十 女二人

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十 女二人

 長月(九月)初旬の晴れた昼四ツ(午前十時 巳ノ刻)。  森田は内縁の妻の絹を連れて、日本橋呉服町の呉服屋、有村屋に入った。内縁と言っているだけで、森田の周囲は絹を正妻と認めている。  呉服屋有村屋に現れた森田と連れの女を見て、宗右衛門と妹のお喜代は、森田の連れの女が、森田の内縁の妻の絹だとわかった。 「旦那。先日はありがとうございました」  宗右衛門は森田に筒持たせ事件の礼を述べた。 「この界隈も、人通りが増えました。みな、森田さんのおかげです」  お喜代も礼を述べて森田に御辞儀している。 「いやいや、私の方が礼を言わねばなりませぬ。宗右衛門さんとお喜代さんの手助けがあったればこそ成しえた始末でした。  今日は妻の絹を連れてきた。小袖を見せて下さいです」  あの、宗右衛門を足蹴にした折とは打って変わって、森田は丁寧に絹を紹介した。 「絹でございます。此度は森田がいろいろ御厄介になり、有り難うございました。  また、お喜代様には、森田に、一方ならぬ御好意を寄せて頂き、森田の女房のこの私も、女房冥利に尽きるというもの・・・」  絹が挨拶を兼ねてそう述べた。  喜代と宗右衛門の顔色が変わった。  森田から、絹は吉原の橘屋の下女と聞いているが、実際は上女中か、没落した武家の娘ではなかろうか・・・。それにもまして、この質実剛健を絵に描いたようなこの森田は、ほんとうに浪人か・・・。北町奉行所の与力と親しい事からして、御上の密偵でないのか・・・。いや、密偵であっても、俺たち呉服屋は筒持たせの片棒を担いだわけじゃねえ。俺たちが被害者だ・・・。そう思いながらも、宗右衛門は己たちに何か嫌疑をかけられはしないか心配になった。 「お喜代さん。絹に小袖を見せて下さい。予算は二両です」  森田が、宗右衛門から依頼された始末量の取り分全てを、絹の小袖購入に充てようとしているのがお喜代と宗右衛門にわかった。絹は森田の理無い仲の女でも、内縁の妻でもない。周囲は絹を森田の正妻と認めているだろう・・・。お喜代はそう思った。 「森田の旦那は・・・」  宗右衛門はそう言ったまま、訊きたいことを腹に納めて口を閉ざした。 「宗右衛門さん、私がどうかしましたか。ははあ、私と絹の素性を気にしてるのですね。  私の説明は後にして、絹に小袖を・・・。あれ、お喜代さんまで、絹の素性を気にしてるのですか」 「いえいえ、あたしゃ、そんな事はありませんよ。ささっ、お上がり下さい。座敷に小袖を並べますので・・・」  お喜代は絹と森田を店の座敷に上げた。  店の座敷に正座しながら、絹は森田を見つめて微笑んだ。その眼差しは、 『打ち合せどおり話しました、私の素性を話さずとも済みそうですね・・・』  と語っていた。 (了)
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