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第35話 決戦前夜1
明日は神聖千年王国に奇襲をしかける。
その前日の19時。
千歳は、沙羅の部屋をノックした。
元気のない返事が聞こえ、千歳は中に入る。
部屋の様子を見ると、布団の上に沙羅は居た。
子供部屋ではなく、風俗嬢の待機場として作られた部屋。
ノートに何かを書いていた様であり、ノートとシャーペンが布団の上にあった。
ちらりとそれを見ながら、千歳は『共感』を発動させる。
この『共感』を使うたびに、いつも千歳は思う。この『異能力』はプライバシーの侵害に当たるのだろうと。
誰でも自分の感情を知って欲しくない時はあるだろう。それをこの『共感』はこじあけてしまうと。それが果たして正しい事なのだろうかと。
しかし、現状は余裕がある状況ではなく、やむを得ないと千歳は自分を納得させた。
沙羅から感じる感情は、恐怖、悲しみ、無力感……無理もない事だった。
御堂宗一にやられた事を、一度千歳に共有してもらい、芽衣に頭のケアをしてもらっても過去が変わるわけでも無い。沙羅のトラウマや恐怖が消え去ったのではないのだから。
「コンビニ弁当だけど、持って来たわ。今夜の分と、明日の分。食欲は無いと思うから、食べられるときに食べると良いと思う」
そう言って、千歳は弁当と、ジュース、ゼリー系のコンビニ弁当を、部屋にある冷蔵庫へ入れた。冷蔵庫の上には電子レンジもあるので、食べる時にはこれで温める事が出来る。
「……ありがとうございます」
沙羅は元気が無いが、それでもきちんと御礼の言葉を述べた。
育ちが良いのだろうなと千歳は感じた。もっとも神聖千年王国の場合は家族ぐるみで入信している場合が多いため、沙羅の家もおそらくそうなのだろうと推測しただけではあるのだが。
沙羅の両親にしたって、個人的に出会って話をすれば、良い人で礼儀正しいのだろうと思う。
しかし詐欺の犠牲者になるのは決まって良い人なのだ。
そう考えつつ、千歳は暗鬱になりそうな気を奮い立たせると、沙羅に向き合った。
「沙羅ちゃん。先日はありがとうね。大事なことを伝えに来たの」
「……はい。大事なことって?」
「明日の夜、私や藤原社長、芽衣さんや皆で、神聖千年王国本部を奇襲に行ってきます」
「明日……!」
「ひとりで沙羅ちゃんに留守番させるのも危険だからね。それまでには私のような護衛用のリターナーが来るから安心して」
千歳は心配させないように微笑んだ。
「皆さんで……えっと確か……他の方って、何て名前でしたっけ……?」
「沙羅ちゃんとは直接関わってないから、名前を憶えてなくても無理ないか。私と一緒に来た口の悪い黒髪の弟のこと憶えているかしら? あれが真示。水月さんは寒い中沙羅ちゃんを心配してコートをかけてくれた人よ」
千歳は優し気に説明した。
「ありがとうございます。皆さん……行くんですね……」
お世話になった人たちが、危険地帯に踏み込んでいくのを想像して、沙羅はまた震えがしてきた。
「ただもしね。明後日の夜の朝の6時まで、誰からも連絡が無く、誰も帰ってこなく、護衛用のリターナーの方が動けない場合、ここに電話をして欲しいのよ」
千歳は、電話番号を書いたメモ用紙を、沙羅に見せる。
「ここに電話すれば、リターナーを保護する団体につながるから。そうすれば沙羅ちゃんを保護してくれるからね。それにもし私たちが敵に捕らわれるならば、私たちを救援に来てくれる可能性もある。だからこれを沙羅ちゃんに渡します」
沙羅は、無言でそのメモ用紙を受け取った。
とっさに言葉が出なかった。
こんなに早く神聖千年王国への奇襲が始まるとは思っていなかったのもあるが、千歳さんが帰ってこない可能性だってあるのだ。そのことも含めて私の事を考えてくれているんだと沙羅は改めて感じた。
「……分かりました」少し考えて、沙羅は答えた。
「千歳さん達が帰ってこない時、ここに電話します。だけど」
沙羅の声は震えていた。
「……皆さんに帰って来て欲しいです……全員帰ってきて欲しい。殺されないで帰って来て欲しいです」
沙羅の声の震えからして、この子は本当は泣きたいのだろう。自分を保護してくれた人たちに死んで欲しくない。御堂宗一を倒して欲しいけれども犠牲になって欲しくない。そんな感情と思考を千歳は感じた。
「大丈夫よ」千歳は笑顔で答えた。
「必ず勝利して帰ってくる。沙羅ちゃんの友達や、そして沙羅ちゃんの敵をとってくるからね。ただ最悪の場合の準備をしておく必要があるからね。だからそのメモを渡しに来たの」
100%勝てるかどうかは分からない。
ただこちらの戦力は藤原社長、真示、そして私含めて決して弱くはない。水月さんや芽衣さんもいる。あとは現場で全力を尽くすだけだ。
千歳は自分でもそう考えていた。
「分かりました……」沙羅はメモ用紙を大事にノートに挟もうと、ノートを手に取ったが、そのノートが落下して書いてあったページが開いた。
当初は何か言葉が書いてあったのだろう。
しかしそのうちに、そのページはシャーペンでぐちゃぐちゃに丸や線で書き殴った図形が描かれていた。真っ黒になったぐちゃぐちゃなページだった。
沙羅はそのページを見られてしまって、恥ずかしかったらしく、慌てて閉じた。
「……無理も無いから、良いのよ沙羅ちゃん」
千歳は静かに話した。
その言葉を聞いて、沙羅の両眼から我慢していた涙があふれた。
千歳は、沙羅を優しく抱きかかえる。
「あの……」泣きながら沙羅は声を出した。
「千歳さん達は、どうして、どうして、こんなことを……してくれるんですか?」
「こんなことって?」
「……こんな風に優しくしてくれたり、敵をとろうとしてくたり……」
千歳は考えた。
そうか、思いの外、当然のことと考えていたが、私はなぜこのような事をやっているのだろうか……と。
「そうね。格好つけずに言うね。沙羅ちゃん」
「……はい」
「私自身がムカついているからよ。あの連中をぶちのめして地獄に送りたいから」
それは紛れもなく、千歳の本心だった。
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