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第30話 決戦準備10
藤原社長の足払いが水月の左足を直撃し、水月はその場に倒れこんだ。
藤原社長は顔面狙いで次の蹴りを放つ。
水月は両腕で藤原社長の蹴りを防ぐ。
そしてその蹴りの威力を利用して、後方に水月は距離をとって転がり立ち上がる。
初めて藤原社長と戦った時と似ていると水月自身も感じた。
だが今回は両腕で受けて、腕はまだ使える。
厄介なのは足払いで、おそらく骨まで折れていないにしても、痛みが激しい。
水月は慎重に距離を取る。
「なぜお前が私の足払いを食らったのか分かるか?」
藤原社長が尋ねた。
「……分かりません。油断していたと思います」
「普段、お前が組み手をやっている芽衣は、お前とほぼ同じ身長。つまりお前と間合いが同じだ。お前の身長が150センチとして、私は170センチ。間合いがまるで違う」
「相手の間合いで戦って勝てるわけがなかろう。水月」
「何もかもが同じだ。相手の土俵で戦う事は敗北を意味する」
藤原社長から感じる猛禽類の様な感覚は会ってから変わっていない。
だが……この人は、私に教えてくれようとしている。
水月は、それをひしひしと感じた。
新興宗教の家で途中から育ち、学校の教師とも大して関わらず、ろくな教師に出会ったことがない。
ちゃんと私のことを考えて、導いてくれる人に初めて会う事が出来たのだ。
水月の中で、その想いが、まるで噴水の様に沸き起こった。
なんとか……この師匠に報いたい。勝てないのは分かっている。だけど自分の力を見て欲しい。芽衣と一緒に鍛えて来た結果を見て欲しい。
水月の中で想いが沸き上がる。
(ほう……いい目だ。足も激痛だろうに)
藤原社長は、水月の目を見て、率直に感じた。
(水月……頑張って……)芽衣は両手を組んで、じっと水月に注目する。
(普通にやって藤原社長に勝てるわけがない。でも何とか間合いが取れれば……)
芽衣も気が気ではなかった。
激痛の足にも関わらず、陰陽流の歩法で、水月は距離を一気に詰めた。
水月の間合いで戦うためには、藤原社長により接近しなければならない。
しかしそれは藤原社長も十分に計算に入れている。
藤原社長は、距離を詰めて来た水月のみぞおちを狙い側刀蹴りを放った。
一瞬。ほんの一瞬。
前に向けて距離を詰めた水月の前進を、水月は止めた。
カウンター気味に藤原社長が蹴った側刀蹴りは、完全に決まらず、水月を倒すまではいかない。
「うぐうっ…」それでも水月のダメージが皆無だったわけではない、何とか我慢できるぐらいだ。
足を出したままでは危険なため、足を引いた藤原社長の動きに合わせて、今度は水月がさらに踏みこむ!
痛みに呼応するかのように、丹田に力が集中する。
「ああああああ!」
そのまま水月は前蹴りで藤原社長のみぞおちを蹴る。
相手が一般人ならば、一撃で倒せる蹴りだ。
だが、次の瞬間、半円を描いた藤原社長の受けで、水月の前蹴りは軌道をそらされてしまった。
しかもおそらく藤原社長は受ける時に、手首の骨を使って、足にダメージを与えている。空手の受けは防御では無い。相手の手足に対する攻撃なのだ。
水月は焦る。まずい。これで両足とも満足に使えない。
水月の揺らいだ心が作った隙を、藤原社長が見逃すはずはなかった。
目つぶしが、水月の目を直撃した。
眼球そのものがつぶれた感触はない。しかし目が使えなくなったのは非常にまずい。
「うぐう!」
うめき声をあげた水月に、藤原社長は連続で攻撃を加えた。
鼻の下の急所である人中に一本拳での打撃。鼻が折れた感触がした。
喉への突き。気管がつぶれた感触がした。
そしてみぞおちへの正拳突き。嘔吐感と共に、さっきの蹴りに加えて止めをさされた感触がした。
(水月……もう見ていられない)芽衣は思わず目をそらしそうになった。
激痛に続く激痛で、水月の意識が遠くなる。
このまま気絶しても良いんじゃないか。今まで頑張ったのだから。
そんな気すらしてきた。ふらつきながら、なんとか距離をとって藤原社長から離れるが、目すらもう良く見えない。
