少女と白鯨

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なんだか気不味い雰囲気のまま朝食についた。妻はいつも通りの焼き魚、卵焼き、味噌汁、漬物、ご飯と完璧な朝ご飯を用意してくれており、最後に温かいお茶を置いて対面に座った。 「い、いただきます。」 「…あなた、勘違いしてません?相手は小さい女の子ですよね。私はあなたが(よこしま)な気持ちを抱いているなんて思っていませんよ。」 「あ、当たり前だろ。」 「昨日のお茶会で一緒だった方々に聞いたんですけど、最近小さい女の子がいる家族が越してきたことを知っている方は誰もいませんでしたよ。…こんな小さい町で誰も知らないなんて、私は少しおかしいと思いますよ。」 「…そうか。まぁこれから近所に挨拶とかするんじゃないか。」 私は妻の話を聞いて少しは不思議に感じたが、それ以上の感想は持たなかった。 「今日もいらしたんですか?その女の子は。」 「あぁ。」 「…こんな雨の日に、そんな小さい女の子が1人で海に…危険過ぎません?」 「私もまさか居るとは思わなかったさ。だが、あの子はクジラを見に来ていると言っていた。あの子は私を確認すると、直ぐに帰ってしまうんだ。」 「…なんだか少し不気味さも感じますね、その子。」 妻はそう言ってお茶を飲んだ。 不気味さ?…私は実際に綾乃を目の前にしているが、そのような感情は抱いたことは無かった。 翌日は前日の雨が嘘かのような晴天で、私は散歩というよりは綾乃を目的にいつもの時間に家を出た。 いつもの場所で、いつも通り海に向いている綾乃を見つけると、私は何のためらいもなく斜面を下り、綾乃の背後に辿り着くと挨拶をした。 「おはよう。」 「あ、オジサン、おはよう。今日はちゃんと時間通りに来てくれたのね。」 「あぁ、今日も快晴で気持ちがいい朝だ。…今日もクジラはいるのかい?」 「うん、いるよ。動けないのかな。」 綾乃の横顔を見ると悲しそうな表情をしていた。 「…君の家はどこなんだい?」 「…………。」 綾乃は口を閉ざしたまま正面を見つめていた。 「いや、別に変な意味じゃなくて、朝早くからここにいるってことは、この近くなんだろ?」 「…そう。とても近いよ。」 「なら、家まで送るよ。」 「大丈夫よ!」 綾乃はそう言いながら、いつものように斜面を駆け上っていった。私はこの行動を予測しており、体力差はあるものの、綾乃から数メートルの位置を保ちながら綾乃を必死で追い掛けた。 「ちょ、ちょっと…待って。」 息を切らしながら何とかする斜面を上り切った時、目の前の茂みに綾乃の姿を一瞬見たが、綾乃はそのまま茂みの奥へと消えていった。 「…こんなとこ進むのか。」 私は綾乃を追いかけようと茂みの道なき道を 掻き分けながら進んだ。茂みの森が終わる様子は無く、快晴だというのに陽光も差さない薄暗い中を進むと、私は何かに躓いて豪快に頭から転んでしまった。 「痛っ…。」 弁慶の泣き所に堅い何かがぶつかった。私はあまりの痛さに涙目になりながら、座ったまま草を掻き分けて、躓いた物の正体を探した。 「…ん?これは…。」 そこには膝丈ほどの小さい石板が建っていた。 「何だろ、これ。」 私は、その石板に手を置き、まだ痛い足を擦りながらゆっくり立ち上がった。 「あなたぁ!!どこですかぁ!」 遠くから妻の声が聞こえ、私は驚いた。とりあえずいつもの道に戻るため、来た道なき道を草を掻き分けながら急いで戻った。 「あなたぁ!!」 「こ、ここだ!」 茂みから飛び出すと、目の前に妻が不安そうな表情で立っていた。 「…あなた。良かった、無事で。」 「無事って…一体どうしたんだ。」 そのまま家に帰ることにし、その道中で妻から、今日の私を付けていたことを告白された。それ自体は私としても後ろめたいことなど何1つ無いため何とも思わなかったが、その後の妻の言葉に私は耳を疑った。 「…あなた、1人でしたよ。あの岩場で。」 「…は?」 「少しして急に息を切らしながら斜面を駆け上がって来て、そのまま茂みの中に飛び込んで行ってしまって…私はてっきりあなたがおかしくなってしまったのかと…。」 肩を震わせながら話す妻を私はそっと抱き寄せた。 「すまない、心配をさせて。」 「あなたは優しい人ですから、良からぬ者にも魅入られてしまうかもしれない。…この地であなたを先に失うことは私には耐えられないんです。」 「…本当にすまない。朝の散歩はやめるよ。」 私は初めて見た妻の取り乱した様子に、そう誓った。 翌日も翌々日も日課の散歩に行くことはしなかった。ただ、綾乃の事を忘れたわけではない。きっと私を待っているのだろうという考えはずっと頭から離れなかった。 散歩に行かなくなってから3日目の朝。私はすっかり妻よりも遅く起きるようになってしまい、目覚めると既に朝ご飯の準備がされていた。 「おはよう。」 「おはようございます。今日もトメさんが来てくれたんですよ。あなたは寝ていたので起こさなかったんですけど。」 席に座ると、香ばしい香りを放つ焼き魚を中心に朝食が並べ慣れており、最後にご飯とお茶が置かれた。 「いただきます。」 私は、焼き魚から口にした。 「美味いな、この魚。さすがトメさんだ。」 「鯛ですよ、トメさんのおかげで豪華な朝食になりましたね。あ、そういえば、トメさんが言ってたんですけど、夜釣りの最中にクジラを見たらしいですよ。」 「…クジラ。」 「…ごめんなさい。あなたが朝の散歩を我慢しているこたは分かっているんですけど、私は隠し事は苦手な性格なので。」 「…いや、我慢なんて…。…そうか、クジラか。」 私の胸はざわついた。
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