第1章 自分の可能性

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第9話 心は自由 その感覚に慣れるまで、しばらく時間がかかった。 私の体を支えるのは少し変形した木の枝。 それと「しがみついてもいい」と許可の降りている逞しい背中。 足元は何もない。最初は心許なくてフィデリオさんの上着を握っていたが、少し慣れて景色を楽しめるようになった。 足元を森や町が通り過ぎていく。 私は生まれ育った村しか知らないから、あんなに沢山の建物が並んでいる場所を見て驚いた。 降りて欲しい気持ちを何とか堪えて、「都はあの町よりもっと大きいぞ」というフィデリオさんの言葉を楽しみにすることにした。 「疲れてないか、レーア?」 「はい。大丈夫です」 「もうすぐ都に着くからな」 「はい!」 「ひゃっほー!」 前方でフランツさんが宙返りをする。 本人はものすごく楽しそうだけど、あれはちょっと遠慮したい…。 「あの、そういえば、魔法省での仕事って何をするんでしょう?」 「ああ、話していなかったな。親父さんからどんなことを聞いてる?」 「魔法使いの皆さんのお手伝いだって。薬草の知識はその時身につけたと聞きました」 「そうだな、薬草の知識でも俺たちを助けて欲しい。それなりに詳しい奴がいるからレーアはそいつのサポートと、あとは事件が起きた時の連絡係とか、調査の手伝いってところだな。動き回ることも多いが大丈夫か?」 「はい。あの…事件って?」 「基本的には魔法生物や魔法使いが起こす事件の調査が俺たちの仕事だ。しかし、レーアの村で起こったようなことが最近頻発していてな、しばらくはその調査にあたる」 「頻発…」 事件の原因となった瘴気を出す泉。あれは自然に発生したものではなく、人為的なものの可能性が高いと聞いた。 あんな風に魔法生物を苦しめて、周囲の人間にまで被害を及ぼすようなものを、誰かがやった? 優しい父さんの顔が浮かぶ。 だけどもう、あの笑顔はない。奪われてしまった。 父さんのような被害者が増え続けているのだと思うと、自然と体が震えた。 恐怖、不安、そして憤り。 「レーア?」 「あ、はい」 「やはりキツイか? 恐らく今回の事件に犯人がいるのなら、それはレーアの親父さんの仇ということになるだろう?」 「父さんの…」 そうだ。 この感情が、はっきりと形を持った。 憎しみ。 私から父さんを奪った。 優しくて大好きな父さんを。 「レーア…?」 「あ、いえ…」 湧き上がりそうになる感情を無理やり押さえ込む。 「もし辛いなら、俺たちとは違うチームを希望するか? どこも手が足りてないからな。レーアは働き者だし、歓迎してもらえるだろう」 「いえ、その…」 鳩尾のあたりが熱い。沸々と温度を上げていきそうなそれに、戸惑った。 だけど、はっきりとそこにある。 それだけは確かだ。 ああ、そうだ。大好きな父さんを奪った人がいる。 許せない。あんなにみんなから愛されて、私を愛してくれた父さんを。 ただあの村で幸せに暮らしていただけなのに。 それなのに、どうしてあんな目に遭わされないといけないの!? 理不尽だ。こんなのは許せない! 私が… 「レーア」 明るい声が、私の意識を外に連れ出す。 横合いから、フランツさんが私の顔を覗き込んでいた。 「深呼吸しよう」 「え?」 「いいから」 「はい…」 言われるままに数回深呼吸をする。 不思議と鳩尾の熱さが落ち着いた。 「君の心だ、君の自由にすればいい。だけど、扱い方を間違えちゃダメだよ」 「え?」 「誰かを傷つけたいっていう気持ちを無視しなくていい。俺だってあるもん。このやろーとか、お前のせいだーって思うこと。それはいいんだ、感じても。だってそれが俺なんだもん」 「…」 「だけどね、それをそのままぶつけると、同じになっちゃう。されたことをそのまま返すなんて、面白くないしね」 清々しいほどの笑顔。 この人の中にも本当にこの気持ちがあるのかと、疑いたくなるほどの。 「君の心は、それだけのためにあるんじゃない」 「あ…」 優しい声だ。 私の中の憎しみを分かっていて、それをそのまま包み込んでくれるような、温かな。 「君の心は、世界を見たがっている。憎しみも悲しみも苦しみも、きっと見つけるだろう。それは思い切り感じていい。だけど…」 そこで、フランツさんはくるりと一回転した。 「素敵なものを探そう! そう決めればたくさん出会えるよ。この世界には幸せも楽しみも喜びも満ちてるんだ。それを見ないなんて、もったいない!」 確かに、その通りだ。 そうだ。私はいろいろなものを見るために村を出た。それはきっと見たこともない素敵なものだって、そう思っていた。 だから、この気持ちに囚われたままなんて、もったいない。 なんだかそんな気になった。 「ありがとうございます、フランツさん」 「どういたしまして。君の心は自由だ。見たいものを見ればいい。だったら何を見たい? って、いつも自分に聞いてあげるんだよ」 「…はい!」 「うん、いい笑顔だね!」 フランツさんの手が伸びて頭をひと撫でされた。 フランツさんは私のことを娘とか妹みたいに思ってくれているのだろうか。 「レーア、都が見えてきたぞ」 優しい声に視線を移すと、見たこともない景色が広がっていた。 「わあ…!」
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