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9月上旬
秋になり、植え付けた薔薇がいっちょ前に花を見せた。
最盛期に入る前に虫と病気が付かぬよう消毒を行い、ペグとロープで一時閉鎖。
そこまで強烈な薬ではないが、これは公共施設での決まりだ。
薬剤が乾けば開放するが、それまでは立ち入り禁止である。
「えっ!」
薬剤散布に使った道具を片付けていると、愕然とする声が聞こえた。
先月、蛍を探していた少年だった。
今回はデジカメを持っている。
薔薇の写真でも撮りに来たのだろう。
「ごめんね、今、薬を撒ちゃったから見るのは明日くらいまで我慢してね」
そう声を掛けると少年はまたしょんぼりして帰って行った。
何だか申し訳無さを感じつつ、軽トラに荷物を乗せ、エンジンを掛けた。
途端に鳴り出したラジオから流れて来たのは坂本九が歌う【上を向いて歩こう】だった。
『…やっぱり良い歌ですね。ペンネーム《レン兄ちゃん》さんより、リクエスト。上を向いて歩こうでした…。いや、昨日も投稿してくれたけど良いお兄ちゃんだ!』
そんなラジオDJの紹介が流れ、事務所への帰路、信号待ちがてら何となくトークに耳を傾ける。
どうやら今の歌をリクエストしたのは小学生の男の子で、長らく入院している妹の為に、妹が聞きたい曲や好きな歌を毎日リクエストしているらしい。
話を聞く限り、その妹さんは今日の午後から大きな手術を受けるらしい。
『いやぁ、無事に退院してほしい!そんでもって来年こそ蛍を一緒に見に行けると良いですね…!では、次のリクエストは…』
「ん?」
思わず、締めの言葉に耳を疑った。
―――いや、まさか。
そんな事を思いつつ青に変わった信号にアクセルを踏み込む。
前の車に合わせて法定速度までスピードを上げつつ、しかし思い返した。
そう言えば、今日はあの幼い歌声を聞いていない。
一抹の不安が頭を過った。
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