立っているのがやっとだ……。
「水月。それでお前は、御堂宗一に勝てるのか?」
表情を変えず藤原社長は尋ねた。
「水月。お前は何のために生きかえった? お前は何を御堂宗一からされた? お前は奴をどうしたいのだ? そして……これからどう生きたいのだ?」
藤原社長は、ふらつきながらなんとか立ち上がっている水月を攻撃するのではなく、水月の心を突いた。
「水月! 呼吸!」 芽衣が思わず叫ぶ。本来このような試合では、第三者が何かをいう事は禁じられている。
それでも、それでもつい声が出てしまったのだ。
「すいません。もう二度と発言しません」空手着を着て正座している芽衣は、そのまま藤原社長に対して礼をした。
「そうだな」と藤原社長は短く返答した。
(ありがとう……芽衣。折れた鼻でもまだ少し息が吸えるよ。本当にありがとう)
(私は……私は……)
水月は御堂宗一のことを思い出していた。
(私は、あいつに傷つけられて、奪われた、私の『尊厳』を取り戻す。そしてあいつを止める。あいつが他の人を傷つけない様に)
(私の『尊厳』を誰にも傷つけられないようにする)
(そして……今だって優しい芽衣。正義感の強い真示。いつも皆の事を考えてくれる千歳さん。酷い目に遭った沙羅。生きる場所を与えてくれて、戦い方を教えてくれる藤原社長。全員で勝って生き残る)
水月の思考と感情が一致してきた。
そして丹田の力が、まるで回転するように水月は感じた。
その動きに反応するように、体が熱くなり、集中力が増してくる。両眼が視力を取り戻し、全身の痛みが軽くなってきた。
受けた体の痛みが、まるで移動し、エネルギーとなって、丹田に集まる感覚を水月は感じた。
(まだやれる)
怪我が治ったわけではない。でも戦える。水月はそう感じた。再び構える。
(やはりな)
藤原社長は水月の様子を見ながら、確信めいた感覚があった。
「行きます」
「遠慮は無用だ。来い。どんな方法でもな」
藤原社長が言い終わる前に、既に水月は水月の間合いに移動していた。
これは藤原社長の予想を上回る、陰陽流の歩法の速度だった。
そのまま前蹴りを水月は蹴る。
これでは同じことを繰り返すだけではないのか。あるいはこれに水月の異能力が込められているのか。いずれにせよ藤原社長は受けようとした。
しかし水月は前蹴りと見せかけて、そのまま軌道を変えて上段の回し蹴りに変更した。
(なるほどこう来たか。だがな予想範囲だ)
しかし水月はその蹴りすら、高速に腰も使って引き足を戻す。
水月の前蹴りを左手で受けようとし、回し蹴りを受けようと右手を使ったことで、藤原社長に一瞬。ほんの一瞬の隙が出来た。
丹田に集まり回転しているエネルギーが右拳に移動する。
芽衣から最初に教えてもらった基本中の基本の正拳中段突き。
水月は、エネルギーが集まった右拳を、回転させそれを藤原社長のみぞおちに突く。
「あああああああああああああ!」
突きが藤原社長の内臓にめり込む感触を水月は感じた。
「ぬう!」
水月の拳を叩き落とし、藤原社長は大きく後退した。
水月はそのまま、まるで時間が止まったように硬直していた。
「ふ……」
藤原社長が笑う。
「10年ぶりだろうな。私がまともに突きを食らうなんてな」
「あの……」水月のか細い声だった。
「何だ?」
「もう動けません……これで……」
「そうだろうな。水月。良くやった」
「……良かった…んですか……」
そう言うと水月は、ばったりと倒れた。
慌てて芽衣が近寄る。
「藤原社長! 水月に再生掌を使って良いですか?」
「もちろんだ。異能力の解説は水月が気が付いたら行うとしよう」
「それから芽衣」
「はい」
「水月への再生掌が終わったら、次は私のみぞおちも頼む。なかなかの威力だった」
「分かりました。水月……頑張ったね」
芽衣がほほ笑む。
水月はまるで夜勤明けの仕事が終わったかのように、穏やかな顔で寝ているように見えた。
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