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第34話 教祖
「教祖様、妻が……妻の病気はいつになったら治るのでしょうか? 私はもう40年教団に尽くし、そして献金も1億円はしてきました。妻は……いつ目を覚ますのでしょうか」
神聖千年王国の教祖の前にひざまずいている70代の男性は、懇願する様に尋ねた。
教祖自身は50代の男性であり、高級スーツを着用し、その上から薄手のローブを羽織っていた。教祖は年齢の割に若々しい肌で、優しげな表情と眼でその男性を見下ろしていた。
「藤堂さん。ひざまずかなくても良いです。貴方は長年教団に尽くして下さった。確か……奥様は脳腫瘍で意識不明でしたでしょうか?」
「いえ、恐れ多くてとても姿勢は変えられません。医者に絶望的と言われて、植物状態です」
「なるほどそれはお辛いでしょう。お気持ち分かります」
「教祖。お願いです。いくら掛かっても構いません。どうか教祖のお力で妻を何とかしてほしいのです。お願いです。お力を……」
「……なるほど。お気持ちは分かりました」
「貴方は長年教団に尽くしてくださった。それでは私からも神に祈りましょう」
「お願いします……」
教祖はしばらく目をつむり、口から祈りの言葉を唱えた。10分もしただろうか。
藤堂という信者のスマホが鳴る。どうやら病院からの着信らしい。
「すいません、教祖、電話に出ても良いでしょうか?」
「構いませんよ」
藤堂はその場でスマホに出る。話を聞いている内に藤堂はスマホを落とした。
「教祖! 教祖! なんと妻が目を覚ましたんです! 祈りが通じたんです!」
藤堂は涙を流して喜びを訴えた。
「それは何よりです。それでは早く行ってやりなさい」
教祖はにこやかに答えた。
藤堂は足早に本部を去り、妻の入院している病院へと行く。
「貴方……心配かけてごめんなさい」
藤堂の妻は申し訳なさそうに、それでいて嬉しそうに口を開いた。
「良いんだよ。お前ともう一度話したかった……」
藤堂の目から涙があふれ、その場にいた看護師もつい涙が出ている様だった。
「私、外の空気に触れたい。一緒に来て」
藤堂の妻は、いたずら猫のような顔をして、夫に甘えた。
「もちろんだよ。一緒に行こう」
藤堂は妻の手を取って、屋上にたどり着いた。
屋上に来たのは初めてだった。天気も良い事もあり、大阪市が良く見えた。
「本当にきれい。こうしてまたあなたと一緒に歩けるなんて、夢みたい」
「私の方こそ夢みたいだよ……本当に……本当に良かった」
藤堂夫婦はそのまま屋上を歩いていく。
「?」
突然だった。藤堂は屋上を歩いているつもりだった。
しかし体は、何かにぶつかったように回転し、落下し、地面に激突した。
即死だった。
その病院には通行可能な屋上など無かった。屋上は自殺防止のためにそもそも一般人は入れないようになっていた。
藤堂は、病院ではなく大阪市内のデパートの窓から転落死をしたと、教祖の元に報告があった。
教祖は落ち着いて、周りに誰もいないことを確認したあと、口を開いた。
「……最期に幸せな夢を見られて良かったじゃないですか。藤堂さん。あなた方夫妻が死んだら遺産は全て教団のものになる。信者に夢を見させるのも、教祖の仕事だ……」
藤堂は地面に落ちて死んだときに、なぜか表情は笑っていたらしい。
そして藤堂の妻は意識が戻らず、遺族の意向で生命維持装置が外されることになった。
報告を聞き、教祖はつぶやく。
「夢の世界……それを演出する。それは信者の幸福のためだ」
また別の日。
「さて、少し時間を掛けねばならないが、これもまた仕事だ」
今日も面会者がいるらしく教祖は集中し始めた。
2時間ほど教祖は瞑想したあと、教祖室に来客が訪れた。
橘麗奈が入ってくる。
彼女は20歳でこの度芸能界のデビューが決った神聖千年王国の信者である。
妖艶な感じではなく、年齢にそぐわない幼さと美しさ、低い身長、それに伴って高く甘えた声と、いわゆる小動物の様な可愛い容姿。そして演技力が評価された結果だった。
「教祖様、貴重なお時間を取らせてしまって申し訳ございません」
