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前編
私は社会人になったのを機に、実家から引っ越し、アパートの4階に部屋を借りて住み始めました。
ただこの部屋は少々問題のある物件でした。
――その問題とは窓の事です。
部屋の内見の時に、不動産会社の男が言いました。
「この物件は、この部屋唯一の窓が開けられないために、相場よりだいぶ安いんですよ」
このワンルーム物件には、幅180センチの腰窓しかありません。
「どうして窓が開けられないのですか?」
不動産屋さん頭をかきながら「窓を開けてもいいんですが、窓がお見合いしているんですよ」と、窓の向うに見える分譲マンションを指差しました。
内見している部屋の窓と隣マンションの窓が、向かい合わせに位置していて、お互いの窓からお互い部屋が丸見えでした。お互いの窓には鉄格子もありません。しかも内見してるアパートと隣の家を隔てるのは、車も通れない隙間のような道です。窓と窓の間は狭く、勇気があれば、この部屋の窓から向かい合った窓へと、飛び移ることが可能な距離です。
「なぜ、鉄格子がないんです?」
「向かい側の窓は、恐らくですが……。こちらの部屋と向かい合わせの窓だけ鉄格子がないので、壊れて外れたまま放置しているんでしょうね」
確かに、内見している部屋の向い合せの窓だけ、窓がむき出しで、他の部屋は鉄格子で覆われていました。
不動産屋さんは話を続けます。
「こちらの窓に関してはですね。いざって時に逃げ出せるのは、この窓だけだからです」
不動産屋さんは備え付けのクローゼットを開くと、中に置いてあった黄色い袋を指さして言いました。
「縄梯子入ってます。これで逃げるんですよ」
不動産やさんが、窓下のフックを指さします。
「あそこに縄梯子の端を引っ掛けるんです」
それから不動産屋さんは窓を開くと、向かい合わせの窓をみて、神妙な面持ちで言いました。
「隣家の窓から人が飛び移ってくるとは思えませんが。だからと言って、隣の家から人が飛び移れる距離にある窓を開けておくのは、おすすめ出来ません。女性ならなおさらです。カーテンを締め切って、窓に鍵を掛けておかないと危ないと思います。それで家賃が安いんですが……、どうします? 借りますか?」
私は安さに負けて、この部屋を借りる事にしたのです。
住み始めてから私は、鍵をかけて窓を開けず、カーテンも締め切っていました。
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