少女と白鯨

5/6

4人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ
…島に移住してから3日目の悲劇。…目撃者によると綾乃さんが「クジラを見た」という内容の話をし、海に飛び込んだ。慌てた両親が追い掛けるように海に入り、そのまま3名は行方不明…翌日、沖で浮いている3名を発見、その後死亡を確認…。 私は記事を黙読し、開いた口が塞がらなかった。 「どうされたんですか?顔が強張ってますよ。」 窓口の女性が私の側に来て、手元のスクラップ記事を見た。 「あ、この悲しい事件、私も覚えてますよ。私の家の2つ隣の空き家をリノベーションして移住されてきたご家族で、引っ越しされてきた当日に少し話したんです。ここの自然環境を気に入って都会から移住されて来たご家族でした。」 「…私と一緒ですね。」 ポタンッ…スクラップブックに滴が落ちた。女性は私が泣いていることに気が付き、そっとハンカチを差し出してくれ、私は頭を下げて受け取り涙を拭った。 「…このご家族とご関係があるのですか?」 女性が私に尋ねた。私は首を横に振った。 「直接は関係ないんです。…こんな話信じないとは思いますが、この女の子に私は毎日会っています。芝生の斜面がある海岸の岩場で。」 「…女の子って千渡綾乃ちゃんのことですか?」 「はい。彼女はそこでクジラを見ているようです。私は彼女が既に亡くなっていることを知らずに会ってました。…彼女は何故クジラを見ているのか、それを考えていたら自然と涙が…ほんとにこんな話すみません。」 ガチャ。史料室の扉が開いた。 「すみません、自然と会話が聞こえましてね。あなたは千渡一家のことを調べてらしたのですか?」 史料室から出てきた年配男性が尋ねてきた。 「元々はクジラの事を…まぁ、でもそれも千渡綾乃さんに通じる部分なのですが、このご一家の記事を見つけたのは本当に偶然でした。」 「そうですか。実は、亡くなられた旦那さんと生前話をしましてね。夫婦で海洋学の研究をされていて、中でも旦那さんはクジラの生態を研究されていたようです。なんでも、この島の近海では白いクジラの目撃例があるっておっしゃってました。」 「なっ!白いクジラですか!?」 「は、はい。私は生まれも育ちもこの島ですが、普通のクジラは数回見たことがありますが、白いクジラなんてのは初めて聞きまして。」 「…そうですか。白鯨がこの島で…。」 私はスクラップ記事の綾乃の写真を見つめながら固まった。 「あ、あの…大丈夫ですか?」 女性が心配そうに私に問い掛けた。 「あ、すみません、もう大丈夫です。ありがとうございました。」 私はスクラップブックを男性に返し、頭を下げて分所を後にした。 今日もこの島は快晴で、涼しかった場所から外に出ると気温差で少し頭がクラッときた。 …あの子はまたこの陽射しの下で私の前に現れてくれるだろうか。 私は今一度、あの道で綾乃に会おうと思った。 海岸が見える道に辿り着くと、いつもとは逆方向で右手に海を見ながら歩き始めた。視界に入るいつもの岩には綾乃の姿は確認出来なかった。 私はゆっくりと芝生の斜面を下り、いつも綾乃が立っている岩に辿り着くと、右側の低い岩を階段状に上りいつも綾乃が立っている位置に辿り着いた。 私は綾乃と同じ位置で海に向かって立った。その瞬間、私は自分の目を疑った。 海面から数メートル上に、ぼやっとクジラが見えたのだ。 「クジラ…白いクジラ…本当だったのか。」 透き通ってはいるが、紛れもなく白鯨だった。私は、また自然と頬に涙が伝った。 「オジサン。」 背後から綾乃の声が聞こえ、私は涙を拭いながら振り返った。 そこには出会った日と同じ、水色のワンピースを着た綾乃が微笑みながら立っていた。 「綾乃ちゃん、君は…。」 私は言葉に詰まった。 「オジサン、その顔はウチの事分かったみたいね。」 「あぁ、君はもうこの世には居ない存在だったんだね。私にしか見えていないのかも知れない。」 「…そう、ウチは死んじゃったみたいね。…自分でも分かってるの。」 綾乃は初めて私の前で涙を流した。小さな子どもの純粋な涙ほど、心を動揺させるものはない。 「君は何が心残りなんだい?あれかい?」 私は浮かんでいるクジラを指差した。 「…あのクジラ、可哀想なの。」 「君が海に飛び込んだのは、あのクジラのためかい?」 綾乃は頷いた。 「…ウチ、クジラの鳴き声が聞こえたの。とても悲しそうでツラい声だった。…でも、パパもママも聞こえないって…だから、ウチ嘘じゃないって教えようと…。」 また大粒の涙を流し始めた綾乃を私は抱き締めて頭を優しく撫でた。 「…君は私に、私なら大丈夫だと思ったって言ったよね。それは、どういう意味だい?」 「…ウチのこと怖がらないし、オジサンならあのクジラを何とかしてくれると思ったの。…オジサンが来なかった日は寂しかったの。でも、またこうして会えた…それが何か嬉しい…。」 綾乃は涙声で時折言葉に詰まりながら話した。私はその声を聞いて、目を潤わせずにはいられなかった。 「…ごめんな、不安な思いにさせて。自分のことに気付いてくれる存在が欲しかったんだよな。」 私はそう言ってクジラを見つめた。耳を澄ますと、微かに苦しそうなクジラの声が聞こえた。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加