「良いのですよ。確か芸能界でやっていく中で、いろいろな男性からのハラスメントを受けるのが心配だとか」
「そうなんです。私はそれが怖くて……過去にも嫌な思いをした事もあるんです。どうしたら良いのでしょうか」
「なるほどなるほど。それなら目をつぶって、楽にしなさい」
目をつぶってひざまづいて、手を組んでいる橘麗奈の頭に教祖は手を載せて、何かをつぶやいた。
橘麗奈は、まるで脳内に何か墨汁の様なものが満たしていく感覚を受けた。
「う……あ……あ……あ……」
「受け入れるのです。それが貴方の幸せになる」
麗奈の身体がガタガタと震えた。教祖のこの行為は30分続いた。
「もう目を開けて良いでしょう。どんな気分です。麗奈さん」
「生まれ変わった気分で……体が熱くて……性欲が抑えられないみたいなんです。教祖様の前ではしたないのですが……」
橘麗奈の目は媚びるような目つきとなり、顔の肌の色は紅潮していた。
吐く吐息があらくなり、口中にあふれてくる唾液を飲みづづけていた。
「はしたないという事はありませんよ。芸能界に入るという事は、いろんな男性と肉体関係を持つという事です。でもこれで貴方は自分からそれを求める様に変わったはずです。そうではありませんか?」
「はい……はしたないですが、抱かれたい。それもひどく動物の様な扱いを受けたい。私は……おかしいのでしょうか……?」
「いえ、それが本来の女性の幸せというものですよ」
「確か工藤司教と、中田司教がいたはずです。これから3人で楽しんでくると良い」
「そんな。司教様とも。ありがとうございます」
完全に何か別の女性に変貌してしまった橘麗奈の姿がそこにあった。
二人の司教を呼びつけて、「いつもの様にやるように」と小声で教祖は命じた。
「承知しました。人間の女性でなく、動物の様に、いたぶる様にすれば良いんですね?」
「それで悦ぶように調教してある。 3人で楽しんでくるように」
そうして、橘麗奈と2人の司教は、本部近くのラブホテルに消えていった。
「教団から出た女優が、反セクハラの告発運動などをしては、芸能界との関係にヒビが入り、女性の『献上』もやりにくくなる。それにこの方が本人にとっても幸福な事だ。もっともこのタイプの『洗脳』は1か月で効果が切れる。コーチングと称して定期的に呼ばねばならないが……まあそれも愉しみの時間と考えるべきだな」
教祖は自分を戒める様に独り言を言った。
神聖千年王国は、芸能界にデビューする女性信者のみならず、芸人や男性芸能人の性の相手のために女性信者を「献上」する事で、パイプを太くしてきた。
教祖の『感覚操作』による洗脳で、思考と感覚が変わってしまった女性を、それにあてがわせた。それは好評だった。
教祖の生まれた家は、エロ本やDVDが家のいたる所においてあり、家族間での暴力と性暴力が当たり前だった。両親がセックスをしている姿を何回見たのかが分からない。
何もかもが狂った家で、まともな感覚を幼年期に既に教祖は失っていた。
青年として成長していく中で何度も性犯罪で逮捕され、とても定職には就けなくなった教祖は自分で新興宗教を立ち上げた。30歳の頃だった。
自分を大きく見せる事が出来る才能。弱っている人をかぎ分ける才能。そして性被害のトラウマに苦しんでいる女性をかぎ分ける才能。
味方と見せかけて近づき、利用する才能。
同じような女性蔑視の感情をもつ男性との交友関係を深めて、人心を掌握する才能。
根底にあるのは女性への蔑視と憎悪と支配欲であり、男性の支配欲を肯定し、女性信者には従順さや性の解放の洗脳をしていく中で、教団は巨大になっていった。
45歳で『暁の明星』と出会い、リターナーの手術を受けてから、さらに信者の心理操作や感覚操作が出来る様になり、教団と教祖には莫大な金が入ってくるようになった。
「私は、信者の幸福を願っているだけだ。人間そのものが醜いのだから、醜い世界で幸福に生きられるようにして、何が悪い」
それが教祖の信条だった。
「さて、来訪者にも幸福な世界を見てもらうことにしようか」
教祖は、楽しみながらそうつぶやいた。
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