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「……」
歌に誘われるように、私は恐る恐る薄暗い店内へと足を踏み入れた。仄かな光に照らされた店の中は、壁一面に沢山の物が所狭しと並べられている。
半分欠けた仮面、ひび割れたランタン、幾つも骨の折れた傘、一見ガラクタのように見える物から、美しい女性の描かれた絵画、可愛らしい古いテディベア、繊細な作りのオルゴール等の芸術的な物まで。何の統一性もない、あらゆる物が独自のセンスで集められたような、歪で美しい空間。
店内は骨董屋のような古い物の持つ埃っぽさと、お洒落な雑貨屋のようないい匂いを混ぜた、独特な香りがした。
「……」
思わず夢中になってひとつひとつ見ていると、不意に、あの歌声が大きくなるの気付いた。てっきり店内のBGMかと思っていたが、それは商品棚の中から聴こえたのだ。
歌声のする方、繊細な装飾の硝子の小瓶。中には透明な液体と共に、美しい純白の真珠が閉じ込められている。
一際目を惹くそれを思わず手に取ると、中から響く歌に合わせて、小瓶は反響して僅かに震えた。
真珠が、歌っている。これは一体、何なのだろう。
「いらっしゃいませ、お嬢さん。何かお探しですか?」
「……っ!」
突然声を掛けられて、私はびくりと肩を震わせた。いつからそこに居たのだろう。小瓶に夢中になり過ぎて、全く気が付かなかった。
いらっしゃいませと言うことは、彼は店員だろうか。にこやかな笑みを浮かべた、燕尾服に似たフォーマルな黒い服の、若く美しい男性。店の雰囲気もあり、その男性の存在も妙に物語めいていた。
私は、やはり咄嗟に声が出ない。売り物である小瓶を握り締めたまま、立ち尽くすしか出来なかった。
「その品がお気に召しましたか? それは『人魚姫の涙』です」
私の手の中の小瓶に気付いて、彼は微笑む。そして告げられた名前に、私は思わず手元に視線を落とした。
「かつて、願いの代償に声を失った人魚姫。その美しい歌声は、彼女を愛した海の魔女によって大切に保管されていたのです。……やがて彼女は恋にやぶれ泡となり、それでも歌声だけは、長い時を経て今も尚、この小瓶へと閉じ込められたまま……」
まるで歌うように語られるのは、悲しく美しい恋物語。その光景を想像して、思わずほうっと溜め息を吐く。
「その真珠は、あの日告げられなかった想いを届けたいと、今でも人魚姫の愛を響かせ続けているのですよ」
声を失い、想いを伝えられない物語のお姫様に、状況は全く違うのに、何だか少し共感した。
その瞬間、不意に小瓶の振動が、鼓動のように一定のリズムを刻み始める。
「……なんて、その歌を聴くことが出来るのは、小瓶の持ち主だけなのですが」
「……えっ」
男性の言葉に、思わず声が出た。それが今日初めての他人にまで届くまともな発声だった。
だって、おかしい。歌はずっと、何なら店の外にまで聴こえていたのだ。
「おや……? ああ、成る程。人魚姫に気に入られたようですね。……お嬢さん、もしよろしければ、その小瓶をお持ちになって下さい」
「は……?」
「彼女も歌を聴いて貰えて、きっと嬉しいのでしょう。御代は結構ですので、大切にしてあげて下さい」
「……え、と」
「ただし、一つだけ。……その声は、人魚姫のものです。人とは違う魔法の歌声……聴くことが出来るのは、小瓶の持ち主だけ。それをゆめゆめ、お忘れなきよう……」
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