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第36話 決戦前夜2
「嬉しいです。でもどうして……そこまで千歳さんはそこまで怒れるんですか?」
「……誰しも、生きていれば不条理な事はあるよね。それを自分より弱い者に向ける。沙羅ちゃんの様な少女に向けたというのが、私には到底許せない」
「ペドフィリアの多くはね、大人の女性と付き合う自信というものが無いの。だから大人ではなく、自分たちが支配しやすい少女を支配しようとする。はっきり言って反吐しか出ないわね」
「ペドフィリアに対する教育というものも、もちろん始まっているわ。でもあの連中は、もう教育は間に合わない。教育を受けるなら地獄へ行ってそこで受ければ良い。私はそう思っている」
沙羅にとって、千歳は初めて会う種類の人間だった。
正確に言えばリターナーなのだが、でもそんなことはどうでも良かった。
神聖千年王国というものの実態が見えて、今まで信じていたものに、手ひどい裏切りにあった沙羅にとって、千歳は全く別の視点を与えてくれる人だと改めて感じた。
沙羅は、千歳の言っている事を全部理解出来ている訳ではなかった。
でもこの人は、私を傷つけようとしない、ちゃんと守ってくれる人なのだと改めて感じた。
きっと、両親に沙羅が受けた体験を話したところで、教団に心酔している両親は、何一つ信じてくれないだろう。その寂しさもあった。
「行ってくるね。帰ってきたら、カウンセリングも紹介するから。沙羅ちゃんの心の傷も癒えるように手伝うからね」
千歳は普通に話す。それがかえって本心で言っている事が伝わるのだ。
「お願いします……」沙羅は涙しながら千歳の右手を両手でずっと掴んでいた。
場所は変わり、真示の部屋。
真示も、風俗嬢の待機所に布団を敷いてそこで生活しているのは変わりがない。
日課の片手腕立て伏せをしていると、LINEがきた様である。
差出人は、真示が恋心を寄せる桐島美穂だ。
LINEの内容は、「小説を書くのが難しい」というものだった。
もうすでに小説のポータルサイトで連載を始めたということだったので、早速リンク先の小説を読んでみる。
内容はファンタジーだった。ただ丁寧に世界観のことを何行も書いていたので、読んでいて真示は「正直眠くなった。web小説なんだから、世界の説明は最小限にして、読者の興味を引くように、いきなり事件を起こした方が良いと思う」とアドバイスした。
少し時間が掛かってから「分かった」というLINEが返って来た。
真示は正直ホッとした。美穂を傷つけてしまったかもしれないという心配があったからだ。
男性恐怖症の美穂だから、恋愛ものや恋愛ファンタジーはかけないだろうな……と真示は考えたが、「そもそも何で小説を書こうと思ったの?」と送ってみた。
返信が来ない。まずい事を聞いてしまったかと真示の心配が最高潮に達しようとした時に、返信が来た。
「いつか」
「いつか。私が受けた性被害のことを、きちんと小説にして残したい」
「いきなり書いて、下手くそだったら、人の心に届かないでしょ」
「だから最初は下手くそでも良い。練習して上手くなってから、完成させたい」
「数をこなせば、誰でも文章は上手くなるって教わった」
真示は息を飲んだ。美穂はこんな方法で逃げないで、自分の過去と向き合おうとしているのだ。しかし自分の性被害を思い出しながら書くのは、おそらくかなり辛いはずだと真示は推測した。
「多分、けっこうキツいと思うけど大丈夫なのか」
「……もちろん私だと分からない様に書く。でも私は、この事を書かないと多分、前に進めないような気がするの」
これが美穂の戦いなのか……真示は美穂の勇気と、立ち上がろうとする気丈さに、敬意を持つしかなかった。
「だから、私のアカウントをフォローしてね」
「分かった」
真示に逆らう権利は無い。
「あのね真示」
「どうした?」
「この間、夢を見た」
「どんな?」
「電車に乗って、東京で真示とデートする夢だった」
「へえ」
「幸せだった」
真示は壁に背中を付けて寄りかかり、へたりこみそうになった。
美穂は男性恐怖症のために、電車に乗る事が出来ない。
その美穂が……その美穂が電車に乗っているのを想像するだけで、真示は嬉しかった。
「叶うといいな。その夢」
「叶えたい」
「また真示の側にいられるように、なりたいから」
真示はそのまま、床に座ってしまった。
体の力が、全部抜けた様だった。
美穂のこの言葉をLINEで聞けただけで、本当に幸せだった。
「ありがとう。俺も頑張るよ」
「何を?」
「不良退治かな」
「やりすぎないようにね」
「ああ、まあそれなりに気を付ける」
「真示」
「ん?」
「ずっと待たせてごめんね。いつも……本当にありがとう」
「謝らなくて良い。俺はこうしてLINE出来るだけでも嬉しい」
「私もだよ。優しいね……。真示ありがとう」
そんなLINEのやりとりをしながら、美穂とのLINEは終わった。
明日の戦いは必ず勝つ。勝って美穂の回復を俺は見届ける。
美穂だって必死に自分の性被害の後遺症と戦っているのだ。
真示は改めてその重さを感じ、明日の奇襲の準備を始めた。
場所は変わり、ここは水月と芽衣の部屋。
水月はキッチンに立ち、左手でリンゴを持ちながら、右手でそのリンゴの皮を手刀で剥いていた。
「気を込めて。イメージは細く。自分の手をカミソリだと思って」
「ほら呼吸が乱れてる。そう、呼吸が整えば切れるでしょ」
芽衣の指導で、初めは出来なく、グチャグチャにしてしまったリンゴ。
それでもどうにか1時間経つごろ、手刀で皮がむける様に成って来た。
「明日の御堂宗一との闘い。蛇だけに突きや蹴りだけじゃ心許ないからね。でも水月は実戦に強いから、ここまで出来れば何とかなりそう」
水月の剥いたリンゴ半分を頬張りながら、芽衣が言った。
「相手は4体の大蛇を操るから、死角が無いように、私と水月は背中合わせで戦おうね」
「分かった。そうしよ」
芽衣は残りの半分のリンゴを水月の口に入れてくれた。
甘酸っぱい味だった。
リンゴを食べ、飲み込み水月は口を開いた。
「ねえ芽衣」
「ん? もうリンゴは無いよ」
「その事じゃない。……ずっと芽衣には言っておきたかったことがあったの」
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