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男を見下ろす私に、向かい合わせの窓の中から、沖田さんの声がしました。
「恨んでいた親父が死にました。僕を縛っていた恨みが消えました。やっと、あの世に行けるようです」
私は顔を上げて、沖田さんを見ました。
「行ってしまうの?」
「ええ」
私はお願いしました。
「行かないでください」
「行くなと言われも。何処にも行けなかった僕が、やっとあの世にいけるんです」
私は思わず言ってしまいました。
「別れたくない。沖田さんが好きなんです」
沖田さんがハッとしたした表情をして、嬉しそうに笑みました。
「嬉しいな。でもこの機会を逃すと、僕はまた地縛霊に逆戻りしちゃうよ」
私は沖田さんの言葉に、切なくなりました。
「……沖田さんを地縛霊にはしておけないですね。引き止めては駄目ですね」
私の部屋の窓枠に手をついて、私は自室の窓から身を乗りだしました。
「私は沖田さんを、快く見送って差し上げるべきなんですね」
沖田さんは窓から離れ宙に浮かび、すでに窓から身を乗り出していた私を、両手で包むように抱きしめました。触れられないはずの、沖田の体の温もりを私は感じました。
「霊は人に、触れられないんじゃ?」
沖田さんが優しい口調で言いました。
「触れられないくても感じる事は出来ますよ。霊とは感じるものです。触れるのは違うかも知れないけど」
沖田が私の頭を撫でてくれたように感じました。
「僕もいま、明音さんを感じている」
私は目をつぶって、沖田の両腕に抱かれる感触を味わいながら言いました。
「1つだけ……。私のお願いを聞いてもらえませんか?」
「どんな願いですか? 僕にはもう時間がないから、外へ一緒に出かける事は出来そうもないけど」
私は沖田さんの胸の中で、小さく首を横に振りました。
「好きだと言って欲しいんです。嘘でも良いんです」
沖田さんの、私の頭を撫でる手は止まりました。
「……それを言ってしまったら、僕はあの世に行けなくなりそうだ」
私は顔を上げて、沖田さんを見つめて、小さな声で聞いたのです。
「言ったら、何故……、行けなくなるんです?」
「それはぁ……」
沖田さんの言葉は途切れ、沖田さんの顔が私の顔に近づいてきて。私は沖田さんの頬を、私の頬で感じ、私の唇で沖田の唇を感じました。沖田さんの柔らかな唇と舌に、柔らかくねっとりと、私の唇と舌が愛撫されていきます。沖田さんに優しく温かいキスをされて、私の身と心が熱くなりました。
――沖田さんとのキスは、永遠にこうしていたいと思うほど心地よくて。
けれど唐突にキス止んでしまい。私はもっとキスが欲しいと思いながら、瞼を軽く開きました。
するとそこには、沖田さんの姿はなくなっていました。私は視線を鼻先から沖田さんの部屋の方に向けて、沖田さんの部屋の中を見回しました。でも、沖田さんの姿はありません。私は諦めきれず、下方の路地や上方の空も見渡しましたが、やはり彼の姿はありませんでした。
探す場所が無くなった私は、沖田さんがいつもいた場所を見つめながら、まだ沖田さんの温もりの残る唇を指で押えて。
深い吐息を洩らしたのです。
――――fin――――
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