【第一部】夫の生殺与奪の権利、いただきます  プロローグ

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【第一部】夫の生殺与奪の権利、いただきます  プロローグ

 大国ルウェルハスト国の最東。  エインズワース辺境伯城は、夜半だと言うのにある種の熱気に包まれていた。  多くの兵が寝ずの番と称して酒を煽り、つい数時間前の一方的な殺戮への興奮そのままに大騒ぎをしている。  兵士や騎士たちは、多くの血を見ると興奮状態になると聞くけれど、この様子を見るとあながち嘘でもないようだ。  マグドネル国との間に勃発した四年にもわたる戦が昨年終わって以来、兵士たちが剣を振るい人を屠る機会はなくなった。  今日はそんな彼らに訪れた、久々の機会だったというわけだ。 (下品なことね。主の程度が知れるわ)  そんな彼らの間を悠然と進みながら、小国モルディア国の第一王女ヴィオレーヌは鼻に皺を寄せた。  紫がかった銀色の髪が歩くたびに背中のあたりでさらさらと揺れる。  銀糸や金糸で細かな刺繍がされた、本来はとても美しいはずの純白の衣装は、たくさんの返り血を浴びて無残なことになっていたが、ヴィオレーヌは気にも留めない。  コツコツと足音を響かせて、玄関ホールや廊下に直接胡坐をかいて酒を煽る兵士の間を縫うように歩いていく。  これほど堂々としているのに、誰もヴィオレーヌには気づかない。  ――否、気づけないのだ。  ヴィオレーヌは腰ベルトで固定してある剣の柄に触れて、ぐっと眉を寄せた。 (……ここで全員殺したらすっきりするかしら?)  一瞬、ヴィオレーヌの黒い瞳が暗く濁る。  しかしすぐに頭を振ると、その考えを消した。  ヴィオレーヌの護衛としてついてきた騎士や兵士たちは、つい数時間前にこの場にいる男たちに全員殺されたけれど、ヴィオレーヌはそうなることを知っていて放置していた。  ヴィオレーヌをただの道具としか認識していないマグドネル国の兵士など、気にかけてやる義理はないからだ。  マグドネル国と小国モルディア国は隣り合わせの国で、同盟国だった。いや、同盟は破棄されていないので今もまだ同盟国だが、その同盟は決して対等なものではない。  四年前にマグドネル国がルウェルハスト国に対して起こした戦争に、かの国と同盟国であるモルディア国は否応なく巻き込まれ大きな被害が出た。  ルウェルハスト国がマグドネル国の王都を制圧し、戦争は四年の歳月を経てようやく終わりを迎えたが、ルウェルハスト国に及ばずともマグドネル国は大国で、ルウェルハスト国とてかの国を併合するのは難しい状況だったらしい。  話し合いの末、マグドネル国を属国として扱うこと、二度とルウェルハスト国へ戦を仕掛けないことが魔術契約にとって結ばれた。  ヴィオレーヌにしてみればかなり甘い措置だと思うが、ルウェルハスト国王は争いを好まない穏健な人物で、自国と、それからマグドネル国の国民の生活を最優先に考えた結果の決断だったらしい。  そして、ルウェルハスト国王は人質としてマグドネル国から王太子の妃を出すように要求したが、マグドネル国には王女が一人しかおらず、敵国の王子に嫁ぐことを拒否した。そこで白羽の矢が立ったのが、同盟国とは名ばかりの小国モルディア国である。  マグドネル国はモルディア国の第一王女ヴィオレーヌを王の養女としてルウェルハスト国へ嫁がせることに決めたのだ。  モルディア国王夫妻はその申し出を断ろうとしていたが、断ればどうなるかわからないと止めたのはほかならぬヴィオレーヌだった。  モルディア国もマグドネル国の戦争に付き合わされたので、非常に大きな被害が出ている。  マグドネル国からの申し出を断った結果、マグドネル国から、またはルウェルハスト国から敵国として認識されるのは避けたいところだった。  そしてヴィオレーヌはマグドネル国へ移り、嫁入り支度が整った三か月後、マグドネル国の大勢の騎士や兵士たちに囲まれてルウェルハスト国へ出発したのだ。  それが一か月前の話である。  マグドネル国から出発し、ルウェルハスト国の東の端の国境近くにある渓谷で、それは起こった。  武装した男たちに、突如として襲われたのだ。  護衛の騎士や兵士たちの数の三倍はあろうかという男たちは、ただの賊ではなく訓練された兵士たちで、ヴィオレーヌの嫁入りに付き合ってやって来た彼らは一人残さずに殲滅された。  そう、ここにいる兵士たち――、ヴィオレーヌを迎えにやって来た、ルウェルハスト国王太子ルーファスの兵士たちの手によって。 (……馬鹿な男)  ヴィオレーヌは口元に弧を描いた。  城の二階に上がり、最も警備が厳重な部屋を見つけると、部屋の扉を守っている男たちの前に立つ。目の前にいると言うのに、それでも男たちは気づかない。当然だ。何故ならヴィオレーヌは姿消しの魔術で姿を消しているのだから。  もちろん、王太子の周りは警備が厳重で、兵士たちとともに何人かの魔術師も派遣されている。  