主であるデレックも儀式に参加してもらった」
「そうなんですね。それでその、儀式というのは?」
「幸せになりますよーにって!」
「フランツ、それじゃ意味が分からないぞ。見ろ、レーアの顔」
「あはは、レーアびっくりしてる。おもしろーい」
「新月は始まりを表す。だからアイリスの街との良い絆をこれから結んでいけるように、女神像に祈りを捧げたんだ。あとは、正式な祝福の魔法をかけた」
「正式?」
「聖なる粉で魔法陣を描いたり、聖水で場を清めたり、そういうの!」
「へえ、じゃあいつものは簡易版ですか?」
「そうだね。だけどちゃんと心はこもってるよ」
そこでウインクをひとつ。
お茶目な魔法使いに、私は笑顔を返した。
「じゃあ、その簡易版を捧げて帰ろうか。レーアも一緒に」
「はい」
目を閉じて胸の前で手を組む。
どうかこれからも、この地を祝福してください。
私の新しい友人が暮らすこの土地を。
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