少女と白鯨

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翌日も、同じ時間にあの道に辿り着き海を見下ろしながら散歩をした。 「…居た。」 綾乃は昨日と同じ場所で同じように海を眺めていた。 「綾乃ちゃーん!」 私は道から大声で名前を呼び手を振った。気が付いた綾乃は振り向くと、私を手招きしているようで、私は転ばないように斜面を下った。 「オジサン、坂下りるの遅いよ。」 「ご、ごめん。もう歳だからさ。おはよう、綾乃ちゃん。今日も早いね。」 「うん、ウチは前から早起きだから。」 「昨日ここに居たけど、何を見てるんだい?」 私が問い掛けると、綾乃は海の方を向き無言で正面を指差した。私は綾乃の指の示す先を凝視したが、輝く海面以外に目ぼしい物は視界に入らず、首を傾げた。 「…やっぱりオジサンにも見えないか。」 綾乃はガッカリした表情をした。 「君には何か見えてるのかい?」 「…クジラ。」 「…クジラ?」 「そう、白くてでっかいの。」 「…白いクジラ…白鯨(はくげい)…。」 私は再び目を凝らして見たが、クジラどころか跳ねる魚一匹すら視界には捉えられなかった。 「パパにもママにも見えないみたい。ウチにしか見えないのか。」 綾乃は本当のことを言っているのか、私をからかっているのか、その時には判断はつかなかった。 「…そのクジラは何をしてるんだい?」 「浮かんでるの。」 「目の前を泳いでいるのかい。」 「ううん、海の上に浮かんでるの。」 「…は?」 私はいい加減からかわれていると思い、綾乃の顔を覗き込んだ。綾乃の目は、しっかりとした眼差しで指差した先を見つめていた。 「ん?オジサン、ウチの顔見てどうしたの?」 「あ、いや…。」 綾乃の目は澄んでいて嘘をついているようには見えなかった。 「オジサン、今何時?」 「えと…。」 私は腕時計を見た。 「もうじき7時になるよ。」 「じゃあそろそろパパが起きる頃か。じゃね。」 綾乃は岩から飛び降りると、サササッと斜面を駆け上り、私の視界から消えていった。 「…クジラね。」 この島の近海でクジラが見れることは稀にあるということは、数ヶ月前にたまたま島の住人から聞いたことがあった。とは言え、最後に見たのは5年ほど前と言う話だった。 私は何回か海に振り向きながら元の散歩コースに戻り、いつも通りに散歩を終えた。 家に帰ってから、30分後くらいに妻が朝食を整えてくれる。私は妻の対面に座り、手を合わせてから焼き魚に箸を伸ばした。 「その魚、あなたが散歩に行ってる間にトメさんに頂いたのよ。夜釣りをされてきたらしくて。」 「へぇ、相変わらずトメさんは釣り名人だな。会った時にお礼を言っとくよ。…なぁ、(かおる)。」 「ん?」 妻は口に箸を運んだまま固まった。 「最近、この辺りに越してきた家族知ってるか?小さい女の子がいる。」 「…さぁ、私は聞いてないわね。今日、お茶会やるから聞いてみるわよ。何かあったんですか?」 私は、綾乃のことを妻に話した。 「…ふふふ、空飛ぶ白いクジラって、ほんとに素敵なファンタジーみたい。子どもって想像力豊かですわね。」 「え、あ、あぁ。発想が凄いよな、ほんとに。」 私は味噌汁を啜ると、じーっと見てくる妻の視線が気になった。 「…な、何見つめてんの?」 「ふふふ、あなた、もしかしてその女の子の言うこと本当だと思っていらっしゃるのかと。」 「そ、そんなことあるわけないだろ。」 「でもまぁ、そんな可愛い子に会えるなら朝の散歩に楽しみが出来ましたね。」 「…私はこの島の自然を感じて1日のエネルギーにするために散歩してるんだ。」 「ふふふ、はいはい。お代わりいります?」 微笑みながら聞く妻に、私は目を逸らしながら茶碗を手渡した。 翌日は珍しく朝から雨であった。私は窓からそれなりの強さで降る雨を確認すると日課の散歩を中止しようと思い、リビングのソファに座りテレビを点けた。 朝のニュースを数分観ていたが、何だか気持ちがソワソワ落ち着かない。雨が屋根を叩く音が心臓の鼓動と重なっていた。 …まさか、今日は居ないよな。こんな雨の日に。 私はテレビを消すと傘を手に玄関を飛び出し、いつもよりも速いペースであの道に向かった。 「…はぁ…はぁ…。」 いつもの道に着くなり、息切れした呼吸を整えながら綾乃の姿を探した。 私は目を疑った。 いつもの岩の上にピンク色の合羽を身に纏った綾乃の姿を見つけたからだ。私は慌てて斜面を何度か転びそうになりながら駆け下りた。 「お、おーい。」 私の呼び掛けに振り向いた綾乃は、頬を膨らませていた。 「遅い!」 「…まさか、雨の日にもいるなんて思わなくて。」 「晴れでも雨でもクジラはいるから。…だから、毎日来てよ。」 「…うん、明日からはまたいつもの時間に来るよ。」 「約束だよ!」 綾乃はそう言うと、岩を飛び降りて斜面を駆け上っていった。私は何を思ったのか、その綾乃を必死に追い掛けた。息を切らしながら斜面を上り切り道に辿り着いたが、そこに綾乃の姿は無かった。左右には真っ直ぐ続く道、斜面の反対側は茂みが広がっていて、この中に入っていったとは考え辛かった。 綾乃はどこに行ったのか、それだけを考えながら歩いていると知らぬ間に散歩コースを完歩しており、玄関を開けると妻が立っていた。 「お帰りなさい。こんな雨なのに散歩行かれたんですか?」 「あぁ、身体が鈍らないようにな。」 「いつもは雨だと中止になさってたのに。」 「…最近運動不足を感じてなぁ。」 私はそう言って妻の横を通り過ぎた。 「あなた、まさか昨日おっしゃってた女の子に会いに行ってたわけじゃないですよね?」 妻の言葉に私は一瞬固まってしまった。
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