2.君の声を

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2.君の声を

 もちろん家の風呂でのことだ。好きに歌えばいいと思う。思うが……気になるのだ。聖がどんな歌を歌っているのかが。  好きな人のことは何でも知りたいなんて、気持ち悪すぎると柊自身、思わなくもない。だが、気になって仕方ないのだ。だって幼いころから共にいる柊でさえ、聖が自発的に歌を歌うところを見たことがない。  見たいじゃないか。聴きたいじゃないか。当然だろう。  だから悪いと思いつつ、そうっと聞き耳を立ててみるのだが。 「柊? どした?」  風呂場のドアの向こうから聖の声と共に水音が響く。気がついたら風呂場のすりガラスのすぐ前に忍び寄っていた。表情や顔の造作などは見えないが、ただのすりガラスだ。そばに立っていればそのフォルムはばっちり向こうから見える。 「いや、あー……なんでも……」  あたふたと風呂場の前を離れ、柊はひとり赤面する。  なにをやっているのだろう、自分は。ばかばかばーか、と自分を罵倒しつつ、夕飯作りに戻る。包丁を取り上げ、豆腐を切って味噌汁に放り込んでいると、風呂場のドアが開く音が聞こえてきた。  聖は貴公子なんて呼ばれているくらい、見目麗しい。だが、整った容姿とは裏腹にずぼらなところがある。染めたり抜いたりしたことが一切ない黒髪だって、しっかり乾かして寝れば寝癖に侵されることもなく、本来の艶やかさを保ち続けられるというのに、聖はいつもお義理程度にドライヤーの風を当てるだけで乾かす気がない。 「お前……またそんなぬれねずみの状態で……」  今日もしっとりと濡れたままの髪で冷蔵庫を開けて缶ビールを出している聖に、柊は顔をしかめてみせる。特に返事はない。これもいつものことだ。  やれやれ、とため息をつきながら、柊はタオルを引っ張り出し、聖の頭を拭く。慣れっこの聖は柊にされたままになっている。  毎度毎度過ぎて、シャンプーしたての犬をタオルドライしている気分だ。色っぽい気持ちにもならない。苦笑しつつ、自分より頭半分ほど背の低い彼の頭をごしごしと擦っていると、タオルの向こうからぽつり、と言う声が聞こえた。 「柊って……俺と風呂、入りたかったりするの」 「なああ?!」  動揺し過ぎて声が裏返った。手を止めてそろそろとタオルの陰を覗くと、聖の黒々とした瞳がまっすぐにこちらを見上げているのが見えた。 「な、んで、そんなわけ……いや、入りたくないわけじゃないけど! そうじゃなくて、ええと」 「そうなんだ」  そうなんだ、と言ったきり、次の言葉が返ってこない。なんなんだ! と言い返したかったが、聖がこんなことを言ったのは、絶対、さっきの風呂場での盗み聞きのせいだろう。それを思うと、恥ずかしくてそれ以上は突っ込めなかった。 「ご飯、今日なに」  水気が幾分取れた髪をふるり、と振って、聖がキッチンへと向かう。ブリの照り焼きだよ、と答えると、聖はうっすらと微笑んで、そっか、と言った。
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