魔術を使って侵入できないようにこの城には幾重にも結界が張り巡らされていた。  普通の魔術師であれば、姿を消して侵入しようとした時点で気づかれて捕縛されているだろう。  ――普通の、魔術師で、あれば。  残念ながら、ヴィオレーヌは普通の魔術師ではないのだ。  ヴィオレーヌの実力を知るものは彼女とその師のみだが、本気になれば一人で千人もの騎士を屠れるほどの実力のある魔術師なのである。  おそらく、マグドネル国とルウェルハスト国の戦争も、ヴィオレーヌが出ていたら戦況が変わっていただろう。  それをしなかったのはひとえに、マグドネル国に義理立てする気がなかったからだ。  自国の兵士たちに対しては出立前に守りの魔術をこっそりとかけたが、何故マグドネル国に対して心を砕いてやる必要があるだろうか。  ヴィオレーヌの魔術のおかげで、長きにわたる戦争でもモルディア国の兵士たちは誰一人命を落とさなかった。ヴィオレーヌはそれだけで満足なのである。戦争を起こした張本人であるマグドネル国のことなど、興味がない。  その結果、ヴィオレーヌがルウェルハスト国に嫁がされることになると、ヴィオレーヌは知っている未来を変えようとは思わなかった。  ――そうしなければ、ヴィオレーヌの気がおさまらなかったからだ。 「眠りなさい」  一言。  ヴィオレーヌがそう言った直後、扉の前の騎士たちがその場に崩れ落ちて寝息を立てはじめた。  才能もあったが、それ以上に血反吐を吐くような訓練で手に入れたヴィオレーヌの魔術にかなうものなど、今はどこにもいない。それこそ彼女の師であっても、今のヴィオレーヌにはかなわないだろう。  今日までに手に入れておきたかった力はすべて手に入れた。  あとは、ヴィオレーヌが知る未来を変えるだけだ。  大きく息を吸い込むと、ヴィオレーヌは部屋の扉に手をかける。  この中に、ルーファスが眠っているはずだ。  ヴィオレーヌがドアノブをひねると、鍵がかかっていたにも関わらず、いとも簡単に扉が開いた。  部屋の中は暗い。  魔術で視力を強化すると、ヴィオレーヌは帳が下りている寝台を見つけた。  ゆっくりと近づいていく。  指先を引っ掻け、帳を薄く開くと、その中にはルウェルハスト国王太子ルーファスが眠っていた。  金色の艶やかな髪。閉じた瞼の奥の瞳はシルバーグレイ色をしていると聞いている、見目麗しい王太子。  年齢はヴィオレーヌより二つ年上の二十歳で、戦時中に自国の貴族令嬢を二人ほど側妃として娶っているらしい。  そして、嫁いでくる予定のヴィオレーヌを、賊の仕業と見せかけて殺害するように指示を出した、張本人。 (今度は、あなたの思い通りにはさせないわ)  ヴィオレーヌはこの日のために力をつけてきたのだ。  ベッドに乗り上げて、ヴィオレーヌはルーファスの左胸の上に両手をついた。 「縛り、つなげ」  ついた手のひらの下から紫色の光が溢れて、複雑な魔法陣が展開していく。  魔力が根こそぎ奪われていく感覚に、ヴィオレーヌはぐっと奥歯を噛んだ。 (さすが禁術ね。魔力消費量が半端じゃないわ)  くらくらと眩暈がしてきたが、途中で止めるわけにはいかない。途切れそうになる意識を繋ぎとめて何とか術を最後まで完成させた直後、ぎゅっとヴィオレーヌの左胸の奥が縛られる感覚がした。  片手を胸の上に置いて、ふう、と息を吐き出すと、革ベルトにつけているポシェットの中から魔力回復の薬を取り出した。一気に煽って、目を閉じて回復を待つ。  この回復薬一つで貴族の家一軒が建つとも言われているが、回復薬を自分で作れるヴィオレーヌにはこれを惜しむという感覚がない。  魔力が回復すると、ヴィオレーヌはベッドの上から降りて、腰から剣を抜いた。  姿消しの魔術を解き、剣の切っ先をルーファスの喉元に突きつける。  それだけで、ルーファスが飛び起きた。  この王太子は剣の手練れだ。  姿を消していたときならいざ知らず、姿消しの魔術を解いて剣を突きつけて気づかぬはずがない。 「何者だ!」 「動かないで」  ぴたりと喉に剣が突きつけられている現状に気づいたのか、ベッドに横になったまま、ルーファスがこちらに視線を向ける。 「……女?」  暗闇に目を凝らすようにしてつぶやいた男に、ヴィオレーヌは口端を持ち上げた。 「はじめまして旦那様。妻を殺すように指示を出しておいて、自分は悠然と就寝ですか? いい御身分ですね」 「なにを――」  パチリ、とヴィオレーヌは剣を持っていない方の指を鳴らす。  すると部屋の中にいくつもの光の玉が浮かび上がった。  白い光に照らされたヴィオレーヌを見たルーファスが息を呑む。  ヴィオレーヌは笑った。 「ごきげんよう。このたび、あなたの正妃として嫁いでまいりました、モルディア国第一王女にしてマグドネル国王の養女、ヴィオレーヌと申します。あなたが殺害を計画した、女です」  
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